※当サイト掲示板に投稿されたものから抜粋。(もし迷惑な方がいたら削除しますのでメールでご連絡下さい)
■ 第5話「真夜中の対決」感想
私は今日までの放送で、やっと前作からの何かが消えました。
これからの展開、特に京本さんから目が離せません。
やはり・・10年で「高校教師」世界観全体の変化を改めて実感した思いです。
ほんと、もう来週が楽しみです。
4話まではずっと同じような流れで、それを5話でぶち壊した。とにかく違う流れを感じました。
窓ガラスを割る湖賀の姿好きです。
溜め込んでた気持ちを全て出すというか・・・百合子に抱かれていた時とは表情が全く違ったりして。
動いてきたなぁと思いました。
来週、どういう展開になるのか目が離せません。
全ての登場人物が「らしさ」を持ってきましたね。
4話までは理解できたし好きでした。
今回も湖賀と雛のシーンに救われた感じで、他はあまり入り込む事ができませんでした。
確かに紅子のシーンも真夜中の対決のシーンもストーリー展開に必要なものだろうし、それによって次回がより鮮明になってくるのもわかるけど、何だかな〜と思ってしまいました。
ちょっとオーバーだったのが合わなかった理由かも。
確かに待ちに待った急展開ではあったのですが・・・。
確かに急激に物語が動き出しましたね。
悠次を中心にした破壊活動的なグループの出現には驚きましたが、今までの野島作品にはない展開なので興味を惹かれました。
湖賀先生はやっと人間らしくなってきましたね。
本当になんか動き出した感じですね。
湖賀、藤村、悠次3人の展開が気になります。
ラストのナレーション。
「かすかに踏み止まって居られたのは・・・彼女という希望」
今までの様な淡々とした感じではなかったのが印象的でした。
これから郁巳の中での雛の存在が変わっていくのだろうか、そんな感じがしました。
前作の繭のファンの方には怒られそうなのですが、最近私の中で、郁巳の中のダークではなくピュアな部分に「繭」を思い出す時があります。
誰かに救いを求めたい、その切なさなのか・・・。なぜなのかはまだ分かりません。
湖賀が雛に時折見せる優しい視線や声なんですが、恐ろしい実験を忘れさせてしまうほどの力があって、 許されないことなんだろうけど、雛に優しく接する湖賀の痛々しい自己愛には妙に納得してしまう自分がいます。
自分を愛せない人間は誰も愛することは出来ないならば、実験という名の自己愛を知って、錯覚であろうがそれなくしては人を愛することはできないのではないか?と思ったりもしています。
5話というわけではありませんが、公式サイトの野島さんのコメント(左脳と右脳)で、前作は最初に構築したキャラクターは普遍的に変わらないが、今作はキャラに入り込んでいるので、同じ人間でも朝と夜では違う顔を見せたりする・・
というのを読んで、あらためて登場人物(特に湖賀)がつかみにくいと感じたのは当たり前と思ったりもしました。
公式サイトの野島さんのコメントで
「前回の高校教師は左脳で書き、今回の高校教師は左脳と右脳の両方で書いた」と載っていました。
だから、あんまり重くないんですね。
演出の効果ももちろんですが、なぜか「レイプ」や「拉致」といった重い展開であっても、全体的な印象は重く感じませんでした。
今回は依存に注目したいのでもちろん湖賀と雛をメインに見てますが、悠次の存在が野島さんらしい問題提起キャラといった感じで面白くなってきたと感じました。
退屈な日常の中で嫌気がさし快楽的に生きる悠次、退屈などとは言えない限られた時間の中で愛という希望で自分を持ち続ける湖賀、この対象的な二つをどう見せていってくれるのか僕もとても楽しみです。
あと藤村の言っていた、正反対の二つのタイプを求めてしまう気持ち、藤村らしいだけじゃなく妙に共感できてしまいました。
今日は何かもう気持ちがすごく重いです。いつも物語に感情移入して見てしまう方なので、こういう回は本当に辛いです。
野島さんのドラマは本当に人の心をイロイロな気持ちにさせてくれます。
それに役者さんの演技が入っている「ドラマ」であることは分かっていても、学校におびき出されたシーンでは腹が立ちました。
「いるよこういう奴!!オマエのほうが何にも分かってないじゃん!!」みたく思ってしまいました。
悠次はゲームに象徴される「子ども」の他愛もない世界から抜けきれないままの感情を引きずっているのかなって思います。
ある意味ピーターパン願望というか、大人になりたくない、みたいな感じなのかなって思います。
永遠は信じないと言いながら、永遠でない事を怖がっている感じがしました。
あたしは二重人格なのかもしれません。
一人のあたしは永遠の愛みたいなものを望むんですけど、もう一人のあたしはユウジみたいな、まさにゲーム的感覚を望んでいます。
ゲーム化すればするほど、傷つきもしないし楽なんです。
でもふと落ち着いている時のあたしは、その正反対で純粋な永遠の愛をもちたいって願望もあるんです。
今日はゲーム感覚のあたしが出てきて、すごくスカっとして大好きな展開でした。
悠次ほど完璧な「悪」はそうめったにいるタイプの人間ではないと思います。
ゲーム感覚で生きている人は確かに多くなっているのかも知れないですが、みんなそれなりにトラウマがあるはずです。
ただ、そのトラウマが以前のように“重い”ものではなく、社会が与えるプレッシャーであったり、ちょっとした人間関係のトラブルだったり・・・デリケートになってきたというか、悪く言えば精神的に貧弱になってきたというか・・
こうなってしまったのにも理由があるのでしょうが、みんながみんなそうでないことは断言できます。
トラウマがないとしたら、きっとゲーム感覚でしか自分を盛り上げることが出来ないやつなんじゃいかな。
私は16歳なんですが、少し意見を言わせて貰います。
みんながみんなという訳ではありませんが、悠次はやはり今の若者の象徴なのではないでしょうか?
