Name:うてきなぷりぱ
| | こんばんは。3話で駅での散骨シーンで亜紀が朔太郎に問いかけました。「なんで急にやる気になったの」朔太郎は約束だからと答えました。この約束って2話で骨を盗んだ後、じいさんから「最後までよろしく」と言われたことだと思いますが、何故朔太郎の父はじいさんから変なことを頼まれたということがわかったのでしょうか。確かに火葬場で、朔太郎が職員となにやら会話しているところを目撃したシーンがありましたが。父も同様のことをじいさんから依頼されてた言うのはいささか飛躍しすぎでしょうか。原作でははっきりと朔太郎を指名してますよね。父が朔太郎に見せたのは生まれたときの写真 朔太郎と命名したと書いてあった。約束とは違うような。自転車の写真の裏にはじいさんを後ろに乗せるという約束が。どちらにしてもやる気になった決定打に足らないような気がします。 それと亜紀ですが、じいさんが亡くなってから朔太郎の様子がおかしいことがとても気になってなんとか力になりたいといろいろ努力します。「私にできることがあったらなんでも言ってね」とテープに入れようとしますがため息をついて途中でやめます。実際のところ何をしていいのかわからなっかたのではないでしょうか。席ごといなくなった朔太郎を見て直感的に、骨を撒きに行ったことを察したのでしょう。優等生の亜紀が席ごといなくなるのは今まででは考えにくいことだろうだと思いますが、2話のラストがここで生きているのでしょう。朔太郎の自宅前で会った時、骨が撒けなかったことを察したと思います。キスするふりをしてさぐりを入れてたのでは。骨を撒くことに迷いを感じていることを察してさとさんの写真を見せて、自分が協力することを伝えようとした。骨を無くしてしまったというのも多分うそだろうとわかっていたような気がします。だから焼却所で出会ったときも、「一人で見つけていいカッコしよう」とか 朔太郎が撒けなかったことを正直に話した時も、怒ることもなく「あってよかった」と、すべてを亜紀に読まれていたような気がします。わかっててわざと質問したようなきがするのですが。とにかくこの答えが見つかりません。映画でも原作でも重要な意味合いをもつじいさんをこんな早い回からいなくなるなんてどうも解せません。 亜紀も朔太郎と別れた後のどこか心配そうな表情がとても気になりました。朔太郎の不自然さがとても気になったんでしょうか。あれだけの長い距離を追いかけました。家に向かう方向でなかったような気もしましたが。 そしてあの名シーンですよね。亜紀のうんうんとうなずくシーンは後に病院で亜紀の母に会わないでほしいと亜紀に言われた後に、話を聞いてもらったときに母のうなずく姿に涙するところにつながっているんですよね。 亜紀に抱きしめられたときに「世界で一番やさしい音がした」と朔太郎はこの音って、心臓の鼓動、愛する人の声だと思うのですが。どうしてこんな早い回にセカチュウのメインテーマの「愛する人を亡くしたときの喪失感」をだしてきたのでしょうか。とにもかくにも内容の深いだい3話です。みなさんのご意見を拝聴したいと思います。
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...2005/03/21(Mon) 19:57 ID:APbJYlgs
Re: なんで急にやる気になったの Name:ダメ人間
| | まずサクが散骨する気になった理由ですが 特にサク自身がやる気になった訳ではなく亜紀に引きずられた面が大きいと思います。
のちに大人のサクが一人では亜紀の散骨ができなかったが 明希との会話によって撒くことが出来たのと同様に やはりこの時のサクも一人では散骨できなかったのが亜紀によって散骨できた。 セカチューお得意の反復の構図ですが、それがここでも適用されたのでしょう。
そしてじいさんが死んだ意味ですがこれは色々あると思います。 まず反復の構図です。 このドラマでは自転車が大きなキーアイテムですが まずサクの自転車の後ろに乗ったのはじいさんです。 この大切な人を亡くした後に後ろに乗ったのは亜紀です。 この大事な人をまた亡くしてしまいます。 という反復の構図です。(サクの父が乗るシーンもありますが、じいさんと亜紀の場合のように常時、という訳ではない、という事で説明がつくかと) 更にこのドラマの凄いところは次の大切な人である明季、または一樹は一人では乗せてないところですが。 私は原作にも映画にもいない一樹の存在理由はここにあると思っているぐらいです。 つまり明季を一人では乗せないように。 勿論亜紀の死が無ければ明希に一樹を産めと言わなかった、という事でアボリジニの世界観を示したというのもあるんですが。
話が少々脱線しました。 そして何故こんなに早くじいさんの死が、という事ですが やはり病気になる前に亜紀がいかにサクにとって大事な人かをドラマ的に示さなくてはならないでしょう。 大事な人だからこそ、その人が病気だと判明した時に絶望、焦り、苦しみがあるわけで、それが17年間につながる訳です。 3話の最後の名場面、それまで乗せていた亜紀を降ろしてその軽さでじいさんがもう後ろの座席にはいないことに気づき、初めてじいさんの死をサクは実感できます。 その時に亜紀が抱きしめたからこそ「世界で一番やさしい音」を聞くことが出来て泣くことが出来て、本当の意味で亜紀が大切な人になったのでしょう。 亜紀がじいさんのあとは私が後ろの座席に乗るよ、と言った事もサクにとって大事な人がじいさんから亜紀にバトンタッチしたことを示していると思います。 これらの事のためにはじいさんの早い死もうなずけると思うのですが。
