セカチューの謎
"MYSTERY" OF SEKACHU-.
Q15. 最終話:絵本「ソラノウタ」の謎
絵本「ソラノウタ」に対する2つの謎を考えます。
ソラノウタ
生きていくあなたへ
もしもおまえが
枯れ葉ってなんの役に立つの?ってきいたなら
わたしは答えるだろう
病んだ土を肥やすんだと
おまえはきく
冬はなぜ必要なの?
するとわたしは答えるだろう
新しい葉を生み出すためさ
おまえはきく
葉っぱはなんであんなに緑なの?
そこでわたしは答える
なぜって、やつらは命の力にあふれているからだ
おまえはまたきく
夏が終わらなきゃいけないわけは?
わたしは答える
葉っぱどもが、みな死んでいけるようにさ
おまえは最後にきく
隣のあの子はどこに行ったの?
するとわたしは答えるだろう
もう見えないよ
なぜなら、おまえの中にいるからさ
おまえの脚は、あの子の脚だ
がんばれ
−ソラノウタ基本事項−
まずこの絵本は白血病患者・真島との合作と言ってもいいと思います。
真島の死後、遺品として亜紀に手渡されたスケッチブックに、亜紀が加筆したのが「ソラノウタ」です。
7話で真島が庭で木を描いていましたが、同じスケッチブックなのでこの絵本にも登場します。(
→公式サイト:画像)
9話冒頭。二人で婚姻届を書いてサクが病室を飛び出していった後に、亜紀が「10月23日…」とつぶやきながらスケッチブックを見つめるシーンがあります。
この頃から誕生日プレゼントとして渡す計画を立てていたのでしょう。
10話では絵本を執筆中の時の1シーンがあります(谷田部が見舞いに訪れた時)。
そして出発直前に絵本は完成。ウルル出発日でありサクの誕生日でもある10月23日に、誕生日プレゼントしてサクに手渡すつもりでしたが、渡すのを忘れて「忘れちゃった…」と駅でつぶやきます。
10話ラストで空港に置き去りにされ、それを空港職員が見つけ、おそらく運び込まれた入院先の病院に届けられたのでしょう。
最終話、亜紀の死後、真と綾子が亜紀の部屋を整理している時に、亜紀の自宅に届けられていた絵本がようやく発見されます。
表紙のウルルの写真を見たことで遺言を思い出したのか、両親はウルルでの散骨を決意。
そして
17年後、廣瀬家を17年ぶりに訪れたサクに、真が絵本を手渡します。
亜紀からのラストメッセージを受け取ったサクは、亜紀と共に走るためグラウンドで散骨することに…。
1. なぜ亜紀の両親はサクに絵本を渡さなかったの?
最終話。真と綾子はサクと一緒にウルルに行ったので、その時に「ソラノウタ」をサクに手渡しても良かったはず。
そうすればサクは17年も苦悩しなかったかも…。なぜ渡さなかったのでしょう?
当サイトBBSの投稿より。
亜紀が亡くなった直後は,サクはその状況を受け入れることができず,メンタルな部分で変調をきたしていることは誰の目にも明らかでした。
そういう状況で,遺品(遺書と言ってもいい内容のもの)を渡せるでしょうか。
ウルル行きにしても,その現実にいやでも直面せざるをえない行為です(だからサクと父親の取っ組み合いもあった)。
そう考えると,サクが落ち着いてからと考えても不思議ではありませんし,むしろ,その方が自然です。
ただ,それが49日や100日では済まず,17年もの歳月を要してしまっただけのことなのではないでしょうか。
(にわかマニアさん)
私は逆に渡さないでよかったと思います。
サクは「アキの死」を受け入れることができず、逃げている状態なので、その状態で渡されても立ち直れるかは疑問が残ります。
むしろウォークマンなどと一緒に封印される可能性も高かったのではないでしょうか?