窓ガラスを割るシーンがありましたよね。
私だってできるもんなら学校の窓ガラスをバーンっと割ってやりたいと思う事があります。
でもそれは、ちゃんと理性で止めてあります。
ただ、悠次は人間として「それはできないだろ」と理性で止めるべきことを実際にやっている・・・ただそれだけではないでしょうか。
ただ、こんな世界に生まれて、「ゲーム感覚で楽しまなきゃ損だ」そういう風に感じて、それを理性で止めることができす、実行しているだけではないでしょうか。
僕も最近の若者にあるトラウマというもの自体が昔とは変わってきているのではないかと思います。
そう考えると悠次はトラウマなどないと言っていましたが、本人でさえ気付かない様な小さな出来事の重なりという意味でのトラウマならあるんじゃないでしょうか。
退屈な日常の中でモラルに縛られ健全な生活をしていても、大きな感動も感情の起伏もない、それを痛いくらい何度も感じとってきた結果の今の彼かもしれませんし。
悠次みたいに、縛られずに快楽的に(ゲーム感覚で楽しく)生きたいとか、破壊的行動に出てみたいという欲求は、若者だけに限らず、多くの人が心の奥底には持っているような気がします。
それを抑えているのがモラルだったり、理性だったりで。
そんなものを極端に象徴的に「悠次」という人物で見せていると思うので、あまり背景に理由付けはないんじゃないかしら。
一見似ているような藤村と悠次は、実は正反対なような気もします。
たぶん常に「愛」を求めている人間と「愛」なんて言葉すらない人間。
そして湖賀と悠次も。永遠を信じない人間と永遠がない人間。
こちらは正反対だけれど、プラスとマイナスのように引き合うものもあるような気がして・・。
第5話でよくわからないことがあります。
悠次のナイフはどうしておもちゃだったのでしょう?
湖賀が追い詰められた時にナイフに手を出すと見越して、絶望する湖賀の顔が見たかったのでは?
悠次は仲間に指令を送るだけで自分の手を汚す気はないのかも。
やみくもに本物のナイフを振り回せば法に触れることが十分に分かっているだろうし、知能犯だけあってそんなバカではないんでしょう。
だからあの単純そうな三人組もまた、表面的には仲間だけどただチェスの駒のように利用してるだけなのかも。
試したんでしょうね。湖賀がこっちの世界にこれる人間かどうか。。
いくら追い詰められたとは言え、普通は他人の手のひらにナイフをつき立てられる人間なんて、そうそうはいないですもんね。
5話を見終えた感想ですが、一言で言いますと、これからがすごい楽しみになるんじゃないかなという事を思いました。
かなり野島さんのドラマらしく賛否両論のある良質な作品になってくるのではないかと思います。
見ていて分かりやすさも分かりにくさも、両方楽しめるような雰囲気ができてきたと思います。
それに、これまでとは違いキャラクターの個性がはっきりと出てくるようになりましたしね。
特に、悠次と藤村がはっきり出てますね。私には、2人が物語の鍵を握っているような気がします。
悠次は完全なる悪そのもので、藤村は悪なんでしょうが何か裏がはっきりとある悪という感じですね。私はそう見ました。
湖賀も悠次たちのグループに行きかけましたが、雛の存在がそれをストップさせる形になりましたね。
今週の放送の段階では、雛への気持ちが依存なのか愛情?なのかは分かりませんが、少しは心が雛に向いてきた?というように私には見えました。
とりあえず今の段階では、湖賀と雛の関係と悠次と紅子の関係を見ているよりも悠次と藤村の悪魔的な存在の2人を見ているほうが私にとっては、すごい惹きつけられるものがありますね。
動き始めてきたけれど、より感覚的になってきた感じがしました。
すべてがデフォルメされて。その分細かな説明とかは極力省略され、現実味がないとか、展開が強引とされるのはそれが原因かな。
言い方悪いけれど、好き、嫌いは分かれるでしょうね。
確かはじめに演出の方が「一種の群像劇」と言ってたと思うんだけど、人物が絡み合ってきましたね。
藤村は、紅子に自分を見ているんでしょうか。
真美は悠次ほど、「理由ない悪」は感じないけれど。
5話の前半部分、湖賀は今までと微妙に変わってましたね。そして、夜の学校で・・。
湖賀的には、あっちの世界に行った方がラクになれますよね。
ガラスを割ったのは、あっちの世界に片足突っ込みかかったのでは?