どうしてこんな早い回にセカチュウのメインテーマを出すのか、という事ですが どうしてかは上述の通りで良いと思うんですけど、 それよりももっと早くメインテーマがドラマには登場しています。 それは何と言っても亜紀の弔辞のシーンです。 あそこで最後の「ソラノウタ」の原型の詩が登場しています。 あの場面では視聴者はこれからの二人の恋愛を予感させる雰囲気に注目してしまうため、あの詩の文章まで気をつけて観ていた人はあんまりいないとは思いますが、あそこで実はドラマの全体のテーマであるアボリジニの死生観を出していたんだと気づかされた時は、このドラマの脚本の綿密さに驚かされたものです。
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...2005/03/22(Tue) 01:59 ID:l3Wjeb5Y
Re: なんで急にやる気になったの Name:say
| | 潤一郎が謙太郎から同様のことを依頼されていたという事はないと思います。 命名の件や自転車の写真の件は謙太郎が朔に向ける特別な思い入れを表しているのだと思っています。
私もアキのお陰でやる気になったのだと思います。 じいちゃんの最後の願いを叶えるという事に気乗りではなかった(あじさいの咲く丘の上で二人の遺骨を一緒に撒くことに否定的な発言「でも俺さぁ、やっぱりこういうの嫌だと思ったんだ」というセリフがありました)事をきっかけに最後はアキに言われたことで恥ずかしくなって一番の当事者である自分が(逃げて|避けて)いたという事がとても情けないと雨に濡れながら学校のゴミ袋までチェックしていたアキの真摯な姿を見て感じたんだと思います。 「撒けなくて...どんどん重くなってきちゃって...アキに言われてなんか恥ずかしくなって」というセリフで始まるシーンで朔がどのように心変わりしていったかを描いていると思います。 「一人では何も出来ないと思った」というナレーションが誰かに突き動かされて初めて行動できたと説明していますしね。 骨のビンを無くしたのが嘘だとアキが気付いていたかですが、そこまで判っていないように思います。そうでなければずぶ濡れになりながらゴミ袋までチェックしないのではないでしょうか。 サクがビンをポケットから取り出したときは驚いたような、状況がよく読めないようなそんな表情をしています。そして正直に話し終えた後間をおいてからサクの気持ちを察するような表情へと段々と変化していっています。
亜紀が弔辞を読むシーンで「おまえは聞く」「冬は何故必要なの」といったセリフ出ていた事は私も気付いてました。そしてこんなにも早くラストへ向けての生死観が出ていたことに驚かされました。 その生死観がアキには受け入れやすいモノだという下地作りは初回からゆっくりと動き出していたんですね。
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...2005/03/22(Tue) 13:36 ID:BmRWEC02
Re: なんで急にやる気になったの Name:うてきなぷりぱ
| | こんばんは。ご意見ありがとうございました。朔太郎のとって亜紀の存在というのは、私の考えていたものよりもっと深いものがあるように感じられました。1話の弔辞を読むシーンにこんな深い意味があるとは。もう一度ビデオを見てみようと思います。ご指摘のところを踏まえながら。また新しい発見があるかもしれない楽しみが増えました。ありがとうございました。失礼いたします。
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...2005/03/22(Tue) 23:02 ID:DP1WdM7w
Re: なんで急にやる気になったの Name:うてきなぷりぱ
| | こんばんは。その後またビデオを見直しました。朔太郎はご指摘のとおり、亜紀に背中を押されるような形で散骨する気持ちに変化していく過程が感じられました。そういえば骨をとりにいく気持ちにさせたのも亜紀に背中を押されたから(結果的に)でしょうか。骨を取った後いの一番に、亜紀に知らせようとしたことは原作でも同様のシーンがあったことは、それを裏付けるものでしょう。その後に初キスを体験することから考えても亜紀のためにという考えはちと飛躍しすぎでしょうか。ドラマと映画では割愛されてましたが、原作では死生観についての会話に時間をさいてます。ここで感じられるのは亜紀と朔太郎の死生観に関する認識の温度差です。特に原作では死生観に関する会話はどうにもかみ合わず、ギクシャクした状況が見て取れます。朔太郎は重い宿題を背負わされて疑問に感じながらもあの駅に二人で散骨したのでしょうか。あれだけいやっがて重荷になっていたのに何故?と亜紀ながらに感じてて、思わず出たせりふでしょうか。