Name:うてきなぷりぱ
| | こんばんは。4話のせりふの中で、「走るって結局最後はひとりだと思ってたけどそうじゃなかったね」というのがありますね。その後に谷田部先生が、朔太郎の自転車にストップウォッチをかけるという名シーンにつながり 12秒91に結びつけることになると思っていました。でも何回か見直してみると、別の意味合いも含まれているように思いました。 この日のために練習してきて、これで最後の大会になるかもしれないのに、あえて友情を選択した。智世にも 「もう充分走ったからいいよ」。朔太郎に促されて、間に合うかどうかわからないけど、とにかく走った二人で。結局タッチの差で間に合わなかった。「待って」と思わず叫んでしまったことからも、後悔の念は絶対にあったはず。朔太郎が大会役員に食ってかかっていたけれど、もちろんできない相談。こうしたことが重なってあのせりふかなーと思いました。全編を通して走るシーンが多いです。青春ドラマにつきものと言ってしまえばそれまでだが、ことセカチュウに関して言えば、少し意味合いが違うような気がします。私たちの日常で走ると言ったら、急いでるときぐらいでしょう。亜紀の走るシーンはこの回まです。走ることは亜紀にとっての生き様だったのではないと思います。ラストで走りながら骨を巻くシーンもこれでうなずけました。このせりふの意味合いをみなさんのご意見を拝聴したいです。
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...2005/03/21(Mon) 13:12 ID:APbJYlgs
Re: 走るって結局最後はひとり Name:にわかマニア
| | >走ることは亜紀にとっての生き様だった 放映が始まる前から公式サイトに掲載されていた登場人物の「役柄紹介」に「17年の生涯を全力で駆け抜けた」という意味のことが書いてあったことから見ても,「走る」というコトバに「生きる」という意味をかぶせてあるという解釈でいいと思います。 その上で,このセリフは,自分だけのことを言っているのかということも考えてみました。スケちゃんを追いかけて駅まで走った時は,ボウズも一緒でした。一緒に泣いたり笑ったり苦しんだりしてくれる仲間の存在ということも念頭に置きながら,もっと広く「人は一人ではない」ということを実感していたのかもしれません。第5話で,この日の「罪滅ぼし」に夢島に誘われた時にも「みんなと騒いだことがない」と言っていることも併せて,もともと「仲間同士の支え合い」というものへの憧れがあったのではないでしょうか。
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...2005/03/21(Mon) 14:11 ID:kN5XIuQE
Re: 走るって結局最後はひとり Name:say
| | 朔に促されてでも走ったという事は可能なら走りたいという気持ちがあった筈で、「待って」という叫びはその思いと繋がってはいるものの後悔とは違うと思います。 そうでなければ大会役員に食ってかかる朔を静止するようなセリフは出てこないでしょう。 言うなれば未練はあるけど後悔はしていないというところじゃないでしょうか。
走ることはアキにとって生き様だったと私も思います。 家でも嘘をついてよい子を演じていたアキが、父に反対され渋々部活を辞める方向を選択しつつも大会で結果を残せば続けて良いという一縷の望みを勝ち取ったという事は、それだけ走ることがやりたい事であったという事だし、母の言うことを聞かず手のかかる子だったというアキの性格が顔を覗かせていた唯一とも言うべき点だった事からも判ります。
「走るって結局最後はひとりだと思ってたけどそうじゃなかったね」このセリフは朔への感謝の気持ちが殆どだと思います。 それは単に応援してくれているというだけでなくて、自分にとってそれがどれだけ大切な事であるかを理解してくれているという嬉しさからの言葉ですよね。
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...2005/03/21(Mon) 14:21 ID:z./XRjik
Re: 走るって結局最後はひとり Name:にわかマニア
| | sayさんも触れておられるように,設問のシーンの前に「役員に食ってかかるサク」という一幕がありますね。亜紀の気持ちが未練か後悔かは皆さんの解釈にお任せするとして,このやりとりを入れることで,設問のセリフが一層引き立ってきています。 もちろん,自分のために掛け合ってくれたことへの感謝の気持ちも,当然,込められているでしょう。