でも、踏みとどまったのは、雛の存在。彼女の存在の意味が変わっていくんですよね。
その辺の描写は後からではないかと思います(湖賀の自殺行為や女医との関係など、後からの説明が多いような)。
最後、湖賀が薬を噛み砕いて食べたのは「生きたい」気持ちの表れなのでしょうか。
■ 第4話「哀しいデート」感想
このゾクゾクする展開、待ってました。キャストの良さが際立ってきましたね。
「嘘」が、今後誰にどんな悲劇をもたらすのか楽しみです。
4話のエンディングで、初めて「ぼくたちの失敗」が違和感なく聞けたなぁと感じました。
4話目になって、やっとこの世界に違和感なく入れるようになったと思います。
私は鏡のシーンがよかったと思います。
あと、なぜか最後の手首の傷のところで悲しく寂しくなりました。
私も第4話とてもよかったと思います。
暗いシーンが続いた中で、今日の遊園地の楽しそうな雰囲気に心底ホッとしました。
それはきっとこれから起こるであろう様々な出来事を、より一層強烈に印象付ける役目をしているに違いないのだけれど・・・。
雛に向けたの湖賀の言葉が心に残りました。
雛を励まし守ることで自分の生きる道を見出し、また、雛に頼られることで自分が存在する価値を見出す。
少しでも苦しみから逃れたいという気持ちからこの実験を始めてしまった湖賀だけど、雛のまっすぐな心に触れることでどんどん変わっていくような気がするし、そうあってほしいと願っています。
今までは、お互いに依存したとしても雛の方がまだ愛情的な部分があるかなといった感じですが、実験の影響で逆に人間らしさを取り戻せる湖賀が、雛を愛しく思っていく雰囲気が出てきた様に感じました。
人物設定や実験への経緯といった説明的で淡々とした3話までと違って、キャラも感情を持った人間としてずいぶん動きだしてきた様に感じます。
ラストの手首を掴んで鏡に向かった郁巳の目は、今まで鏡を見ていた目と違いましたね。
郁巳の中で何かが変わった感じがしました。
遊園地の鏡のシーン(スワンレイクでの自意識の国?)、僕は良かったと思います。
どこを見ても自分だけ、一人だけ。
まさに湖賀の心境を表すように、自分の苦しみを理解してくれる人は誰もいない。
そんな孤独の中、向かい合う湖賀と雛。
外見は全然違うけれど、同じ苦しみを理解する二人。
外見ではなく心を移す鏡。
向かい合ったときも二人は鏡を見ているようだった。
そして、そこにもう一人の自分がいることを確認し、少しホッとする。
そんな感じのシーンだと思いました。
回を追うごとに、引き込まれていくものがあります。
ジェットコースターの階段を上がる雛に向かって湖賀が言葉を叫ぶ、あそこで私は初めて湖賀に「生」を感じました。
それまでの湖賀は、苦悩、死への恐怖に胸が痛くなることはあっても、何か「無機質」で「生」を感じなかった。ここで何かが変わったんでしょうね。
湖賀と女医の関係(突然始まったので、あれは以前からなんですよね)、紅子が悠次に溺れていく過程、藤村が悠次に殴られるまでなど、説明的な描写がほとんどないために、わかりにくいという人もいるけれど、そういうものをわざと抜かしていっているような気がします。その分、心理的なものが多いのかな?
郁巳にとっての百合子とのセックスは、逃避もあるのかなと思いますが、生の実感もあるのかなと思います。
診察室の郁巳の台詞に「夜が恐かった〜肉体を持っているという実感が薄れていく、僕が僕でなくなりそうになるんです」とありますが、相手の体温に触れ、求めることで、自分自身を実感できるのではないのかなと思います。
ただ、今まではそうだったのでしょうが、これからはどうなんでしょうね。
橘百合子の意図はよく分からないです。より自分に依存させる為なんでしょうか?
頭をなでたり、裸で横たわる郁巳に布団を掛けるシーンは男女というより母と胎児のようでした。
嫌悪感は母子相姦を感じるからなのかなと思ったりしましたが、ん〜難しいです。
百合子の横で安らかな顔で眠る湖賀を見ていると、この安らかな夜を手に入れるためなら、何でもするんじゃないかなと思いました。
百合子の心理はまだ、謎ですね。
4話は、今まで一番よかったです。
特によかったのは紅子で、「心を見抜いて欲しかった」みたいなセリフを藤村先生に言ってるところです。
凄くわかるような気がして、ぼろぼろ泣いちゃいました。
紅子にとって、それがホストだったわけで、そういう人を見つけた。
ただそれだけなのに、人が悪かったと言うか、来週から相当不幸になる。可哀想です。
それにしても藤村先生、今は熱心な先生に変わってますね。
紅子をあんな熱い言葉で説得するなんて意外でした。
前回の学年主任でさえ「それじゃ、退学ということでよろしゅうございますね?」で終りだったのに〜!
10年の間に何があったんでしょう?
紅子が藤村先生に「見抜いて欲しかったの・・」と震えながら言うシーンなんか引き込まれました。
やっぱり藤村先生が気になるんですが、紅子の強い孤独と、誰かに必要とされたい思いが藤村にもあるんじゃないかと。
自分を必要とし、愛してくれる誰かを強く求める紅子に、自分と同じものを感じたのか、 あるいは藤村がずっと求めていた女性は紅子なのかなーとも思ったりしました。
藤村先生にも見抜いて欲しいという願望はありそうですよね。
それを素直に表現する紅子に感化されて変わっていくのでしょうか?
なんというか、ひとつひとつの小さな言葉やシーンに深い意味があるようなないような・・・
隠された意味があったとしても、ちょっと分かりずらいよぉ。
意味がなくても、それはそれで今度は物足りないだろうし。
だから物語に着いていきづらい。
どうなんですかね、、、前作のと比べるとやっぱり今回のは「面白くない」んですかね。
前作のは再放送で見たんですがはまりましたね…。
んで、面白いんじゃないかと今作のを見てますが、イマイチ…と思うところがあったりします…。
前の高校教師のイメージが強すぎるんではないですかね…。難しい問題です…。
今の前半部のところが後半部への「フリ」になるのは分かるが、それでも今までのところが後半の物語にかけて効果的に働くとは思えない。
高くジャンプするためには、深く沈まなければいけないわけで。
思いつくところでは、高校教師('93)や、未成年、この世の果てでは、前半部と後半部が綺麗にコントラストがとれていた作品だと思うけど、これらの前半部は大好きだったです。
今作のプロット、特に湖賀、ホントに悪魔的ですね。。。
(僕は、野島さんの歪んだダークサイドが大好きなのでアレですが)
今の視聴率は、このストーリーに関して妥当かも、と思ってしまいます。
「人間は生まれてきた時は自分の意思ではない、だから死ぬ時も自分の意思で死んではいけない」。
これの反対の言葉は、
「人間は生まれてきた時は自分の意思ではない、だから死ぬ時ぐらいは自分の意思で死んでもかまわない」となるでしょう。
もちろん、自殺という事が良い事だと言っている訳では決してないのですが、これって、その人の置かれている状況によってはある意味あり得る言葉なのかなぁという気も・・・・。
死は運命に委ねるべきか自己決定で許されるのか、別にどちらが正しいとも言えないでしょうね。
前者は自殺防止のための一種の道徳律みたいなもので。
でも(物語は別として)リストカット症候群とか、2話で語られてたような死を重く考えない10代に向けての野島さんからのメッセージと考えれば、私はとてもいいと思いました。
あのシーンは感動しましたぁ・・・
一生懸命にあの言葉を言ってくれたってことに感動です。
なんか、そんなことを懸命に言われたら、死んではいけない気がしません?
