絶対的な世界
わたしは、それまで自分の精神の中に入っていたすべては
夢の幻想と同じように、真ではないと仮定しようと決めた
しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた
すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も
そう考えているわたしは、必然的に何ものかでなければならないと
そして「わたしは考える、ゆえに私は存在する(我思うゆえに我あり)」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども、揺るがしえないほど確固で確実なものを認めた
わたしはひとつの実体であり、その本質ないし本性は
考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない
たとえ身体がなかったとしても
完全に今あるままのものであることに変わりはない
(デカルト「方法序説」)
( ´~`)ノハーイ
ふみっこは絶対という言葉を
聞いたり目にした時
それは本当に絶対なのか?
ただの思い込みや願望じゃないか?
とよく思います
(o゜~゜)o
果たしてこの世には
絶対だと言えるものはあるのでしょうか?
(o゜~゜)oホエ?
たとえば人殺しは
絶対に悪いことだと
多くの人が思っているはずです
(゜~゜)
しかし戦争においては
敵兵を殺すことは
なぜか誉められる行為になるし
重大な犯罪者の死刑執行も
多くの人が支持します
(゜~゜)
絶対に悪いことであるはずのものが
ある局面においては
なぜか良いことになるというのは
いいかげんで矛盾した話です
(゜~゜)
ところで数学で
1+1=2であることは
絶対的に正しいように見えます
(o゜~゜)oホエ?
しかしそれは10進数においてそうであるだけで
2進数だと1+1=10になります
(゜~゜)
数学というのは
ある法則の中の秩序であって
限定的な正さしかありません
(゜~゜)
ふみっこが数学博士になり
1~1=99
というよくわからない法則を考えたとします
(´~`)
いい加減に見えるけど
1+1=2の正しさと
1+1=10の正しさと
1~1=99の正しさは
それぞれのルールにおいては正しいという意味では
同列なのです
(゜ロ゜)
ところで1万円札と1円玉を比べると
1万円札の方が絶対に価値があるように見えます
(o゜~゜)oホエ?
しかし1万円札の製造コストは約20円
1円玉の製造コストは約2円です
(゜~゜)
これは素材となる原料(紙・アルミニウム)の違いです
(゜~゜)
ということは原価の観点からすると
1万円札の価値は
1円玉10個程度の価値しかない
ということになります
(´~`)アハハ
購買力で見たら1万円札の方が高価だけど
額面に対する製造コストでは1円玉の方が遥かに高価で
またアルミニウムの価格が10倍以上になれば
原価でも1円玉1個の方が高価(20円以上)になるので
1万円札の方が絶対に価値があるとは言えません
(゜~゜)
方法論は違うけど
17世紀の哲学者・デカルトは
この世に真理といえるものはあるのかどうか
徹底的に疑ってみました
(o゜~゜)oホエ?
そしてデカルトは
この現実が
もし夢だったらと考えました
(゜~゜)
夢の世界は幻想であって
真理とはいえません
(´~`o)むにゃむにゃ
その時に
重大なことに気づきました
(´~`o)ホエ?
それはこの現実が夢だったとしても
その世界を認識している自分や
「これは夢だろうか?」などと考えている自分は
存在するということにです
(゜ロ゜)ギョエ!!
自分の身体は幻想で
見えている世界が夢だったとしても
その夢の世界を認識できる自分がいるなら
思考だけで世界は成り立ちます
(゜ロ゜)ギョエ!!
もし完全に無であれば
夢も思考もないからです
(゜~゜)
これが有名な
「我思うゆえに我あり」です
(´~`)ノハーイ
人生は長い夢を見ているだけだったとしても
自分の身体が実体のない幻想だったとしても
いま見えている世界があり
目をつぶっても思考は存在する
それが絶対的な実存です
(´~`)ノハーイ