| | 私は現在17歳の男子高校3年生です。 私は中学2年生の時にネットで同い年の男性と知り合いました。 その男性(仮に雄大君として)、雄大はとてもやさしく、正義感が強い子でした。もう中学生の年なのにかなり子供っぽい自分をいつもやさしく、学校で嫌な事があったときはいつも励ましてくれました。 そして雄大とは家が4駅くらい離れているくらいの距離だったので、よく休日は一緒に遊んでいました。 私は雄大を同い年ながらとても尊敬していました。 中学3年で卒業するときには、雄大の励ましや、優しさのおかげで、いつも叱られていた担任の教師からは、君が一番心の成長をしたよ。といってもらえました。 でも、高校1年の夏休みが終わった後、2学期が始まった矢先、雄大が入院したという連絡が入りました。 いてもたってもいられず、自分は雄大が入院している病院へ飛んでいきました。 雄大の病気を最初に聞いたときは「再生不良性貧血」と聞かされました。 そう、まさにこのドラマの様に。 再生不良性貧血はすぐ治ると聞いたので、安心してその時は家路に着きましたが。 幾度かお見舞いに行っていると、少し雄大の病状が悪くなっているように見えました。 しかも、あの・・ビニールカーテン・・・ これは尋常じゃないと思い、担当の医師に訊きました。 そうしたらあの単語が医師の口から漏れてきました。 そう「急性白血病」です。 白血病という言葉は以前からテレビなどで多少知っていました。死の病だという風に・・・ 私は放心のまま家路に着き、そのまま泣き崩れました。 「なんで、、なんで、雄大に・・雄大が何をしたって言うんだ!」 それから1週間、、ほぼ2日に1回は行っていたお見舞いが途切れました。 その後、病院に行ってみると薬でつらいのを我慢して、笑顔を作っている雄大の姿が見えました。 雄大「どうした、見舞い飽きちゃったのかと思ったよ」 元気な声なんて出ないのに、がんばって元気な声を出そうとしている雄大を目にし、私は病室から飛び出しました。 涙をふき取って病室に戻ると、 雄大「どうしたんだよ、いきなり飛び出して行っちゃってさ」 一時の沈黙・・・ 雄大「俺は、助からないかも知れないんだってね、担当の先生から昨日言われたよ」 私「そんなことない!!骨髄移植という道だってあるんだ」 雄大「そんなの、、何万分の1だろ!俺は死ぬんだ!!もうこないでくれ!!!」 雄大のかすれが混じったそんな声を、初めて聞きました。 次の日行ってみると、雄大もだいぶ落ち着いた様子で自分から昨日のことを詫びてきてくれました。 それから幾月が過ぎ、雪の降る季節に。 私は高校の所属していた吹奏楽部の定期演奏会に向け練習をしていました。 それでも、練習が休めそうな日は休み、4駅先にある病院へ通いました。 その定期演奏会が終わり、しばらくたった頃前々からの風邪が、なんと肺炎になり2週間ほど入院してしまいました。 違う病院だったので2週間も会えない日々が続きました。 何とか退院でき早速雄大のいる病院へ向かいました。 自分が治ったんだから、雄大も絶対に治る。と説得力のあるような、ないような私の話を、雄大はずっと笑顔で聞いていてくれました。 しかし雄大の病状も少し軽くなってきたように見えてきた、5月の後半でした。 学校から帰ってきた私は突然の連絡に信じられないでいました。 雄大の病状が急変して今し方亡くなったと・・・ そのときの私は突然のショックから、精神状態がおかしくなったみたいで、近くにあったモデルガンを右目に向けそのまま発砲したみたいです。 ふとわれに返った自分は右目からみえる景色がまるで擦りガラスを通して見るかのようににごって見えているのに驚き、親とともに病院へ向かいました。 幸い網膜には異常はなく、虹彩離断だけですみました。 だがそれは現実の雄大と私との虹彩という名の絆が、ブチンと切れてしまったかのようでした。 しばらく自宅療養の末入院生活に入りましたが、やはり雄大の突然の訃報に落胆していました。 その後右目は何とか大した後遺症もなく治ってくれましたが、雄大を失った時の傷はまだ治ってくれませんでした。 そこからの一年間は雄大のことを忘れるかのように部活をやめ、猛勉強をしていました。 そして2004年の夏 世界の中心で愛を叫ぶ のドラマを見ました。 雄大が亡くなって以来、涙ぐむことなど一切なく、笑うこともほとんどしなくなった。この私に泣くことを始め多くの感情を呼び戻してくれました。 そして私は亡くなった親友のためにも、今も白血病で苦しんでいる人のためにも、自分に出来ることをしようと思っています。 今まで冷徹な人間だった私をここまで変えてくれた影響力のあるものは初めてだと思います。 完全には傷は癒えていませんが、それを考えるより、今、自分が何をすべきかを考えようと思っています。 この世から白血病などの難病で苦しむ人たちのためにも、飢餓で苦しむ人たちのためにも、これからの人生を役立てられるよう 精一杯生きていきます。
最後に、このドラマに逢えてよかったです。
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