| | 遅ればせながらドラマ版に大はまりしました。最近はやっと冷静にDVDを見ることが出来るようになりました。ところで… お話の中にも出てきたとおり、人間は悲しいかな「忘れていく」生き物です。そうなるように出来ているとも思います。それにしても17年とは…。現実にはあそこまで抜け出せなくなってしまうことは稀なのかもしれませんが、だからこそ「物語」としてここまで多くの人を惹きつけるのだとも言えます。しかし… ドラマ全てを見終わり、冷静になって見返す今となっては、朔が17年も束縛されていた理由が分かるような気がします。それは、朔にとって亜紀はこの世で唯一絶対的なもの、語弊を恐れず言うならば「聖母(宗教)」に等しい存在だったはずだからです。特に第3話のラストシーン、両手を広げ朔を見つめる亜紀には、(他の方々も触れてますが)第三者から見ても神がかり的なものを感じました。朔にとってはなおさらでしょう。 つまり、そのような存在を失うということは、「信仰」を失うことと同義であり、ある特定の宗教を深く信仰している人にとって、その「信仰」を失うことは「世界の終わり」そのものなのかも知れません。だからこそ、あれからの朔の世界はそれまでのものとは別世界であり、しかしながら、現実には同じ肉体を持ち、亜紀を偲ばせるもの(記憶も含め)や人間が存在するわけですから、その苦しみたるや… 「宗教」に例えましたが、私自身、特定の「信仰」を持ち合わせているわけではありません。日本に住む多くの人も同じではないでしょうか。(ここまで宗教にかかわりの少ない人間が多い国は、世界でも珍しいそうです)しかし、このドラマを通して、「絶対的な存在」の意味を少し理解できたような気がしています。 なんか難しいことを考えてしまいましたが、「宗教」にはほとんど無知なため、失礼な部分がありましたらお詫びいたします。 さて、今日も家に帰って僕も神様に癒されてくるとしますか…。
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