朔太郎は約束だったと答えてましたが、亜紀に背中を押されたから、重い宿題から開放されたかったからと言いたかったのではないでしょうか。自転車で帰る途上でもなにかしらしっくりしない様子で、心配した亜紀が約束って何と問いかけます。朔太郎は男と男の約束と答えるにとどまりました。亜紀としてもなんとも釈然としないながらも階段のところで別れました。別れ際に朔太郎から「今日はありがとう」といわれて別れたものの多分家とは逆方向に向かっているのを見て直感的に一抹の不安を感じて後を追っかけたのでしょうか。 私にはこのせりふには、亜紀が散骨のことで悩んでいる朔太郎に自分が少しでも力に慣れただろうか(力になりたい)というのを確認したかったではないかと思います。しかしありがとうといわれてもなにかしら、遣り残しているような気持ちが3話のクライマックスの抱きしめるシーンにつながっていくのでは。
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...2005/03/23(Wed) 21:54 ID:dSYEtkHI
Re: なんで急にやる気になったの Name:say
| | 骨を取りに行ったのはスケちゃんのアドバイスがあっての事でしたね。「正々堂々と持って行かれたボウズの悔しさを考えてみろよ」というようなセリフを受けて、じいちゃんに急に骨を取りに行く気になった理由を聞かれて「持って行かれるって悔しいと思うんだ」と言ってますし。
いの一番に知らせようとした意図は「でも俺さぁ、やっぱりこういうの嫌だと思ったんだ」に続いて「アキに言いたくてさ」というセリフで始まる部分が語っていますね。取りに行った事を話したいと言うより、一緒に暮らして、そしてその人のありのままを受け止められるそういう愛の形がいいとアキに伝えたかったと。 それは写真館で謙太郎の涙声を伴う語りにアキが同情を示した後の帰り道で、「好きな人と一緒に暮らすのと好きな人を想いながら別の人と暮らすのとどっちがいいのかな」という質問への答えになっています。
ドラマの朔と亜紀の生死感の差は、アキに引っ張られて、そして上記のありのままを受けとめるという朔のスタンスからしてみると言い合う形は難しいように思います。そしてドラマでは朔のキャラクタに添う形で、アキの生死感に朔のアキを想う気持ちを重ねる(夢島でのシーンで、自分のラッキー運をアキに回すよう神様にお願いした)という風にまとめているのだと思います。
廃駅での散骨の時、朔には迷いはないと思います。行動からも迷いや気負いは見受けられませんし。 愛する人のそのままを受け止めたいという大きな優しい気持ちのある朔なら、アキのアドバイス(写真の裏の詩を見せたシーン)もあった事から、やる気になった後、じいちゃんの、人それぞれの愛の形を叶えてやろうと考えることが出来たんじゃないでしょうか。 「約束だから」についてはうまく纏まらないので後日。
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...2005/03/24(Thu) 00:33 ID:AsoC5kcY
Re: なんで急にやる気になったの Name:say
| | スミマセン、前の書き込みについて解釈を新たに広げさせてください。 今まで「でも俺さぁ、やっぱりこういうの嫌だと思ったんだ」というのは骨を盗んだり散骨の事を指しているものとばかりずっと思ってきましたが、それよりも「好きな人を想いながら別の人と暮らす」した結果、こういう形で願いを叶える事になってしまうのが嫌だと言ったのだと気付きました。
「約束だから」についてですが、私は「気恥ずかしい」か「気の回しすぎ」という解釈をしています。 どちらも、二人の願いを叶えることに真摯なアキを見てその気になった(と思われる)事をどう伝えるかですが、「気恥ずかしい」については、アキに言われて恥ずかしさを憶え、それを更に逃げて情けなさやらを感じてやっと行動に移せたことを気恥ずかしく思い率直に言えなかったのかなと。 「気の回しすぎ」については、それを率直に話したとして、それだと「アキがその気だから」と取られれかねない内容になると考えたのではないかと。 普段の朔の行動からどちらが可能性が高いか、何か根拠になりそうなモノはないか探したり考えていたのですが、決着がつかず纏めきれませんで、両方併記する事にしました。
アキが自転車を追いかけたのは、朔が涙ぐんだり泣く事もないばかりか普段通りで悲しんでいる様子がなかった為に、まだ現実を受け止めきれていないと気付いたからだと思っています。 それは「アキ、...ありがとう」と言った後、アキは手を振り、そして階段をまた上っていって途中でふと立ち止まって振り返るという流れが、突然何か(を思い出した|に気付いた)事を示していると思うからです。
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...2005/03/26(Sat) 15:55 ID:FjfAGj8E
Re: なんで急にやる気になったの Name:にわかマニア