そうした解釈を前提にした上で,「そこから先の話」として,空港の「助けてください」のシーンとの関連を考えてみました。いずれも,サクは「瞬間湯沸器」状態で,前後の見境なく係員に食ってかかります。 第4話では,亜紀はサクを制止する側に回っており,当事者であっても冷静に状況判断ができる存在として描かれています。と言うか,そういう描き方をすることによって,これとの対比上,サクは自分自身のことでなくても大切な人のために没頭する存在という点が強調されることになります。 これが「空港のシーン」の伏線になってはいないでしょうか。もちろん,こちらの方では,亜紀は既に意識朦朧として,止めに入るどころではありませんが,倒れる直前,引き返そうかと気遣うサクに対して,「何が何でも行く」という強固な意志を示しています。このことで,亜紀の方もそれだけ追い詰められているという感じが描かれていますし,係員の制止を振り切ろうとするサクについても,第4話があるから,「少しは状況判断をしろよ」と心のどこかで思いつつも,「サクならやっぱり」という気持ちを用意させてくれているのではないでしょうか。 亜紀が冷静に止めに入った第4話では,2人だけの記録会とはいえ自己ベストが更新できたのに対して,2人そろって遮二無二突っ走ろうとした空港のシーンでは,そのまま不帰の人となるとは,何とも哀しい「反復の構図の崩壊」ではあります。
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...2005/03/21(Mon) 14:58 ID:kN5XIuQE
Re: 走るって結局最後はひとり Name:うてきなぷりぱ
| | こんばんわ。もし過去に紹介された内容と重複してましたら、まだ若葉マークということでお許しください。 さてこのせりふの後の展開に気になる部分がありました。亜紀と朔太郎のことが気がかりで様子を見に来た谷田部先生は、この会話を聞いたのでしょうか。私は聞いたと思います。だから、あえて何も言わずにストップウォッチを自転車にかけて、もう一度走る機会を演出したのでしょう。直接渡すという選択肢もありましたが、当然この後の二人の行動を予測できたし、そうしてほしいという願いもあったと思います。場面には出ませんでしたが、二人は先生の意思を即座に理解し、12秒91のドラマを生んだと思います。二人の気持ちが1つになることなんてめったにないと回想していることからもこのことが証明されると思います。二人だけの記録のはずだったのだのですが、先生も12秒91のことはちゃんと覚えていた。もう風化することはない。だから、「忘れなさい」なんですよね。朔太郎の亜紀に対する封印はもう、先生も共有化しているのです。だから「もう一度誰かを乗せて走りなさい」なんです。私は、封印が少しずつとかれていく瞬間だと感じました。 余談ですが、谷田部先生の存在って本当におおきいですよね。
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...2005/03/24(Thu) 22:35 ID:0bnRXQjE
Re: 走るって結局最後はひとり Name:ゴン41
| | うてきなぷりば様。 はじめまして。谷田部先生は確かに素晴らしい先生ですね。17年もの間、朔の卒業証書を大事にもっていました。生徒二人を卒業させる事が出来ず、教師として気がかりだったでしょう。 しかし、17年後の「もう一度誰かを乗せて走りなさい」では、朔自身、涙しましたが、封印は解けなかったとおもいます。何故なら、朔はその後亜紀に会いたくて自殺未遂まで計り苦しみました。封印が解けだしたのは、明希の「そんなに素晴らしい恋は二度とないよ。すごい事だとおもう。」と、その後防波堤で真と17年後再会した時だとおもいます。「よく頑張ったなあ朔」「もう充分だ」「ありがとう」の会話。そして亜紀の遺言ともとれる”ソラノウタ”やっぱり最後は亜紀なのだと思います。封印を解いたのは、最愛の17歳の少女で朔の魂を大きく揺さぶらせ、しっかり散骨できたと思います。
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...2005/03/26(Sat) 01:48 ID:xVRSTBDM
Re: 走るって結局最後はひとり Name:うてきなぷりぱ