ちなみ僕はあのセリフ感動しました。
自分の意志で〜と言うところは、僕自身自殺を一概に否定できないと思ってるし、あの言葉だけを聞いても感動できなかったかもしれません。
だから言葉自体というよりも、湖賀の自分への叫びみたいなものに感動されられたんです。
湖賀は自分の意志では死んではいけないと自分に言い聞かせることで、今までバランスを取っていたのではないでしょうか。
残念な事にあのセリフ、湖賀は結局ただ単に自分に対して言ってるダケですよね。
ホントに自殺を止めたいんだったら、“君は病気じゃないんだ!”って、嘘をついてた事を真っ先に言うハズだし。
『自殺なんていけないよ』と言う前に、テメェーが騙してこーなってんじゃねーかっていう。
(雛に説得するシーンは)実験を行っている悪魔的な湖賀のキャラからして、病気だと嘘をついてしまった事で雛が自殺をしたら困るという保身的な罪悪感にも見えますが、不思議とそうは感じませんでした。
自分自身の経験からくる悲痛な叫び、同じ苦しみを共有している人間をせめて救いたいという気持ちだった様に感じます。
それが一方では自分への叫びであったとしても、僕はやはり暖かい言葉だなと思います。
雛は本当に風船を取りに登ったのでしょうか?
雛は、ある意味落ちて死んでもいいと思っていたのではないかと思います。。
積極的な自殺ではないにせよ、死んでしまってもいいやといった感じで、登り出したのではないかと思ったのですが。
彼女を必死で探し、やっと見つけたら、鏡の向こうの自分に叫ぶようにあのセリフを言った湖賀先生の姿は、やはり心に残りました。
感動したと言うのとも違うのですが、寂しさと優しさと切なさを混ぜたような、そんな思いが込められた台詞だと感じたのです。
■ 第3話「眠れないふたり」感想
野島さんのドラマは大抵主人公が情けなくって、相手の女の子が素直で健気ですよね(謎を抱えてても)。
もしかしたら、主人公は野島さん自身の弱さで、女の子は理想なのかな・・と3話見てて思いました。
あの嘘はリアリティに欠けるものがあると共に、残酷なものであり、見ている方としてはあまり良い気がしませんね。
あの嘘は偶然の産物と言うか、計画的なものではなかったんですよね。
でもまあ、教師や医者があんな嘘を・・という点で2人はすでに普通じゃないわけで・・。
前作のドラマとの比較を抜きにしても、今回は物足りなさや印象の薄さを感じてしまいます。
初回はまだ様子見で判断はしませんでしたが、3話の放送を見てそれが確定的になりつつあります。
配役の力量にもよる所も多少はあると思いますが、話の流れ的にもあまり心を動かされません。
当時との自分の環境や心境の変化がそうさせてるのも一因かもしれませんが、それを考慮しても尚、話に何か物足りなさがあるような気がします。
前作では衝撃的なシーンが多くて多少興味本位的な所もあったかもしれませんが、それでも毎回はらはらしてました。
今回は設定の無理さにも首をかしげます。
主人公が病気だと先生が嘘をついてそれを信じる所はまだ許すとして、女医までもが嘘をつくという。
やはり何か物足りなさを感じてしまいます。
「嘘」については、ちょっとムリがあるかなとも思ったけれど、「あれは冗談だった」といえば終わると湖賀が言っていましたね。
すぐばれるはずの嘘だったのが、思いがけず、そして、実験へ・・なんじゃないですか。
女医さんもそういう意味ではただの主治医ではないようなので・・。そしてこの嘘もそれほど長くは続かないのでは・・。
確かに「君は一人じゃない」のところは私の心には感動がなかったんですよね。
そこはそもそも感動する場面じゃなかったんですね。
ただ同じような苦しむ人間を側に置いておきたい、ただそれだけなんだと思います。
残酷な実験ですね。でも、私は湖賀の行動わからないわけでもないな。
全て順調にいってたのに、突然死を宣告されて悩み苦しんでも婚約者にも相談できない。
想像を絶する苦しみだと思います。きっと仲間が欲しい。
同じ苦しみを持つ者を見て、少しでも救われた気になるかもしれません。
>彼女の苦悩や絶望を見て癒されていく。
確かに残酷でモラルに反するかもしれません。
でも、私はそこに人間の本質を感じます。
共感はできませんが、その部分は私の中にもあると思っています。
前回の藤村も、その行為は人として許されるものではないと思いますが、藤村の背負うものは理解できます。
この先、雛についてる嘘が(もし)ばれた時、湖賀はどうなってしまうんでしょうね。
今はまだ、野島さんが散らばしたパズルのピースを拾っていってる状態です。
死を目の前にし絶望した人間が、感情豊かに通常の人間関係を続けることはやはり至難の業です。
一人でも巻き沿いにしたいという悪魔の心を持っても、なんら不思議なことではないです。
死を見つめることの恐怖と狂気は経験しないとわからないと思います。。それを演技でというのは、少々難しいかもしれませんね。
私自身も死を見つめて狂気と恐怖を体験した人間ですが、今考えると人間じゃなかったような気もします。
3話まで観たところ、依存のキーは湖賀も雛も相手が「唯一の理解者」って事ですよね。
ここまではっきり依存の元があるって事は、逆にもしも湖賀が本当に死ぬなり、湖賀が嘘をばらすなりして「唯一の理解者」ではなくなった時に、そこに愛があったのかが問われる気がします。
もしもそうなったら二人は相手をどう思うんだろうって、ふと気になりました。
静かに静かに動き始めているのが、逆に怖い。
そう、湖賀の恍惚とした喜びの表情は、残酷で・・。不安定な世界に入り込みながら・・。
私も湖賀に共感はできないけれど(というよりわかるようなわからないような混沌とした気分)、深く考えながら見ています。
「鏡の中の自分」プールのシーンもそう、水面に映る自分なんですね。
アクリルボードに映る自分、数式を解くことに陶酔している自分。今は自分しか見ていない・・。
そして「眼」何を見ているのか、何に見つめられているのか・・。
藤村先生も何を見ているのでしょう。
誰の考えていることも、今はわからない。わからないからこそ、見たいのです。
ドラマ全体の世界観ということで言えば、抽象的というか固定されていないように感じます。
それが逆に胸の奥に突き刺さるというか、物語の世界に僕は引き込まれてしまっています。
雛と湖賀先生の関係は、果たして愛と呼べるものなのか。
二人の依存し合う関係は、純愛とは違ったもののようにも感じられますが・・・
二人ともお互いにまだ、恋愛感情を抱いてはいないようですし。
今回は「必要」(I need you.)がテーマだから、恋愛感情にはいかない可能性もあるんじゃないかな?
