社会人間への矯正
新聞が私たちの心を悪くするのは、
起こったことを何でも私たちにしゃべるからではない
あらゆるできごと、人間のあらゆる行ないについて
これはこう考え、あれはああ考えるべきだと
私たちに指図するからである
新聞は、すべての人の頭をひとつにしたがっている
私の頭、私の考えを征服しようとしている
どの人にも新聞の頭、新聞の考えを押しつけようとする
そして、それはうまくいっている
おまえが朝、束になった紙を読めば、パパラギの頭の中に何があり、何を考えているか、お昼にはわかってしまう
(絵本 パパラギ―はじめて文明を見た南の島の酋長ツイアビが話したこと)
( ´~`)ノハーイ
社会における
ポピュラーな暇つぶしのひとつに
ニュースがあります
(o゜~゜)o
しかしニュースというのは
基本的に
どうでもいいことではないでしょうか?
(o゜~゜)oホエ?
その証拠に
海外のある国のニュースが
気になる人とか
ネットで見ている人というのは
ほとんどいないと思います
(゜~゜)
それはその国の政治や経済がどうなろうと
どのような犯罪が起きようと
芸能人がスキャンダルを起こそうと
自分には関係ないからです
(´~`)
しかしそれがこと日本(自国)になると
みんなが注目したり
大騒ぎしたりするのは
なぜでしょうか?
(o゜~゜)oホエ?
それはニュースというのは
その社会の価値の増減に関わることが
報道されるからです
(o゜~゜)oホエ?
政治や経済は
社会の価値の増減に直接関わるので
多くの人が気にしていて
価値が上がったら喜んだり浮かれるけど
価値が下がったら悲しんだり嘆いたりします
(゜~゜)
また犯罪や不祥事が
ことさらクローズアップされて非難されるのは
当事者を裁くというよりも
社会秩序に反したらこうなるぞ
という国民に対する警告や監視でもあるのです
(゜~゜)
プロスポーツ選手が国内で活躍しても
たいして注目されないのに
海外で活躍するとおおげさに報道されるのは
自国の価値が上がったような錯覚が起きるからです
(゜~゜)
つまりニュースというのは
社会にとって都合のいいこと・悪いことの話題に終始していて
そもそも社会にとって都合のいいことや悪いことが起きることが
本当に重要なことなのか?
というような視点には決してなりません
(´~`)アハハ
しかしそれを冷静に考えてみると
重要ではないのです
(´~`)アァー
なぜなら社会の価値や幸福と
各個人の価値や幸福とは
別物だからです
(´~`)アァー
私たちはそれを十分わかっているからこそ
海外の社会の価値や幸福に
まったく興味を持たないわけです
(´~`)
にも関わらず
(自分が所属する)社会の価値や幸福に
一喜一憂している人は
ニュース漬けになった結果
社会と一体化した
社会人間へと矯正されてしまったということなのです
(´~`)アァー
つまりニュースというのは
常に社会>個人であり続けるので
自分の価値や幸福を大切にしたい人にとっては
どうでもいい情報であると同時に
有害情報にもなります
(o´~`)ノハーイ