Name:さくだろう
| | ドラマに夢見がちなさくだろうですが、ちょっと現実的に考えてみて、このドラマに以前から疑問なことがあります。 それは、この純愛話のスタートなのです。 最終的に17年も想い続けることになりましたが、そこまでの想いになるには付き合い初めのきっかけが弱い感じがします。 サクは傘をささずにはいられない衝動にかられ、だんだん自分の気持ちに気づいた・・・って感じでしょうか? アキは傘をさしかけてくれたことが嬉しかった・・・が、きっかけでしょうか? もちろん、その後の生活で高まっていったとは思うのですが、アキは傘をさしかけてくれたってことだけなのでしょうか?
つまり、なんかもっと衝撃的なことがないとあんな急に接近して、ハマりこむのはどうなのでしょう?
確かに好きになることに理由が無いことなどいくらでもありますが、サク&アキはある意味(お互いに行動に対する)一目惚れみたいなものだったのでしょうか?
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...2004/10/21(Thu) 00:03 ID:GLqSrbOk
Re: スタート Name:もん
| | サクちゃんは雨の中、弔辞を読み続ける亜紀の姿に何かを感じ、無意識に傘を差し出す行動に踏み出したのだと思います。 でも以前から亜紀ちゃんが気になる存在だったのかも。 それを意識したのがあのシーンの後だったと思います。(想像ですが)
亜紀ちゃんは、サクちゃんが傘を差し掛けてくれた優しさに感動したのかもしれないけど、随分前からサクちゃんを意識して見てたのでは? 鍵を無くしてごそごそしてる様子とか、手紙を書いてるサクに傘を差し出すとか...。 サクちゃんの様子を観察してたと思う言葉が告白の中に沢山ありますよね。
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...2004/10/21(Thu) 00:14 ID:NORqirzg
Re: スタート Name:にわかマニア
| | 原作だと,2人は中学校の頃からの同級生という設定ですから,時間をかけて次第に親しくなっていくのに,特に不自然さは感じさせません。それでも,嫉妬したクラスメートのイジメに遭って初めて亜紀に対する感情を認識するという経過をたどっています。 ドラマや映画は,中2から高2までの4年間を高2のわずか数ヶ月に濃縮して表現した分,「親しくなっていく過程」が薄かったかもしれません。まあ,見る人の多くが原作を読んでいるか,「あの恋物語ね」という程度には知っているという前提で,言わば最初から2人は「そういう存在」として登場しても,何となく納得する部分もあるのでしょうけれども。 そういう中で,動機付けとして描かれたのが,父との葛藤を抱えながら「がんばる」=「無理をする」亜紀と,それをありのまま受け入れる「シェルター」としてのサクという設定なのではないかと一応は解釈しています。ただ,後に続く展開の重さと比べると,ちょっと弱いかなという感じも否めません。 もっとも,動機付けの部分まで丁寧に描いていたら,逆に冗長になってしまっていたかもしれませんね。また,原作が存在しないかあまり知られていなかった場合は,もっと別の描き方をしていたかもしれません。
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...2004/10/21(Thu) 00:39 ID:J2nyTBTU
Re: スタート Name:clice
| | 私も、もんさんの意見に賛成です。 あの第1話はその前の設定があった上であの場面から始まっていると思います。亜紀にとって朔太郎は以前から気になる存在だったと思います。ただのクラスメートというより好意を持っていて、朔太郎が気づいてないだけで亜紀はずっと朔太郎を見ていたんじゃないでしょうか?もちろんその最初のきっかけがどこかにあったはずです。朔太郎がいつも鍵を無くしている事を知ってて、ラジオの景品のキーホルダーをあげたいんだけど、亜紀はあの通り人の目を気にする性格で、ある意味素直じゃないですから自分から何も無い状態でその行動には出れないんだと思います。亜紀じゃなくてもそうゆうことは誰にもありますよね、恋なんてそれを飛び越える勇気があって始まるものだから・・。 だからあの時、傘を差し掛けてくれたのが朔太郎で一瞬すごくびっくりするけど、それは嬉しくて亜紀にとってはこのきっかけを逃がしたくないと思い、走って港まで追いかけ声をかけたんだと思います。 そして照れ隠しにおもちゃで(これを持っていたことはあえて気にしないとして)ふざけた後、渡したかったキーホルダーをあげたんだと思います。亜紀にとっては一斉一代の告白にも近い事だったんじゃないでしょうか、渡す前に深呼吸してるし、朔太郎が受け取ったことで安心して、防波堤に上がる時にわざと肩に触り亜紀にとっての最初の一線を越えたんだと思います。 だから次の日から安心して朝の二人だけの挨拶が出来たように思います。そして朔って呼べるきっかけにたこ焼き屋で偶然会ったようにして一緒に帰り、朔太郎にうんって言われたことで亜紀ちゃん的には自分の好きにOKをもらったようなものだったんじゃないでしょうか? だからラジオの朔の嘘の投稿に対して、裏切られたように思い激怒したんだと思うし、この一連の演出はすごく上手いなとかってに解釈しています。 亜紀にとって朔太郎を意識する最初のきっかけがどこかにあるはずですが、それはこんな事かもと考えた話を公式HPに書いたことがあります。 感想BBSのVOL17の77です。本当にかってな解釈ではありますが、読んでいただければ嬉しく思います。
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...2004/10/21(Thu) 02:49 ID:0161g3d.