| | どうして散骨をする気になったのかと問われて,「約束だから」と答えた時の亜紀ですが,その答に納得したという感じではありませんでした。その証拠に,その直後に「まっ,いいか」というコトバが出てきます。つまり,100%それで納得した訳ではないけど,相手がそれ以上言いたくないか,言いにくいなら,ここはそれ以上追及しないことにしようという感じです。 祖父の葬儀の際に斎場の係員に頼んで遺灰を詰めてもらったことも含めて,散骨までの全体の動機付けを「約束だから」というなら判りますが,ここで問われているのは,何故,重荷に感じて一度は断念したものを再びやる気になったのかということですから,その部分に特化した理由付けとしては,「約束だから」というのは弱いのです。 そして,こうしたサクのコトバや態度に何か不自然なものを感じたから,一旦別れた後,再び様子を見に追いかけ,あのラストのシーンにつながったと考えられます。
話は前後しますが,第2話で,「やっぱり,こういうの嫌だ」というセリフに続いて紹介されるのが祖父母の日常生活の中でのやりとりでした。これを単に,亜紀に対して「自然のまま,ありのまま」がいいというメッセージを伝えるための材料とだけ考えると,前後のつながりが滑らかさに欠けてきます。祖父母のエピソードを出すからには,「祖母」も唐突に持ち出されるのではなく,何らかの必然性をもって登場したと考える方が自然です。 そう考えると,sayさんのように,「嫌」の対象は「墳墓窃盗罪」を犯すことというよりも,「心では,ある人を思いながら,実際には別の人と一緒にいる」ことを指していると解釈した方がスッキリすると私も思います。
ただ,問題は,このやりとりの時点では,「好きな人と一緒に暮らすのと,好きな人を想いながら別の人と暮らすのと」というテーマは,祖父母に対する第三者的な関わりの中でしか捉えられておらず,その3か月後には,自分たちもまた,このテーマの当事者になることなど想像だにしていない(当然と言えば当然なのですが)ということなのです。 つまり,「葛生」の世界を「相手に悪い」と言って斥けていたのが,ドラマ冒頭の弔辞で早くも登場した死と再生をテーマとする米大陸先住民の世界観を触媒として,「隣のあの子はお前の中にいる」という境地に至るプロセス(もちろん,恩師や真や小林に背中を押されていますが)もまた,このドラマの見所と言っていいでしょう。
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...2005/03/26(Sat) 17:05 ID:7Bs.ZH5I
Re: ドラマ版 Name:にわかマニア
| | >ドラマと映画では(遺灰を盗りにいくかどうかという段階では〜引用者注〜)割愛されてましたが、原作では死生観についての会話に時間をさいてます。ここで感じられるのは亜紀と朔太郎の死生観に関する認識の温度差です。
その後,夢島の夜の会話(第5話)で,来世や神を信じるかというやりとりを交わしていますね。そして,その時の会話が空港へ向かう車中や空港ロビーでの会話(「あの世なんてないと言っていたではないか」・「ここが天国」等)の伏線になっています。 短時間で凝縮したテーマを表現しなければならない映画では,多くの時間を割くことはできませんでしたが,亜紀を墳墓窃盗罪の共犯者にすることによって,「人が死んだら愛も終わりか」という問いかけを発する役回りを与えています。そして,17年後の重ジイとの会話で「天国とは」というテーマが登場し,「後片付け」へと向かわせるきっかけとなっています。 このあたり,いずれも,抽象的・哲学的なテーマをうまく映像化していると言えるのではないでしょうか。
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...2005/04/08(Fri) 08:36 ID:lwzXg.8g
Re: なんで急にやる気になったの Name:うてきなぷりぱ
| | お疲れ様です。2話のアジサイの丘の場面で。亜紀が家を抜け出してまで、朔太郎に伝えようとしたことがいまいち私の中で整理できていません。朔太郎との交換テープを父に捨てられて、ドラマ上では最初で最後とも思える、父に対する、怒りを見せた亜紀。夜中にごみ箱からテープを探し出す姿は、テープに(朔太郎)に対する並々ならぬ気持ちを感じました。衝動的にいった感はありますが、優等生の初めての反抗といったところでしょうか。どちらにしても亜紀は朔太郎に何を伝えたかったんでしょうか。
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...2005/04/12(Tue) 22:51 ID:8L23LgAc
Re: なんで急にやる気になったの Name:にわかマニア
| | 第2話終盤の「夜の大脱走」のシーンでの会話は,「見せたいものがある」というセリフで始まっていますが,単に「妨害が入った」ということを伝えるだけだと弱いような感じがします。もっとも,この一件があったから,第5話で夢島に誘う場面での「お父さん,厳しそうだけど」,「頑張って騙すよ」というやりとりが生きてくるという意味はあります。
さて,話を本筋に戻して,この問題を考えるには,回り道のようでも,第2話全体の流れを整理しておくのが有効だと想います。