誰しもが恋とも愛とも呼べないような感情。
心の触れ合いもセックスもありで、でも燃え上がる喜びとかではない。今回はそこに注目してます。
「淋しい雲」いいですね。
曲調は明るめなのに、淋しさが伝わってくる・・
この独特の雰囲気がそうさせるのでしょうか?
すっかり勘違いしていました。
3話の土管のシーンでは、湖賀は本当の事を言おうとしてたんですね。
君は病気じゃないと。
ところが、深夜の電話で自分と雛が重なっていると気付いた時に、君は一人じゃないと言ったんですね。
冒頭のナレーションから察すると、土管の中で郁巳は雛に真実を話そうとしたと感じました。
「君は、病気じゃない。君の勘違いさ。病気なのは、この僕の方さ。もうすぐ死んでしまうのは、この僕なんだ・・・」
というような事を言おうとしたと。
あの時の郁巳の微笑みは、諦めに近いようなものだったのではないでしょうか。
諦めて、雛に真実を話してしまおうとした。
だから僕はあのシーンで警官が現れた時、なんか緊張の糸が切れたというか、体中の力が抜けるようだった。
でもだからこそ、あのラストは衝撃的でしたが。
今作はとてもリアルですね。心理描写もすごく緻密ですし。
ただ、それが目に見えない形だからきっと一般受けしにくいのでしょうね。
視聴者の感受性に委ねてる部分が大きいというか。
野島さんが右脳と左脳を合流させて描いているだけあって、素晴らしい作品ですね。大好きです。
野島さんが感情移入して描けば描くほど、感情移入しづらくなる視聴者の方もいらっしゃるのでしょうか・・?
だとしたら、少し淋しいですね。
ここまでの流れ、とても静かですね。
私は今回、湖賀郁巳に共感するというより、彼の心理を考えながら物語に深くはまりつつあります。
雛を観察している郁巳を観察している、そんな感じです。
高い知能をもち容姿に恵まれ、おそらく経済的にも恵まれた郁巳は、なにかを失うということをあまり感じることなく生きてきたのでしょうか。
だから、この現実にたえられない、現実を受け入れることができない心が、解離しつつあるような気がしています。
昼間の郁巳と夜の郁巳。昼間は普通に他人と会話し物を食べ、時には笑ったりしている。
しかし、そんな自分を、なにもかもリアルに感じられないもう一人の自分が冷めた目で見つめている。
そして、リアルに恐怖が押し寄せてくる夜。
目を閉じて眠りに落ちるのが恐い、このまま二度と目が覚めないのではないのか、自分の存在がなくなってしまうことへの恐怖。
そんな郁巳にとっての実験の意味、自分のことを完璧に理解できるもう一人の自分。
その事に気付き震えるような感動を覚えた時の郁巳の喜びの表情を見て、ゆっくりと物語が動き始めたような気がしました。
鏡の中の自分。プールの水面に映る自分。
自分しか見ていなかった郁巳が、もう一人の自分を映した鏡であったはずの雛との関わりで、どうなっていくのかとても楽しみです。
■ 第2話「先生の秘密」感想
今回の湖賀先生の「愛とは理解力だ!」の言葉に“グッ”ときました。
もうそれからのめり込むように見入ってしまいました。雛の陰と陽の描き方もいいものがありましたね。
やっぱり「高校教師」。2話にて早くも世界に引きずり込まれてしまいました。
PS:今回使用された森田童子の挿入歌「君と淋しい風になる」は、前作で繭の近親相姦が発覚し、羽村先生がショックを受けるシーンに使用されていましたね。
湖賀は、自分と同じ苦しみを分かち合って欲しくて、雛にとんでもない嘘をつきましたね。
前作の二人の時とははちょっと違う様な気がします。
前作は信じるところから始まりましたが、今回は嘘をつく事から始まりましたね。
もしこの嘘がなかったらこのドラマを見なくなったかもしれません。
それぐらい強烈でしたね。もしかしたら前作以上も・・・
僕は今回の嘘は残念だったな〜
前作の羽村先生には開けっぴろげすぎるほどの嘘の無さというか不器用さに、危うさと共感を持って観ていたのですけど、
今作の湖賀先生には今のところ感情移入できずに、「こんな犯罪的な嘘って、いくら自分の苦しみを分かち合うという大義名分を立てたとしても人間としてどうなのかな?」と、個人的な感情としては疑問に思うばかりでした。
湖賀先生の嘘は、人の命の尊さを利用する様な形になってしまいましたよね。
前作の繭と羽村先生は、お互い純粋で無垢というか、限りなく透き通った心の持ち主で、打算や欲というものとはほとんど無縁である様な、ある意味似た者同士といった感もありましたが、湖賀先生に関しては、今の所、そういった透明さを感じる事ができません。
物語が進むにつれて、そういった彼を雛がどう愛し、変えていくのかにも興味がいくところですが・・・
人間的にも許されないと僕も思いますが、湖賀に感情移入できないと辛いでしょうね。
湖賀の心象描写が何か少ないですしね。
羽村先生は、朴訥で純粋で不器用な故に、いろいろなものを失っていく過程が描かれていたので、共感しやすかったですね。
湖賀先生は、病気で全てを失い(捨てた?)、絶望の中にいる混沌とした状態から始まっているので、まだ感情移入しづらいんじゃないですか・・。
かおりとの会話や、ときおり雛に見せる顔で、病気以前の彼の人間性が垣間見れるような気がします。人の内面は複雑で・・。
雛についた残酷な嘘。許されないでしょうね。
でも、私も自分がその状況に置かれたら、わからない。
「本当に理解してくれる人がほしい」。これは誰でも持ってる感情で・・。
野島さんいうところの「前作とは全く逆の愛の形」、見たいです。
私も湖賀先生の心理描写が足りないような気がしていましたが、まず今回のドラマは彼自信の秘密が物語を引っ張っていくのだからあまり彼の心理を描く事はできないのかなと思いました。
また、2話で雛に残酷な嘘をついてしまった反面、彼の本来の姿を垣間見れるシーンもあったので、主人公に感情移入し面白くなるのはこれからこれからだと思いました。
半年後には死んでしまう自分の苦しみを共有してくれる「完全なる理解者」をつくるっていう設定はいいと思うんだけど、雛をだまして勘違いさせるっていうのには、正直、ぜんぜん重みがなく、ずいぶん安っぽいと思いましたがどうですか?
