死にいたる病
自分の周囲にいるたくさんの人間の群れを見ているうちに
さまざまな世間的な俗事に忙しくたずさわっているうちに
自己自身を忘却していまい、あえて自己自身を信じようとせず
自己自身であろうなどとはだいそれたことで
他の人々と同じようにしているほうが、猿真似をしているほうが
数の一つとなって群集のなかに交じっているほうが
はるかに気楽で安全だと思ってしまうのである
世間の人は、自己というようなもので大騒ぎなどしない
なぜかといって、自己などというものは
世間ではいちばん問題にされないものであり
それをもっていることに気づかされることが、
何よりも危険なことであるようなものだからである
自己自身を失うという最大の危機が、世間ではまるで何でもないことのように、いとも平静におこなわれているのである
(セーレン・キルケゴール「死にいたる病」)
( ´~`)ノハーイ
19世紀のデンマークの哲学者
キルケゴールは
主要哲学者の中でも
暗く内向的です
(´ロ`)
そんな暗いキルケゴールが
世間への復讐を込めて書いたのが
「死にいたる病」です
(o゜~゜)oホエ?
キルケゴールは
自己や主体性というものを
重大視していて
それを持たなければならないと言っています
(゜~゜)
なぜなら自己や主体性がない人は
周囲の人々や世間や社会に
流されやすいからです
(ノ´~`)ノフラフラ
主体性をなくして
ただ世間に埋没して
流されて生きるとしたら
その人は果たして
自分の意志でそう生きているのか
ただ生かされているだけなのか
わからなくなり
それはすなわち自己(主体性)の死です
(ノ´~`)ノ
つまり死にいたる病とは
主体性の喪失のことです
(´ロ`)
肉体的には生きているのだけど
ただ外部に流されているだけで
自由意志も主体性もないので
死んでいるのと同じなのです
(´ロ`)ポケー
その危機は
すべての現代人が抱えています
(゜~゜)
そしてこの本は同時に
暗い人間の肯定でもあります
(o゜~゜)oホエ?
なぜなら世間というのは
明るい人が普通で多数派なので
暗いままで生きる
ということそのものが
自己と世間との対立を
意識せざるを得ないからであり
世間に同化して流されて生きることが
不可能だからです
(゜~゜)
そのように
社会や世間といった広い視点ではなく
自分という一個人の視点から
自由かつ主体的に
自分らしい生き方を求める立場を
実存主義と言い
それを切り開いたのがキルケゴールです
(´~`)ノハーイ
そして実存主義の立場に立つと
この社会にはさまざまな矛盾が見出せます
(o゜~゜)o ホエ?
たとえば通勤電車に乗ると
男はみんな同じような格好(背広姿)をしているけど
真夏にそんな暑苦しい格好をしたい人は
ほとんどいないはずで
でもみんながそうしているので
特に疑問に思わず
みんながそうしているのです
(´~`)アハハ
芸能人やスポーツ選手が
活躍してもスキャンダルを起こしても
自分の生活には何の影響もないのに
みんなが注目しているので
特に疑問に思わず
みんなが注目しているのです
(´~`)アハハ
お金を得るために
自己を犠牲にして
会社に尽くすことが
本当に正しくて立派なことなのか
よくわからないのだけど
でもみんながそうしているので
特に疑問に思わず
みんながそうしているのです
(´ロ`)アハハ
そんなふうに世間には
個々の実存を死に至らしめる病が
多く存在しています
(゜~゜)
その病に侵されたら
自己や主体性が死んでしまい
ただ流されて生きるしかなくなる
(´ロ`)ポケー
それを回避するためには
社会や世間の意志よりも
自分の意志を大切にして
簡単に流されることのない
自己というものを確立しなければならないのです
(゜~゜)ノぁぃ
そうして主体性を取り戻した時
死にいたる病から開放されます
(*^~^*)ノハーイ
キルケゴール「死にいたる病」名言集
自己をもつこと、自己であることは
人間に与えられた最大の譲与であり、無限の譲与であるが
しかし同時に、永遠が人間に対してなす要求でもある
(p.43)
人生を空費した人間というのは、
人生の喜びや人生の悲しみに欺かれてうかうかと日を送り、
永遠に、断固として、自分を精神として、自己として
自覚するにいたらずおわった人のことである
(p.53)
世間で実際に云々されるのは、ただ知的ないし美的な偏狭さ
すなわち、どうでもよいことだけであり
しかもこのどうでもよいことが、世間ではいつでもいちばん問題にされるのである
つまり、どうでもよいことに無限の価値を与えるのが、世間というものなのである
(p.64)
真に自己となるためには内面に向かって前進しなければならないはずなのに、
彼はその内面への方向からすっかりそれてしまうのである
いっそう深い意味における自己に関する全問題が、彼の心の背景の一種の盲戸となり、その背後には何もないことしにしてしまうのである
(p.106)
孤独への要求は、人間のうちに精神があるということのしるしであり、またそこにある精神を測る尺度である
「ただおしゃべりだけをしている人でなしや世間人」は、
孤独への要求を感じるどころか、ほんの一瞬間でも孤独でいなければならなくなると、
まるで群棲鳥のように、たちどころに死んでしまう
(p.121-122)
世間ではふつう、ただ軽率なことや無思慮なことや無駄なおしゃべりばかりがおこなわれているので、
何か少し深刻な話が持ち出されでもすると、たちまち人々はまるでしかつめらしくなって、うやうやしく帽子を脱いでしまう
(p.205)
キルケゴール「死にいたる病」関連書籍
・死にいたる病(ちくま学芸文庫)
・死に至る病(岩波文庫)
・死に至る病(まんがで読破)
(このページで引用している訳・頁数はちくま学芸文庫)