@第2話は,まだ交際を始めたばかりでお互いのことを余り知らない状態からスタートしています。そして,亜紀は秘密のお気に入りスポットを教えてあげるということで,サクをアジサイの丘に案内します(アジサイの色の変化の話は,17年後への伏線になっているのですが,ここでは省略)。
Aその後,祖父のもとを訪ねた2人は,祖父の昔の恋物語を聞き,「好きな人と一緒にいるのと,離れた所で想うのと」という物語のテーマの核心の一つに触れる会話をしていますが,そこの最後のところで,「一緒にいると,嫌なところも目につく」(ここまでは一般論)と言った上で,「素顔の自分を知ったら嫌いになるかも」と言っています。
Bまた,この間,学級委員の安浦君がらみのシーンのいくつかで,「もめるのが嫌(第1話)な」亜紀は,かなり自分を押し殺して,真意とは逆の行動を取っており,サクを混乱させています。
こうして見ていくと,亜紀が伝えたかったメッセージのカギはAにあると見ていいでしょう。つまり,素顔の自分はこうだけど,それでも「嫌いにならないで」ということが一番言いたかったのでしょう。 もっと言えば,学校ではBのような自分を演じている。家庭でも,父に気を遣ってばかりいる。いずれも,仮面をかぶった自分を演じている。そういう自分をさらけだした上で,それでも嫌いにならないでということだと思います。亜紀がサクに惹かれた動機の一つが「ありのままの自分でいられることへの心の安らぎ」にあったと私は考えています。
なお,余談ながら,原作や映画と違って,ドラマには「亜紀」という名前の勘違い・種明かしのシーンは登場しませんが,実像(白亜紀)と虚像(春夏秋冬)というテーマがここで形を変えて表示されていると見てもいいのかもしれません。そして,思い込みで築いた相手の虚像に恋する少年という側面が強調された描かれ方になっていた原作に対し,ドラマの方は,より「実像」に近づこうとして苦悩し,一緒に泣いたり笑ったりする存在として描かれていると言えるのではないでしょうか。
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...2005/04/17(Sun) 08:06 ID:kolKlces
Re: なんで急にやる気になったの Name:うてきなぷりぱ
| | にわかマニアさん。回答ありがとうございました。 キスシーンの後の、僕達はこうやって少しずつ近づいていくというナレーションがありましたが、これがまさにご指摘のことをさしているのでしょうね。亜紀と朔太郎が少しずつ近づいていく過程を考えながら見るとドラマも一層味わい深いものになりますね。
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...2005/04/17(Sun) 08:57 ID:9DzlMUuI
Re: なんで急にやる気になったの Name:say
| | 素顔の自分はこうだけど,それでも「嫌いにならないで」ということが一番言いたかったというのは最終的な結論としては私もそう思います。 ただ家を抜け出して会いに行こうと思った動機としてはそれは繋がっていないように思います。 一般的にいえば感情的高まりを誰かにぶつけたく思っていた、そしてそれは件のモノに絡む朔がその感情を共有してくれる一番の適任者だったわけで、言いたかった事は自分と二人の関係が置かれている状況と、テープを捨てられてしまった事実ではないでしょうか。 「面倒を起こすと面倒だからって、私、家でも学校でも嘘ばっかりついてるの」というセリフは二人の事を少なくとも父親にはごまかしてきたという事実と智世に「言わないでね」と言った本当の理由がそこにあるという事を説明しているのだと思いました。 朔の「なんでつきあっている事言わないの」という質問に対しての亜紀の返事「秘密の方がドキドキするじゃない」は、そのシーンをしっかり見てみれば判りますが亜紀の目線の変化から少なくとも一番の理由ではないと思いました。 朔が学校に迎えに来たときのシーンでも亜紀は迎えに来た事をそのまま喜んではおらず困った表情をしています。それは「秘密の方がドキドキする」が理由だとするには説明がつかない表情ではないでしょうか。
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...2005/04/17(Sun) 09:28 ID:2cK5VS0I
Re: なんで急にやる気になったの Name:にわかマニア
| | 確かに,サクが迎えに来た時の「いいって言ったのに」という亜紀のセリフは,手間を取らせることへの遠慮というよりは,交際していることがバレてしまうではないかという当惑の表情という方が当たっているような感じですね。「秘密の方がドキドキ」というのも,とって付けたような言い方でしたね。 もっとも,下駄箱の所では公然と後ろから肩をたたいていますが,それでも,交換テープを入れる時には用心してサインを送っていますね。
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...2005/04/17(Sun) 10:48 ID:kolKlces
Re: なんで急にやる気になったの Name:一介のファン