そこだけはストーリー的にも強引だし、あの騙すシーンだけ変に浮いてて違うドラマに見えた。
この設定は私は少し微妙かもと思いました。
もう先生は必ず死ぬということを知りながら、これから見ていかなくてはならないのが辛いです。
しかも最初から二人の関係が、生徒を騙した教師と、死ぬと告知された生徒という、かなり普通じゃない関係なところが・・・
これから二人は一体どんな恋愛をするつもりなんでしょうか。。
二人で死という重大な問題を抱えながら、その苦しみを分かち合いながら、残りの人生を生きていこうというドラマになるんでしょうか。。
衝撃はないけれど、ゆっくりと流れるようにすすんでいく・・それがかえって怖い。
1話のような細切れ感がなく、湖賀や婚約者の心情が胸に痛い。
何に救いを求めるのか、雛についた嘘は許されることではないのかもしれないけれど、わかるような気もする。
死を前にした時、残りの人生を悔いなく生きようなんて簡単に割り切れるものではない。
たぶん、まともな人間だった湖賀が壊れていく。
今はまだ雛は利用される存在で、それが愛に変わるのか、残酷な愛のような気もするけれど、2人はどうなっていくのでしょうか?
ラストの救われたような何とも不思議な湖賀の表情が印象的でした。
出演者全体が感情を押し殺した感じで、これが演出なのか、力不足なのか、私にはまだはかりかねます。
シリアスさもそれほど感じないこの淡々とした雰囲気は、今回初めて左脳&右脳で書いてるからなんでしょうか。
とすると、感情を押し殺してるのは演出と考えた方がおそらくいいんでしょうね。
私としては新境地で良かったです。
見る人によっては退屈に受け取られるかもなぁと思いましたが…。
私は、初回に比べ昨日の第2話は、かなり感情移入して見る事ができました。
野島さんの書きたいものがすごく伝わってきましたし、演出の方も良かったと思います。
役者の演技もいきいきしていましたし、何か違和感のようなものがすっきりしました。
今回は派手さや過激さよりも、人間の内面をよりリアルに描こうとしてるのではないかと個人的には思います。
前作のような純愛とはまた違う形で愛というものが描かれていくのではないかとも思っています。
それに、前のようにストーリーをどんどん動かしていくというよりも、登場人物の感情に合わせて物語も進めているような気がします。
だから、初回がものすごく不可解で分かりづらく思えたのかもしれません。
もしかすると野島さん自身が確信犯的にそうしたのかもしれません。
考えすぎかもしれませんが、前作の呪縛も解くためにそうしたのではないかと・・・。
それに、すごく淡々としてて、暗さもほとんどないんですが、おそらくその中に野島さんの伝えたいものがあるような気がします。
■ 第1話「禁断の愛、再び」感想
ほんと実験ってなんでしょう?
10年前のあの凛とした雰囲気が、羽村先生と繭ちゃんがまだそこにいるような懐かしい、ほんとあの前作の続きが始まった、そんな第1回でした。
藤村主任、飲み屋で羽村先生の話をし始めた時は、「お願いだからその後の話はいわないでー」っとドキドキしてしまいました。
前作は、私自身も50年生まれという事で、繭ちゃんと同じだーっと表面的な部分を見ていましたが、今回はしみじみと、底の方まで見れたらな、っと思います。
待ちに待った「高校教師」がスタートしましたね。
10年前と、どうしても比較してしまうかもしれないけど、これは全く新しい「高校教師」であるってことで、先入観なしで見るのが良いと思う。
あの頃とは時代背景も違う訳だし、なんと言っても、野島さんも「ただ駒を動かすのではなく、自分の感情も織り込ませる」みたいなこと言ってたし。
賛否両論があると思うけど、私は今回の「高校教師」もとっても大好きです。
キャストもはじめは「どうなのかな?」って思ったけど、きっと野島マジックですね、ちゃんとマッチできてると思う。
それに以前の「高校教師」につながるセリフやエピソードも散りばめられていて、心憎い演出ってかんじ。
音楽もすばらしいと思うし。
これから毎週金曜日が楽しみでしょうがないです。
今度はどんな究極の愛のカタチを野島さんが見せてくれるのか。
はじめまして。高校教師('93)の大ファンのなおです。第一話見終わりました。
・・・あの前作の第一話目の「ハマったかも!!」にはならなかった・・。
自分の中で前回のは越えられないって強く思ってしまってるからでしょうか??
