世界の中心で、愛をさけぶ
セカチューの謎

"MYSTERY" OF SEKACHU-.  

Q16. 最終話:亜紀の散骨の意味


最終話、絵本「ソラノウタ」に込められたアキからのメッセージを受け取ったサクは、高校のグラウンドで走りながら散骨します。
この物語は「散骨」がひとつのキーポイントになっているわけですが、ドラマ版はグラウンドで走りながら、というちょっと意外な散骨に。ここに込められた意味は何だったのでしょう?

[最終話・散骨シーン]
走りたいだろう、アキ。
追いつけない速度で去っていくアキを
僕はもう、捕まえることができない。
生きている限り、君と僕とは遠くなるばかりだろう。
だけど僕は走ることをやめない。
走り続ける僕たちの足跡は、君がいた証だから…

[最終話・絵本ソラノウタより]
なぜなら、おまえの中にいるからさ
おまえの脚は、あの子の脚だ

このシーンでスタートを切るサクの姿が、4話・最後のレースの時の亜紀とオーバーラップしていました。 絵本「ソラノウタ」でも、亜紀はサクの中で生き続けるというようなメッセージが残されています。
つまり、サクは亜紀と共に走ることを意味する散骨だったと思います。

「走る」というのはすなわち前向きに「生きる」ことであって、亜紀の死によって17年間佇んでいたサクが、喪失を克服してもう一度人生を走り始める(=生きる)という意味もあるのでしょう。
ドラマ版の散骨のテーマは「走る」ですね。

以下はみなさんの解釈です。(当サイトBBSの投稿より)

17年前、サクが見た最後の亜紀は、走ることはもちろん、普通に歩くことさえできない状態でしたよね。 そんな状態になっても前に進もうとしていた亜紀を、サクは応援していたんですよね。
自分の足でウルルの空を見たいと願った亜紀が還るのに、ピッタリの場所かなと思いました。
(ちかさん)

小さい頃から厳格な父親に…そして白血病に…17年間も何かから閉じ込められていた。
なのに最愛の人からも、小さいビンの中に…。
そして17年閉じ込められてきた世界から、最愛の人の手によって、一気に解き放たれる。
心の中で一緒に走りつづける。 (Fanさん)

陸上部だった亜紀,また一緒に走ろうと競技用の靴を級友から棺に入れてもらった亜紀, 2人で自己ベストの瞬間を分かち合ったサクと亜紀にとって, (原作の)校庭よりも運動場の方が「送る」場面としてはふさわしいと思いました。
心の封印を解いたサクが再び走り始める。そして,走り続けたその先に何を見たのか, 感じたのかを象徴するのがグラウンドで走りながら遺灰を撒くシーンなのかなと思いました。
(にわかマニアさん)

大人サクが遺灰を追いかけて走るシーン。 17年前で止まってしまったサクの「人を愛する気持ち」が、明希と一樹を愛おしいと思えることに気づき、「動き出した」ことを表現する演出だったと思います。
悲しいストーリーではあったけれども、それを乗り越えて前に進むことが本当の愛だよ…と教えられました。 (Kenさん)

*1/5追加

ウルルでの散骨は亜紀の遺言であるのに、なぜグラウンドでの散骨になったのでしょう?
健康な時の亜紀は、絵本の編集者になる夢を持ち、好きな陸上を頑張っていました。
それに対して「ウルル行き」は、難病に冒され、死の直前に願った夢。
朔は亜紀の1番の理解者なので、朔の選択(グラウンドでの散骨)はやはり正しかったのでしょう。
陸上が好きだった亜紀がもっとも輝いていたのは、グラウンドで走っていた時なのですから。
(疑問さんの意見を要約)


2004/10/17
2005/01/05 コメントを追加




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