世界の中心で、愛をさけぶ
セカチューの謎

"MYSTERY" OF SEKACHU-.  

Q21. 最終話:大人サクは亜紀と明希、どちらを想って生きていくの?


果たして大人サクは、亜紀を乗り越えて、心から明希と共に残りの人生を生きたいと思ったのか。
それとも亜紀を想い続けながら、一方で明希と共に生きていく道を選んだのか…。
そのことについて考えてみます。

[最終話]
走り終わったその時に、君に笑って会えるだろう

死後の世界で亜紀と再会したい、というサクの願い。
なぜこういう願いに行き着くかというと、

[原作]
死んだら同じお墓に入ろうねっていう。いつかまた自分たちは一緒になるんだって考えないと、 愛する人を失った人の心は癒されない。 こうした思いは、万古不易なものだろうっておじいちゃんは言ってた。
(原作 p.55)

愛する人がいなくなっても、残された人間は生きていかなくてはならない。 だから死後の世界で結ばれることを希望として、生き続けるわけですね。それが残された人間の救い。

そして最終話のラストシーンから推測できるのは、走り終わった(生き終えた)後の、死後の世界での亜紀との再会。 サクと亜紀には「永遠の愛」のようなものがあったと考えられます。

すると、小林明希は果たして愛されていたのか? 幸せなのか?という疑問が。

これはとても微妙な問題です。

大人サクが17年後の今でも抱える喪失感と、でもそれを乗り越えて小林明希・一樹と共に生きていく過程は、全11話を通して描かれています。 小林明希もサクの過去を知り、それを母性的に受け止め、そしてサクを必要としているわけですから、サクと共に生きれることは幸せでしょう。

でも一方で、「走り終わったその時に君に笑って会えるだろう」という言葉とラストシーンの再会を重視すると、 やはりサクと亜紀は強い愛情で結ばれていることがわかります。

「喪失の克服」か「永遠の愛」か、どちらを重視するかで解釈が変わってきますね。
ラストシーンのインパクトは大きかったですが、全11話として見ると前者の方がウェイトは大きいわけですが。

この微妙な問題について、解釈のヒントになるシーンが2話にあります。

[2話・写真館からの帰宅時]
(亜紀) すごいよね、40年以上も想い続けるなんて。
(サク) お婆ちゃんに悪いよ。
そうかな、純愛だと思うけど。
好きな人と一緒に暮らすのと、好きな人を想いながら別の人と暮らすのと、どっちが幸せなんだろうね。 一緒にいると、嫌なところもたくさん見えるじゃない。

何気ないセリフですが、よく考えてみると深いです。 サクは祖父と同じ道を歩むことになるわけですね。 亡き恋人(亜紀/サト)が忘れられないけれど、新恋人(明希/お婆ちゃん)と共に残りの人生を生きていく。

そして2話にもうひとつ、この関係を巡る問いが。

[2話・骨を盗んだ後の会話]
(サク) お婆ちゃんとサトさん、どっちが好きだった?
(祖父) どっちだろうね。
まあどっちにしても、ずっと一緒に老いていける人生もまた、素晴らしいもんだと思うよ。
おかげで、サクという素晴らしい運転手にも出会えたしなぁ。

この祖父の言葉は、サクが歳を重ねて祖父と同じぐらいの年代になった時に思うことと、重なるんじゃないでしょうか。

どちらか好きかは分からない、比較はしたくないけれど、明希と共に老いていける人生もまた、素晴らしいものだった、と。

そして「おかげでサクという素晴らしい運転手にも出会えたしな」というところは、そのまま一樹のことに重なり、”何かを失うことは何かを得ること”というこのドラマ全体のテーマを象徴しています。

失われるものもあれば、得るものもある。17年間苦しんで、でもそんな自分を受け止めてくれる明希、そして一樹と共に前向きに生き始めることができるようになった。 亜紀のいない世界に生きる大人サクにとって、それがベストの選択だった…と思いたいです。


2004/11/21




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