でも超えられないですなぁ、あんな切ない可愛い作品は・・。
私も前回とは切り離して見ています。(無理やり)
野島さんもまったく違うと言っていたし、ただ京本さんが言っていた通りまだ序章だそうなので、これからの展開に期待したいと思います。
でも「高校教師」ではなくまったく違う題名で、主題歌も違っていたとしたら、見方が変わっていたかも知れません。
まあどちらにしてもあまり分析してみるのは苦手なので・・・
ドラマはやっぱり単純におもしろいか、おもしろくないかだと思っています。
一言では言い表せませんが、とにかく素晴らしかった。
なんというか、とてもリアルでした。
きっと右脳と左脳を合流させて描いているからなのでしょう、写実主義・現実的といった意味とは違うリアルを感じました。
セリフとセリフの間の沈黙が濃密というか、見えない言葉にとても深さを感じました。
野島さんのおっしゃる通り、今作は最高レベルの深度に達するでしょう。
初回はいろいろ説明部分が多く加えられているので仕方ないですが、もう少しゆったり感がほしかったように思えました。
それにしても藤村先生はいい。いるだけで高校教師的雰囲気がありますね。
全体的には、まだまだこれからという感じですが、雛のセリフにグッとくる言葉がなかったような…。
やっと1話見終わった!すごく楽しみにしてたんです。
実は私、雛と同い年の17なので、どきどきしながら見てました。
前作を見てなかったので今作とどう違うのかとかよくは分かりませんけど、雰囲気というか空気というか、なんか不思議ですね。
今まで見てたドラマとは違うなあ〜。
彩ちゃんが言ってた言葉でいろいろ考えてしまいました。
平凡な自分が嫌みたいなこととか。とにかく見終わって疲れた。
1話見終わりました。
前半15分位は何のBGMもなく、ずんずん進んでいましたが、中盤の湖賀先生の冷たそうな雰囲気に少々戸惑いを感じていました。
最後の公園の2人の和やかな雰囲気に「ほっと」しました。
気がつくと前作の1話と同じ雨のエンディングでしたね。
どうしても、前作との共通点を見出そうとしていることに気がつき、「仕方ない」のか、「こういうものなのか?」といった風に自問自答してしまうのが1話を見終わった正直な気持ちです。
楽しみにしていた高校教師を初めて見ました。
私は前作の高校教師は見た事がないので、前作と今回の作品を比較する事ができないんですが、
思っていたよりも、1回目だけを見た印象では、そんなに暗くないなというか過激な感じはほとんどしませんでした。
前作の高校教師を見た事がある人に聞くと誰もが口を揃えて、過激だと言ってたんです。
ですが、昨日見ただけで、まだ良くは分からないんですが、透明感というか爽快感さえ感じる内容のように思いました。
前作は左脳だけを使って書いて、今回は右脳も使って書いてるようなので、そこにも少し関係があるのではないかと思ってます。
右脳で書いてる野島さんの作品はあまり暗くはないですからね。
まだ初回が終わった所なので、これから話しがどのように展開していくか分かりませんが、心に残るような作品になって欲しいと思ってます。
1話見ました。全部モニターから目を離さず見ましたが、前作のような究極な刹那さがあまり感じられませんでした。
まだ始まったばかりだからなんとも言えませんが、やっぱりいかに役者に感情移入できるかなんでしょうけど、それも上手くいきませんね。
でも予想通り京本さんの演技には前作の影響もあるでしょうが、思いっきり引き込まれました。
一番印象的だったのが京本先生が「10年前も君と同じような先生がいた」みたいなセリフをいった所がどきっとしました(裏返せば前作をひきずる自分がいるのですが)
でも製作者側もそれを意図してるんでしょうね。
あとチーマーとかホストのシーンが出るとやっぱり何か違うなみたいにちょっとさめてしまいます。
シリアス度も前作よりは明るめな印象をうけました。シリアスさを求める自分も変ですが。。
彩の貧血シーンで使われたCG、あれはナシだよって感じです。
あのドラマで、ああいう場面でCG使う必要ってあるんだろうか。
ドラマの質が落ちるので、もうああいう小細工はいやだな。
同じくあのCGは納得できません!
もうちょっと…何とかならないものかと感じました。
私も第一声は「ウソ!野島さんの作品がっ!!」でした。
わたくしはCGはあれで良かったと思います。
視界の中が極端に醜くディフォルメされて壊れていく表現には、野島氏のイメージ通りに創るのは時間がかかっただろうなあと感じました。
最初のCG、変質者の手の効果音、最後の子供が遊ぶシーンにとても違和感を感じました。来週からは演出が吉田さんになるようで、ああいうのはなくなるかな?
新しいドラマとしてみたら、結構入り込めるかな、ビデオで見直したら、そう思ったんだけど・・。
でも、いい感じで見てても、音楽聞こえてくると、どーも、前の2人が浮かんできちゃうんですよね。
音楽は違っても良かったんじゃないかな?
公式HPに、脚本の一部載ってたけれど、郁巳の「ビー玉の瞳」とか野島さん、眼にこだわってる?