| | 過去ログになりかけてるみたいでしたので、一言入れさせてください。 「なんで急にやる気になった」のかについて、第3話を見ていて気づいたことがあります。ストーリーの中盤以降ですが、「偉大なる詩人の名をとり朔太郎と命名」と裏に書いてある誕生時の写真をサクが眺めるシーンに続いて、潤一郎が港で煙草をくゆらせ、そこに富子がやってくるシーンが現れます。そしてさらに次のシーンになると、机の上に十数枚の自分の幼い頃の写真を散らかして、サクは亜紀の家に電話をかけます。雨が降り出し、辺りはもうすっかり暗くなっているのに、サクはまだ写真館にいます。
そこで思ったのですが、あの「命名」写真を見たあと、サクはいくつもの自分の写真をアルバムから取り出し裏返し、そこに書かれてあることを読み続けたのじゃないでしょうか。そしてその中から、例の初めて自転車に乗った日の写真を見つけ、ひっくり返し、かつておじいちゃんと交わした約束を思い出した。実はそういう場面がここに隠されているのではないか、そういう気がするのです。 その後サクはどうしたのか、じっと「約束」の写真を眺めていたのか、それとも泣いたのか、まるでわかりませんけど、ひょっとしたら、潤一郎がサクをそっとしてあげたいと思うような、何かがあったのかもしれません。それで父は、写真館の外に出、一人で夕日を見ながら煙草を吹かしていた。多分ですが、潤一郎自身もまた、父親である謙太郎のことを思いながら・・。
ですから、サクが改めて散骨を思い立った理由については、直接的には、やはりあの写真を見たことにあるのではないかと私は思うのです。ただそのシーンが画面に現れてこないだけで。そしてサクは男と男の約束を思い出した。あるいは、もともと忘れてはいなかったのに、散骨したくない何がしか理由があって、記憶の底にうずめていただけかもしれません。ただそうして、サクは撒かなければと意を決したのでしょう。そして、亜紀に電話したのだと思います。骨を失くしたと言ったのは嘘だと告げるために。
もちろん、亜紀の存在や行動はここでも大きかったと思います。谷田部先生の力を借りて葛生の詩を解いたのも亜紀、出征の駅を見つけたのも亜紀、また、亜紀は学校をサボってまでサトさんの写真の意味、祖父の心情の大切さをサクに教えに来てくれたわけですから、亜紀がいなければ結局散骨できなかった可能性もあるでしょう。ただ、(亜紀自身の運命を考えると)本当にサクは祖父の骨を撒きたかったのか、という要素もありうるとは思うので、サクも自ら語りましたが、亜紀のこのような行動や言葉は、却って彼にとって重荷・負担に感じられた、ということはあると思うのです。つまり、亜紀はサクに対して促した、でもその決意に”とどめ”をさしたわけじゃない。ですから、亜紀はこのスレタイの問いを発し、「約束って何?」と訊いてもサクは亜紀が望んだような返事はしなかった、そういえるのではないかと思います。
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...2005/05/08(Sun) 23:33 ID:yf.TRyfg
Re: なんで急にやる気になったの Name:一介のファン
| | この前書いたコメントは、「一言入れる」つもりで書き始めたのに思ったより長文になりそうだったので、頃合を見計らって打ち切ってしまったため、ちょっと尻切れになりました。読んでみるとなんだか亜紀に申し訳ない気がしてきたので、少々彼女を弁護します。 思うに亜紀は、この第3話ほど純粋に、サクへの愛情を示したときはないでしょう。それは、自然な愛でもあり、率直な愛でもあったように思います。 恐らく優等生の亜紀が、学校をサボったのはこれが初めてだったのではないでしょうか。でも、同じサボリでも、第7話が心に深すぎる傷を負った状態でとった行動であったともいえるのに対し、この回は、ただひたすらサクを思ってしたことでした。サクの悩みや悲しみを察したのも、雨の中遺灰を探し続けたのも、一緒に出征の駅を探して散骨に出かけたのも、みな大好きなサクのためでした。 亜紀は、サクの手引きで写真館に行き、会ってみたかった「町の人気者」、謙太郎と個人的に知り合うことができました。さらには、謙太郎がひそかに抱いてきた、奇想天外ながら純愛ともいえる願いにも触れました。そして彼の死後、葛生の詩の意味を探りあて、謙太郎の最期の望みをかなえてあげるようサクに語ります。それが、恋人の祖父の切なく純愛に満ちた、美しい精神だと感じられたからだし、サクと二人でそのことを成し遂げることが、亜紀だけでなくサクにとっても、なにより喜びになると思ったからでしょう。 しかし、飽くまで私の推測ですが(推測が多くてすみません)、そこには亜紀の「好きな気持ちが空回り」という要素が少なからずあったような気がするのです。なぜなら、謙太郎という人は、亜紀にとっては憧れの町の人気者、また、恋人の祖父といえたでしょうが、しかしサクにとっては、それ以上に生まれたときから共に暮らした、何より大切な一人の家族だったからです。 ですから、亜紀とは違って、サクの心中には散骨を果たすことへの忌避がなにかしらあったのではないか、そんな気がするのです。一つには「おばあちゃんに悪い」ということがあったでしょう。