| | こんばんわ。ゴン41様。封印が解け出したのは貴殿がご指摘の最終話でてくる3シーンであることは私も同感です。個人的には、同じ父親の立場から真の会話のシーンが好きです。ところで、私が谷田部先生の存在にこだわるのは、谷田部先生が封印を解くきっかけを演出したこと(結果的に)です。もちろん、ご指摘のとおりこの時点では、封印を解く決定打にはなっていません。この後にはじめて朔太郎が、亜紀のことを他人(明希)に話すことになりました。原作と映画は祖父が重要な位置を占めてきましたが、ドラマは早い回に亡くなったので、それ以降は祖父の代わり(他に介ちゃんとか)を勤めていたように思います。決して目立つことはなかったですが、縁の下の力持ち的な存在感と、一見、突き放すような言い方をしているようで、でも必ず二人が考えるヒントを与え、そしてさりげなく二人を見守る様子はドラマにさらに奥行きを与えています。 谷田部先生の教育方針には学ぶべき点が多いので、また機会があったら話したいと思います。
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...2005/03/26(Sat) 08:29 ID:JjYi2v4Q
Re: 走るって結局最後はひとり Name:say
| | 確かに言葉によって徐々に封印が解かれていきましたが、決定打は入水自殺を図ることで自分が生きたいと思っている事を確信したからだと思います。 あと封印を解く上で明希の存在は何よりも大きかったと思います。 明希が朔と亜紀の最後の日々を涙ながらに聞いていて、そして「もう聞かないね。あ、だけど、松本君が話したくなったら、あたしいくらでも聞くからね」と精一杯笑顔を作って話し、そして背中を向けて泣いた事で朔の心は決定づけられたのではないでしょうか。 ナレーションでも「僕が軽くなった分は、きっとこの小さな肩に乗っている」「僕はこんな優しさを知らなかった」「失いたくないと、大切にしなければいけないと思った」と続き、そして「僕はアキを撒かなければいけないと思った。それは忘れるためではなく...」と綴られている事からも明らかじゃないでしょうか。 ナレーションでは明希のことを他にも、自分のことを本気で心配し、自分のことで笑ってくれて、自分のことで泣いてくれる、そういう掛け替えのない存在として触れています。
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...2005/03/26(Sat) 16:58 ID:FjfAGj8E
Re: 走るって結局最後はひとり Name:うてきなぷりぱ
| | こんばんわ。ご指摘のとおり、封印を解くのに明希の存在は否定できないと思いました。朔太郎にとって失ったものは余りに大きかったが得たものも余りに大きかったというところでしょうか。 さて、9話の朔太郎と明希との会話で、明希が朔太郎に 亜紀と私で名前以外で似ている点について問われて、朔太郎が「見かけと違う勝気なところ」と答えた後、何か 言おうとしたときに、先に明希に「いい女だったんだ」と言われてしまった件ですが、朔太郎は何を言おうとしたのかがふと疑問に思いました。この前に家族写真を撮ったり、一樹の問いかけに涙したり、封印は解かれつつある状態なので、大きな意味合いはないかもしれませんが、もしよろしければお知恵をいただければと思います。
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...2005/03/27(Sun) 09:13 ID:euM2pGzc
Re: 走るって結局最後はひとり Name:say
| | 少し言葉を修正させてください。
>確かに言葉によって徐々に封印が解かれていきましたが、決定打は入水自殺を図ることで自分が生きたいと思っている事を確信したからだと思います。
以下のように修正
確かに言葉によって徐々に封印が解かれていきましたが、決定打は入水自殺を図る際に自分の心は亜紀と共にあって灰になってしまったんだと思っていたのが、実際には自分が生きたいと思っている事が判り、それまで自分が思っていた心のあり方を(変えざる|見つめ直さざる)を得なくなったからだと思います。
もう一カ所修正
>そして背中を向けて泣いた事で朔の心は決定づけられたのではないでしょうか。
以下のように修正
そして背中を向けて泣いた事で朔の心は揺さぶられ、新たな心の拠り所として明希が決定づけられたのではないでしょうか。
朔が言いかけた言葉ですか。 にこやかに微笑み返す雰囲気が桜井さんと手塚さんとが似ているなと思いました。...って違いますね。(^^; 難しいですね。勝ち気という言葉がドラマで描かれている明希の行動すべてを形容しているように思うので、内面的なところですかね。 恋愛面では亜紀は積極的だったけど、明希は待つタイプのように思える...けどそれは一樹がいたり年齢的な部分の影響かもしれないし。 酷い嘘の葉書に激怒した亜紀は思いやりの心に富む人物だと思うけど、明希の場合その点どうかというと、朔に向けるものは恩と愛故に差し引いて考える必要があると思うし、一樹に対する接し方、一樹の性格から垣間見えてくるのかなと思いますが、...明希もそのような感じはしますね。