野島さんのいう、「10年前の自分に挑戦」に期待して、まだとらえどころのない湖賀も見えてくるだろうし、後半は壊れるというし、実験によって雛はどう変わるか、これから楽しみたいです。
今回の「高校教師」を観てすっかりはまりそうな感じです。
やわらかさの中にある狂気のようなものが感じられます。ぼんやりしている中に何か怖いものが潜んでいる。
日常生活の中で見落としてる歪みを暗示しているみたい。
少し厳しい意見かもしれませんが、第1話を見た限りでは、まだはっきりと、野島さんが何を書きたいのか、何を伝えたいのか、あたしには、伝わってくるものがありませんでした。
まだ、序章ですから、何とも言えない所があるんですけど、正直言って、分かりづらくて感情移入しにくい部分が多かったです。
それに、野島さんの遊び心かもしれないですけど、感覚的すぎてイマイチ意味を理解できない場面もあったので、もう少し哲学的な理論的な見せ場もあって欲しいとは、思っています。
今回は、左脳と右脳を使って書いたみたいですけど、一話を見た限りでは、右脳の箇所がほとんどで、大事な箇所のみ左脳で書いたような感じが私にはしました。
私は、個人的には左脳のみで書いた、世紀末の詩やこの世の果てのようなドラマのほうが好きなので、もう1度、あの頃のような作品をみてみたいです。
話しが少しそれましたが、それほど野島さんに対する期待が大きいので、これから、2話からの話しの展開を期待したいです。
■ 2003年版「高校教師」放送決定について (2002/10〜12)
“野島さんは、続編はイマイチ……”というのを吹き飛ばして欲しいですねぇ〜
前作と比べてしまうのはもう仕方ないし、あの完璧な名作の続編に挑戦するなんて、スタッフ・キャスト一同、余程の覚悟を決めてらっしゃると思いますが……
羽村先生と繭が微妙に何処かでリンクしていくんでしょうね。
とりあえず前作の続編(続きもの)じゃなくてよかったですね。
どうせならタイトルや主題歌も変えて欲しかったけど、、(ぼくたちの失敗じゃなくて森田童子さんの他の曲に)
でも野島ドラマのシリアスものは99年の「美しい人」以来って言えるので、そういう意味では楽しみです。
私は、単純にとても嬉しい!
あの感動的なストーリーの続編が見られるかもしれないなんて!
思えば最近、野島さんの作風が変わってきた感じがして寂しかったもの。
まずは野島さんの力を信じて・・・駄目だったら泣きましょう。
土曜日に東放学園の電波祭に伊藤プロデューサーがトークショーに来られて、高校教師をもう一度やる意味をおっしゃっていました。
人間は十年たてば堕落すると思っていて、高校教師から十年が過ぎた今、僕と野島伸司が堕落していないか、前作のようなフレッシュなものができるのか、それを確かめたかった。
と言っておられました。
昔、中学校の先生が好きだった時、真田×桜井の高校教師をみていました。
10年ってあっという間ですね。
私も、イメージがくずれる!とか、藤木直人は・・・。と思ってましたが。
でも、これはこれで、いいかな、と思います。
上戸彩ちゃんも、今ドキの高校生っぽくていいとおもうし。
ソニンちゃんは、持田真樹さんみたいな感じになるのかな?
京本さんもどんな役ででるのか楽しみ。
「高校教師」撮影が始まったようですね。期待と不安が入り混じった心境です。
期待は、久しぶりの野島さんのシリアスドラマということ。
不安は、テーマは同じでも内容は全く新しい話にするというなら、何故タイトル、舞台、主題歌まで同じにするのでしょう?
続編というわけではないなら、なおさらです。
どうしても比べてしまいますよね。それっていいことないと思うけど・・。
主役は、藤木さんは結構いろんなタイプの役をやっているので、どんな風に野島ドラマを演じるのか興味あります。
彩ちゃんは、金八先生しか見てないので、正直よくわからないです。
役者さんって、普通の人を普通に演じるのが一番難しいと思うから!
でも、楽しみに待ってます!
前回の2人ですが、私は藤村先生(京本さん)がにおわせるという風に聞きました。
できたら、明らかにはせず、におわせる程度にしてほしいものです。
確か野島さんは「2人は幸せな昼寝をしている。そしてトンネルに入る」とだけして、本当に寝ているのか、それとも永遠の眠りなのかは見る人にゆだねるとしたと記憶しています。
それをスタッフが最後に繭の手をかたんと落とすというシーンを野島さんに了解を得て加えたんじゃなかったかしら。
それでも、最後はハッキリさせなかったんだから、そのままにしてほしい。
今回の高校教師で羽村先生と繭のことが藤村先生の口から語られるみたいだけど、ラストの事実はあんまり知りたくないな。
生死より何より、二人は幸せな眠りについたはずだから・・・
今回の「高校教師」ですが期待はしていますが93年のあのドラマを越える事はおそらくできないと思います。
前作の印象があまりにも強い上にリメイクドラマではオリジナルの作品には勝らないと思います。
配役にしても京本さんははまり役で期待はしていますが、やはり93年の時のフレッシュ&シリアスな感じの配役と比べ今回はバラエティー番組でも良く出演される役者も多く起用しているのでどうもその先入観からどこまで自分が入り込めるかも多少疑問です。
私としてはもっと知名度が低くてあまりTV以外でも表に出ない謎めいた俳優を多く起用して欲しかったです。
とはいえ多少なりとも期待はしていますし、最近7〜8年全くドラマから遠ざかってたので久々に初回から観てみようとは思ってます。
高校教師は私の中ではNo.1のドラマです。
なので、その続編という事で大変期待しているのと同時に、不安でもあります。
それは皆さんと同じように、前作のイメージ、余韻を崩してしまう可能性があるからです。
続編で失敗したドラマ、私の中では「星の金貨」もその一つなんですが、前作にでてきた人を登場させるなら、前作のその人のイメージは絶対に崩さないで欲しいです。
まあ、今回は、野島さんが脚本ということなので、その辺の心配はないですけど・・・
それに、一般的に続編は失敗という判例があまりにも多いため、私のほうも免疫がついてる・・・っていうのもありますね(~_~;)
まあ、どうなるにせよ、「高校教師」は決定したみたいだし、絶対見るし、「高校教師」のすばらしさは変らないと思うと同時に、「高校教師」は2作ともよかったと思えるドラマにして欲しいです。
Copyright Fumi 2003