祖母の記憶を持つ孫としては当然の思いとして。そしてもう一つは、散骨が祖父との「永遠の別れ」を最終的に決定づけてしまうということ。遺骨はかつて謙太郎を実際に形作っていたものですから、いかなる形見にも勝る形見。私にはそういう経験がないからわかりませんが、遺骨にはたとえ温度も重さもないとしても、それを常に持ち運んで感じるものは、ある種のその人の、それこそ存在の重みとかぬくもりとか、そういったものなのかもしれません。このことは、その後17年間、サクが亜紀の散骨にどこまでも抵抗しつづけたこととも関係していると思います。 ですから、死んでかなえられる望みがあり、そうしてきれいに死んでいった謙太郎は結局幸せで、その最期の願いがかなえられるように努めることが、亜紀にとってはサクに対する愛情の現れであったとしても、サクにとっては、それは必ずしも望んでいたことではなかった、それは解釈できることだと私は思います。むしろサクは、それらの様々な心の軋轢の中で苦しんでいたのではないか、多分、自分でもよくわからずに。ただ、サクを最終的に奮い立たせたのは、祖父との「男と男の約束」、祖父と孫の二人だけの約束だった、写真で示された、その記憶だったのじゃないかと思います。しかしそれは、亜紀さえも容易に入りこむことができないものでした。 でも3話の終盤に入り、百瀬駅で散骨してのち、そのことに亜紀は気づいたのだと思います。「約束って何?さっきの」「男と男の約束じゃない、これって」。そうしてつぶやくようにサクに返した言葉が、「まあ、いいっか」でした。私にとっては、第3話でラストシーンの次に好きなシーンです。まだ自分の知らない、立ち入れない世界を持つサクを、亜紀がそのまま許し愛した言葉のように感じられるからです。恐らくサクはそうとは気づかなかったでしょう。しかしこの言葉が、このときの亜紀のサクに対する精一杯の愛情表現だったように私には思えるのです。
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...2005/05/11(Wed) 23:21 ID:dGinYmyE
Re: なんで急にやる気になったの Name:一介のファン
| | 亜紀を弁護するといって前回書きましたが、帯に短したすきに長しといった感じで内容的には十分でなく、ちょっと不完全燃焼(?)でした。ただ、何度も見直し、3話についての(あくまで私なりにですが)解釈・概念ができてきたので、いずれ何がしかで続きを書き込ませていただきたいと思います。僭越ながら。 ちなみにですが、1話から通してみると、二人がそれぞれジグザクに影響を与えながら、少しずつ接近していっているのがわかって面白いですね。また、お互いの呼び方にしても、1話で早々と亜紀は「サク」と呼ぶ権利を得ていますが、それが例の「白血病」ハガキのせいで一時「松本君」へと戻り(それにしても、サクの「廣瀬は俺の母親でも妹でもないだろ」という含みを残した台詞は演出としても見事ですね。実際亜紀はこの言葉もあってサクへの思いを断ち切れなかったのでしょう)、堤防での告白シーンで再び「サク」となります。一方のサクは、2話の冒頭で「ア・・・」とのど元まで名前が出かかりながら「廣瀬」に直し(この直後サクが「あのさ・・」と話しかけたのは「アキと呼んでもいい?」と訊きたかったんじゃないかと私は思ってますが)、亜紀の意外に疎遠な態度もあってなかなか打ち解けられません。そしてサクの最初の「アキ」という呼びかけは、アジサイの丘の上、亜紀の「きれいだよね」に対し「亜紀の方が・・」と小声で応えることによってようやく実現しています。 いずれにせよ、2話ラストのキスシーンで、「喧嘩をしたり、仲直りをしたり、だけど昨日より今日、今日より明日、明日より明後日、僕は当たり前のように亜紀を好きになる・・」というサクのナレーションは実にそのとおりに描かれていて、やはり細部にわたってよく練られたドラマだとつくづく思います。そして、3話のラスト、亜紀がサクを抱擁するシーンにおいて二人の関係は決定的なものとなるわけですが、それが同時に、サクのその後の17年間を運命付けてしまったともいえるのでしょう。散骨にいたるまでのサクの心の動きやテーマ性も考えると、深くて構成のしっかりした作品だと改めて感心させられます。
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...2005/05/29(Sun) 19:27 ID:yHP1sZ9Y
Re: なんで急にやる気になったの Name:にわかマニア
| | >2話の冒頭で「ア・・・」とのど元まで出かかりながら「廣瀬」に直し・・・アジサイの丘の上、「きれいだよね」に対し「亜紀の方が・・」と小声で応える
この場面が声に出した最初ではありますが,相手は花に見とれていて,このセリフは独白という感じでしたから,相手の耳に届いたかどうかは判りません。 ハッキリとファーストネームで呼んだのは,例の事件で職員室に呼ばれた直後の「俺は心が狭いんだ」と叫ぶ中でのことでした。相手をファーストネームで呼んだ最初が怒った時というのも珍しいですが,相手に届いたかどうかはともかく,アジサイの丘で一度口にしていることで,ファーストネームで呼ぶことがサク的には既成事実化していたということなのでしょうか。