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...2005/03/27(Sun) 11:33 ID:y/eFCw2c
Re: 走るって結局最後はひとり Name:にわかマニア
| | >答えた後、何か言おうとしたときに、先に明希に「いい女だったんだ」と言われてしまった
ここでの質問は,亜紀の人物像についての質問ではありますが,「廣瀬亜紀とはどんな人だったか」という第三者的な問いかけではなく,「自分とどこが似ているか」というものでした。つまり,ここでの答は,亜紀についての答であると同時に,小林についての人物評にもなってしまうのです。 だから,瞬間的に思い出の中の亜紀像を(もちろん,慎重にコトバを選びながらですが)語った後になって,この言い方では,目の前にいる小林に対して「お前は勝気なやつだ」と言ったも同然であることに気付き,フォローするコトバを探したのでしょう。もっとも,実際には,フォローするより先に,小林の「いい女だったんだ」が出てきましたが。 では,小林は何故,「いい女だったんだ」と言ったのでしょうか。どんな人かと聞かれて,どちらかと言えば「ネガティブ」と受け取られかねない,少なくともフォローする必要があるようなコトバが出てくるということは,そういう飾らない付き合いができる間柄であり,相手が「いい人」だったからこそ,そういう間柄になれたのだろうと判断したのではないでしょうか。 もちろん,サクが何とかフォローするコトバを探しているのが判っていて,先に気を回したということもあるでしょう。 最終回で,小林が一樹の父親のことを「最低の人」と言いながら,その話を聞いている今サクが,それでも楽しそうに話しているような印象を受けるシーンがありましたが,攻守ところを変えながらも,その場面を先取りしたような感じもしています(もちろん,全編を後から振り返っての感想ですが)。
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...2005/03/27(Sun) 12:22 ID:j8PK1fXo
Re: 走るって結局最後はひとり Name:にわかマニア
| | 改めて,「結局は独りだと思っていたけど違った」というスタンドでのやりとりから「安心して忘れなさい」に至るシーンを見返してみました。 「2人だけの自己ベスト」から場面が現代に切り替わったところで,上記の恩師の名セリフの前に今サクの述懐が入ります。そこでは,「ずっと独りでやっていこうと思った」が「あと何回17年を」ということが語られています。そして,恩師のセリフは,単なる「忘れろ」ではなく,「もう一度誰かを」でした。 これは,17年前の亜紀のコトバが下敷きになってはいないでしょうか。「走る」を「陸上」に限定せず,「人生一般」と解釈した場合,特に,この一連のセリフには字面以上の重みが感じられます。
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...2005/03/27(Sun) 15:54 ID:j8PK1fXo
Re: 走るって結局最後はひとり Name:うてきなぷりぱ
| | こんばんわ。皆様の貴重なご意見を参考の上、わたしなりに恥ずかしながらこのせりふについてまとめてみたいとと思います。 亜紀は智世と友情のために走った。朔太郎も坊主も。 亜紀は朔太郎と走った。残り時間30分 間に合うだろ うか。自分のレースのアナウンスが 亜紀は目の前に自分がいるはずの空席のスタート台 とはちあわせ。 スタートの合図が鳴った。思わず「待って」 自分だけを置きざりにして無残にも他の走者はゴール に向かって走りぬける。ただ呆然と見つめることしか できなかった。 われに返って後ろを見ると朔太郎の叫ぶ声が。 必死に止めようとする亜紀。 谷田部先生の声がして、改めてわれに返る。 先生が深々と頭を下げる姿をみて申し訳なく私も頭を 下げる 亜紀は走りたかった。 朔太郎と走った12秒91 二人だけの公式記録だと思っ ていたけれど谷田部先生も記録の生き証人だった。 「走るって最後は一人と思ってけど違った」 人生は一人で生きられない、一人の力ではどうにもな らないことも世の中にはあるのだろう。 亜紀は17年の生涯を走りぬけた、そこには朔太郎がい る、智世がいる、介ちゃんがいる、坊主がいる、谷田 部先生がいた。 今を生きる朔太郎は明希を後ろに乗せて走る、もちろ ん一樹も一緒だ
どうもうまくまとまりません、あしからず。
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...2005/03/28(Mon) 23:32 ID:oOOQkubY