使われる人間の誕生
もし社会を中央統制の下で維持したいなら、
子どもには厳しい監視が必要だ
勝手な行動をさせないように、画一的な集団に入れるべきである
学校制度の目的は大衆を厳しく管理することだった
つまり、学校は公式どおりに行動する人間、
コントロール可能な人間を生み出すためにつくられたのである
この役割は見事に果たされ、社会ではますます階級化が進んでいる
そこでは、「支配階級」だけに自立と個性が許され、それ以外の大衆は問題にされない
従うことに慣れた人々は、写真のフィルムやかみそりの刃を売ったり、単純な事務処理をしたり、電話のオペレーターをしたり、パソコンの入力をしたりするだけで、自分の頭で考えることを知らない
学校は子どもの学力低下を叫ぶ一方で、
じつは計画どおりに「教育」を進め、大きな成果を上げている
その「教育」とは、子どもに従順な態度を叩き込み、
ピラミッド社会での地位に満足させることである
(ジョン・テイラー・ガット「バカをつくる学校」)
( ´~`)ノハーイ
昔から疑問に思っていたのだけど
なぜこの社会には
従順な人間がこれほどに多いのでしょう?
(o゜~゜)oホエ?
それはなぜこの社会には
使う人間と使われる人間
支配する人間と支配される人間が
いるのかという疑問でもあります
(゜~゜)
前回書いたように
お金には人を支配する力があるのだけど
そんなことが可能になるのも
お金で使われる人間が
使われる人間に甘んじているからですよね
(o゜~゜)oホエ?
お金で使われることに対して
みんながNOと言い
使われることを拒否すれば
そんな主従関係は簡単に崩れるわけです
(゜~゜)
そもそもこの社会とは
使われる人間の方が圧倒的多数派なので
そういった人たちが一斉に
革命のために立ち上がれば
世界は簡単に変わるような気が
しないでもありません
(゜~゜)ノぁぃ
そうなった時に困るのは
庶民や弱者を踏みつけにすることで栄えている
支配者や権力者や資本家です
(´~`)ノハーイ
しかしそんな気配がまったくないのは
ピラミッドの底辺にいる人たちまでもが
この不平等な階級社会を
当然のように受け入れてしまっているからです
(´ロ`)ポケー
つまり庶民はいいように飼いならされてしまっているのだけど
その起源は学校にあります
(o゜~゜)oホエ?
学校では学ぶことや時間割が
きっちりと決められていて
あとは教師の指示通りに
1クラス数十人が同内容のことを
一緒になって学んでいきます
(゜~゜)ピシッ
単独行動は許されないので協調性が
教師に逆らうことは許されないので従順性が
全員が同じ内容を叩き込まれることで画一性が
それぞれ植えつけられます
(o´~`)ノハーイ
そうして教化された人々は
一人だけ違うことをしたり
仲間はずれになったり
社会のルールから逸れることに
非常に臆病になります
((゜~゜))ブルブル
なので除け者にならないように
空気を読みながら
社会常識を守って
目上の人の指示に従って
テレビやメディアの言うことを気にしながら
ビクビクと生きているわけです
((゜~゜))ビクビク
つまり主体性がないので
あなたはこれをしなさい
と言われなければ
何をしていいかわからないのです
((゜~゜))ブルブル
その結果
使う人間にとっては都合のいい
使われる人間が完成します
(´~`)ノハーイ
ほんとうは各個人にとっては
自分らしく主体的に快適に生きることを優先するのが
一番いいはずなのに
みんながそういう生き方をしてしまうと
誰も3K的な仕事や
自己犠牲をしなくなったり
命令や指示に簡単に背いたりして
社会が成り立たなくなるという矛盾があるわけです
(゜~゜)
ということは社会というのは
従順さ・協調性・画一性を国民に叩き込み続けて
国民の主体性を骨抜きにして
使われる人間を養成し続ける方が
合理的なんですね
(o゜ロ゜)o
それは実はすべての国民にとっても悪い話ではなく
たとえばAさん以外の社会の構成員が従順で真面目であるほど
Aさんはその社会で安全かつ快適に生きれるわけです
(o゜ロ゜)o
しかしその社会規範をAさん自身に適用してしまうと
Aさんは息苦しく不自由になるわけだし
そんな社会規範は使われる人間を養成するための
ウソに過ぎないので
そんなウソはウソと見抜いた上で無視して
自分にとって快適に生きることを優先した方が
一個人の視点からは合理的です
(´~`)ノハーイ