17年後、真が「家に挨拶にも来ないやつに、渡してもどうかと思ってな」と言っているように、
家に来て遺影に手を合わせることができたら渡そうとしたのだと思います。
それができる状態とは、ある程度アキの死を受け入れられていると思うので。
(くれいさん)
なるほど。「サクが落ち着いてから」という真の配慮があったと考えるのが妥当でしょうね。
その目安となるのが廣瀬家での焼香ですが、結局サクは一度も訪れることなく東京に行ってしまった。
そのことからもサクが深い傷を負っていたことがわかります。それで17年間、渡しそびれていたと。
2. なぜサクへの感謝の言葉がなかったの?
”がんばれ”という励ましの言葉で締められていた「ソラノウタ」。
映画版のラストは「ありがとう」という言葉がありましたが、なぜこの絵本は「がんばれ」だったのでしょう?
当サイトBBSの投稿より。
サクは決して「感謝の言葉」という「見返り」を期待していなかったと思いますし,
こうした状況での感謝の言葉は,逆に,「以上,収支決算を打ちました。これにておしまい」というニュアンスになってしまいます。
それよりも,あの2人にとっては,名前を呼ぶことが,何より感謝の気持ちを伝えていると思います。
(にわかマニアさん)
無くて良かったな、と思います。
亜紀が残したテープのうち、ハッキリと感謝の「言葉」があったのは先生宛だけでしたが、両親・仲間宛テープにだって感謝の「念」は入っていたはずです。
当事者同士でその「念」が通じれば、わざわざ言葉にする必要はありません。
演出上も、その「念」があったことが視聴者に伝わればそれでいいのです。
どこでそれを読み取るかは受け手にまかされているなと。
(くぅぃさん)
「ありがとう」を書かなかったのは、2つ理由があると思う。
1つは、「ソラノウタ」のテーマの普遍性に対して、”ありがとう”という個人的な感謝の言葉を付加するのは、不整合だと判断したためでは。
絵本作りが夢じゃった亜紀には、亜紀なりのこだわり、美学があったんじゃな。
2つ目は、「今までありがとう・・・《これからは、私の分まで走ってね》」とでも書き残せば、
2人は永遠の別れというニュアンスとなり、サクの心情を慮った亜紀としては、「がんばれ」との前向きな言葉に敢えて止めたのだと思う。(もっとも、言われる側には辛いこともある言葉じゃな)
あのホイッスルを持った女の子と、「がんばれ」の言葉に、亜紀の知性と意思の強さ、それに、
サクに対しても弱みを見せたくない意地っ張りな性格が反映しとる、と勝手に妄想しておる次第じゃ。
(名無し侍さん)
最後に亜紀は、気持ちの上でサクと同化したのではないでしょうか?
「ソラノウタ」で、”お前の中にいる”と伝えている…
自分に”頑張れ!”ということはあっても、
自分に”ありがとう”ということはないでしょう?
(Capriさん)
ソラノウタはアボリジニの世界観を分かりやすく書いたものです。
アボリジニは死後、我々が一般に思うあの世とか天国に行くとは考えていないのです。
この世、現世で一緒に暮らすと考えているのです。
ですから、「天国であなたを見守っています」とはならないわけです。
ソラノウタは「私の身体がなくなっても見えないだけであなたの中にいる、一部となって人生をともに生きてゆく」という意味であり、それをサクに伝えるための本なのです。
ですからアキが生きていた証となるサクのこれからの人生に対し、「ありがとう」ではなく「がんばれ」となります。
(8月の蛍さん)
うーん、どれも納得できる解釈です。
「がんばれ」の直前に、
「おまえの中にいるからさ。おまえの脚は、あの子の脚だ」とある以上、
亜紀とサクは同化しているので、「ありがとう」という別れのイメージよりも、「がんばれ」(一緒にがんばろう?)の方がしっくりきます。
またアボリジニの世界観に則して考えても、絵本のメッセージは「共に生きていく」となるわけですね。
2004/10/11
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