自由価値の世界

もともと精神的な生活を営んでいた、感受性の強い人々が
その感じやすさとは裏腹に、収容所生活と言う困難な外的環境に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことが間々あった

そうした人々は、おぞましい世界から遠ざかり、
精神の自由の国、豊かな内面へと立ち戻る道が開けていた
繊細な被収容者のほうが、粗野な人々よりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない

収容所にあっても完全な内なる自由を表明した
人間の内面は、外的な運命より強靭なのだという事を証明して余りある
(ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」)

( ´~`)ノハーイ
私たちが想像している以上に
人間というのは
自由に価値を創造し
さまざまな世界観を構築しています
(o゜~゜)oホエ?
たとえばキリスト教の教えに
「右の頬を打たれたら
左の頬を差し出しなさい
汝の敵を愛し、敵のために祈りなさい」
というのがあります
(o゜~゜)o
美しい寛容を感じますね
(´~`o)
でも本当はここには
弱者から強者への自由価値が潜んでいました
(゜ロ゜)ギョエ!!
それは自分にとって敵や攻撃者とは
憎むべき人・恐れるべき人ではなく
かわいそうな人・同情すべき憐れな人である
という価値転倒が行われているからです
(o゜~゜)oホエ?
そうすることによって
自分は被害者でありながら
敵よりも優位な位置に立てます
(´~`o)
たとえ不幸で悲惨な状況にあっても
価値判断しだいで
世界や自分の見方はいかようにも変えられる
ということです
(o゜ロ゜)o
どのような世界でも
どのような自分でもいいのであれば
つまらない世界よりも楽しい世界を
不幸な自分よりも幸福な自分を
人は望むのではないでしょうか?
(o゜~゜)oホエ?
しかしながら
不満の多い人
嘆いてばかりいる人
コンプレックスにとらわれている人
過去に縛られている人
が少なくありません
(゜~゜)
そういう人は実は
そういう世界に生きることを
自らの判断で選択しているのです
Σ(゜~゜)ガビーン
客観的に見て
何の問題もなさそうな人が
どうでもいいようなコンプレックスに捉われていることは
よくありますよね
(´~`)
それは人は
他人から見える客観的世界よりも
自分から見える主観的世界の方が
遥かに重要だからです
(o゜~゜)oホエ?
ということは結局
人が世界や自分をどう解釈するかは
主観的な価値判断にかかっています
(゜~゜)
そしてどのような価値判断をしようと
その人の自由です
(゜~゜)
客観的世界がどうであれ
この世界は楽しくて
自分は幸せだと思い込み続ければ
その人にとっての世界は
楽しくて幸福な世界であり続けて
逆につまらなくて不幸だと思い込み続ければ
望み通りそうなるのが
自由価値の世界です
(o´~`)ノハーイ

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