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...2005/06/07(Tue) 08:39 ID:Hb7rr06U
Re: なんで急にやる気になったの Name:一介のファン
| | にわかマニアさん、こんにちは。 このところ、このスレには私しか書きこんでおらず、ちょっと心細かった(?)中でしたから、レスをいただけて、嬉しく思います。 ただ、このシーンでの私の考えなんですが、サクがなんと言ったのか、かすかでしょうけど亜紀には聞こえていたように思います。「亜紀の方が・・」と言われて亜紀はすぐサクの方に振り返り、「えっ、なんて言ったの?」という、顔はしますが声には出しません。何度か観るうちに、このときの亜紀の反応は、サクが「(亜紀の方が)きれいだ」と言ってくれた(らしい)こと、そして初めて「亜紀」と呼ばれた(だろう)ことへの心の機微も同時に表わしているのかな、なんて気がしてきました。 もっとも、この頃の亜紀はつきあってること自体伏せたがってるわけですから、智世みたいにおおっぴろげに、「アキ、アキ、・・」とサクからは呼ばれたくないのかもしれませんが。 それから、亜紀はこのアジサイの丘で、2度「きれいだ(よ)ね」と言ってるんですね。1度目はもちろんこのアジサイを愛でるシーンで、サクは小声ながらアジサイよりも「亜紀の方が」きれいと答え、人間を環境によって変わるアジサイの色になぞらえて、亜紀の置かれている現状を暗示しますが、結局ファーストキスには失敗してしまいます。 2度目は2話のラストシーン、サクが持ってきた瓶の中のサトさんの骨を見て、亜紀が発する言葉です。「そのまんまがいい」と言ってサクは、「嘘ばっかりついて」来ざるをえない状況にいた亜紀を励まし、その後ついに二人はキスに成功するわけですが、言うに及ばず、亜紀はこのわずか3ヶ月後にそのサトさん同様の運命を辿ってしまいます。この二つのシーンは、実は巧みに対応しているような気がします。
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...2005/06/07(Tue) 20:39 ID:Aijd7qEM
Re: なんで急にやる気になったの Name:うてきなぷりぱ
| | そう言えば、朔太郎が亜紀に祖父の骨を見せるシーンですが、唐突に亜紀が、「それ骨?」 「きれいだね」と 朔太郎に説明する時間を与えることなく、「俺こういうのいやだ」という台詞まで行ってしまいました。原作では骨についての会話が延々とありました。この後実際に散骨するのでそういった会話は必要なしと削除されたのでしょうか。亜紀が骨を見て「きれい」と言ったのはどういう気持ちからでしょうか。
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...2005/06/08(Wed) 00:02 ID:SUB.cT.s
Re: なんで急にやる気になったの Name:にわかマニア
| | そう言えば,原作では,授業中まで「祖父の恋」のことで話し込み,2人とも立たされてしまいましたね。 ドラマでは,祖父の店に2人で立ち寄り,亜紀もまた聞きではなく,祖父から直接「思い」を聞き,その帰り道に「純愛だと思う〜手伝ってあげなさい」というセリフにつながります。 さて,別スレ(「謎解き・・・」)にも書きましたが,原作もドラマも亜紀の方が祖父の「思い」にむしろ共感を示し,サクの方が一歩退いている感じです。「おばあちゃんに悪い」というセリフに象徴されるように,身内である分,サクはそのまま祖父「だけ」の世界に入っていけないのでしょう。 一方,亜紀はその遺灰を「純愛」の象徴ととらえ,それなるがゆえに「きれい」だと感じたのでしょう。
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...2005/06/08(Wed) 00:24 ID:qDqkuY1w
Re: なんで急にやる気になったの Name:うてきなぷりぱ
| | 葛生の詩なのですが、原作では祖父から朔太郎に伝えられただけでしたが、ドラマでは亜紀が持って帰ったサトさんの写真の裏に書いてあり、成り行きで知ってしまったような感じでしょうか。帰宅後に母に、「なぜお母さんはお父さんなの」と質問していますが、母は笑って答えをはぐらかしましたが、亜紀としてはサトさんと母がオーバーラップしたのではないでしょうか。「お母さんもてたでしょう」。他に好きな人がいたんじゃないかと言わんばかりです。サトさんのことを二人で話した後の会話ということも考えられますね。 亜紀は祖父の散骨することは純愛の象徴であり、遺言(多分)を実行することなんでしょう。授業をさぼってまで写真の裏の記述のことを伝えようとしたことから考えても、直接葛生の詩に亜紀が直接触れたことは、亜紀が散骨することにこだわった一因ではないでしょうか。
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...2005/06/12(Sun) 14:04 ID:8L23LgAc