思い込む宗教――疑う哲学
よく「意志が強い」とか「自分を持ってる」
とかいわれてる人がいるけど
ただ思い込みが激しいだけ、強引なだけではないのか
(漫画家・山田花子「自殺直前日記」)
( ´~`)ノハーイ
哲学の本をいろいろ読んで
知ったことのひとつは
哲学と宗教は
相反するものである
ということです
(o゜~゜)oホエ?
宗教とは信仰であり
信仰とはその宗教の教義や神様を
信じることです
(´~`)なむなむ
ベースにあるのは
疑うことなく
信じるという行為です
(ノ゜~゜)ノ
一方で哲学は
ある事象に対して
これはどういうことなのか
これは本当に真実なのか
なぜそう言えるのだろうか
などと
疑問を投げかけることから
始まります
(ノ゜~゜)ノ
つまり哲学とは
問うたり疑うこと(懐疑)がベースにあります
(゜~゜)ホエ?
宗教の教義や神を疑ってしまうと
信仰が成り立たず
何でも信じてしまうと
哲学が成り立たない
すると宗教と哲学の方向性は
正反対だと言えます
(゜~゜)
ただし生き方として
信仰と懐疑
どちらが楽かというと
信仰です
(o゜~゜)oホエ?
これが哲学人間が
この世には少ない理由です
(ノд-。)クスン
この世は何らかの信仰を持っている人
またそこまでいかなくても
思い込みの激しい人ほど
生きやすい世界です
(o゜~゜)oホエ?
なぜならそこには
・自分は間違ってるんじゃないか
・こんなことしても無意味、無価値なんじゃないか
・誰かに迷惑をかけるんじゃないか
・自分はどうしようもない人間なんじゃないか
・さっさと死んだ方がいいんじゃないか
などといった疑念が
入り込む余地がなくなり
自分は正しいという確信(思い込み)の上で
前向きに生きれます
(*^~^*)ノハーイ
一方で懐疑系人間は
いちいち上記のような疑念が沸き起こり
つまづいてしまうので
生きにくいのです
((;゜ロ゜)オロオロ
でも疑ってばかりいたり
謙虚すぎたりすると
いつまでも前に進むことができません
((;゜ロ゜)オロオロ
なので何の根拠がなくても
前向きな方向に思い込まなければ生きていけないのが
この世のしくみです
(o´~`)ノハーイ