Re: スタート Name:元陸上少年
| | では私の勝手な想像を。 廣瀬亜紀は、廣瀬父の仕事の関係でこの高校を受験したのですが、出身中学とはこの高校とは全く違うところだったのです。入学しても、廣瀬亜紀のキャラではなかなか友達ができません。走るのには自信があったので、陸上部に入部することにしました。ところが、そこでもなかなか話しかけることもできませんでした。そのとき、出てくるのが智世です。智世の「タオル貸して」の一言で、亜紀の大きな転機になったのだと思います。 智世と仲良くなっていくと常に絡んでくるスケ、サク、ボウズの三人組の存在が気になってきて、最後にはその中でもサクがすごく気になる存在になっていったのだと思います。でも石橋を叩いて渡る亜紀は告白なんてできないのです。それからは何もないまま歳月だけが流れていきました。 そして、あの告別式になったのです。ずぶぬれになりながら、気持ちだけは負けまいと頑張っていると傘をさしかけてくれるヒト、あのサクだったのです。でもそのときになると、もう亜紀はサクのことを忘れかけていたんだけども、その瞬間、気持ちが戻ってきて、もういてもたっても居られない状態になってしまっていた。亜紀は気持ちが抑えられなくなってサクを必死になって探す。『居た!!』と思うと同時かその前に「松本君」と呼んでしまっていた。そこでは亜紀流のサクを色んな方法で接してみて、ああこの人だったんだと亜紀はそのとき、それ以上は望んでいなかったと思います。 そうこうしているうちに、例のラジオが放送される。その後、サクから、「亜紀は母親でも妹でもない」と言われてショックを受ける。 その後、テープを聴いてサクの気持ちが離れていないのに気付き、このままではいけないと思って、告白に至ったのでは。 妄想のくせに長くてすみません。
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...2004/10/21(Thu) 12:43 ID:swOLvGJ6
Re: スタート Name:さくだろう
| | 原作も読んでいるので、その設定に比べドラマでの二人のスタートの部分が弱い感じがしていましたが、みなさんの意見を聞いてなんだかはっとしました。 “傘をさしかけたサクとさしかけられたアキ”この部分にすべてが集約され、これだけでも十分な理由だったのだと! 「シェルター」とか「『居た!!』」に共感を覚えました。なるほど・・・
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...2004/10/22(Fri) 11:55 ID:/cWzKKqY
Re: スタート Name:まさと
| | 前から好きだったのさ。
ただきっかけがなかった。 何をそんなに深く考える必要があるのか?
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...2004/10/22(Fri) 17:00 ID:ZODde0EU
Re: スタート Name:にわかマニア
| | 「何をそんなに深く考える」かと言われても,パスカルも言うとおり,「考える」からこそ人間なのであって,だからこそ「知るは楽しみなり」という言葉もある訳です。
さて,前回の投稿の続き(補足)です。 4年間の出来事を高2の数か月に凝縮して描いたのが映画やドラマであることは既に書きました。このため,2人の交際の進展にとって一つのターニングポイントとなった葬儀と弔辞の場面の描かれ方も異なってきています。 原作では,この先生が入院するのは夏休み明けで,葬儀は年末です。これは,夢島(夏休みの思い出)からの帰りに倒れ,2学期の末に亡くなるという亜紀のケースとの反復を意図しています。逆に言えば,季節(時期)も含めた反復の設定のため,原作の設定は複数年にまたがらざるを得なかったとも言えます。 もともと日が短く,暗い季節ですから,亜紀の神々しさを強調する舞台設定として,雲の合間から陽が差すという描き方になっています。 ところが,映像化にあたり,出会いから別れまでを同じ年に集中させた結果,季節の設定も変更を余儀なくされています。2人が幸福の絶頂にある時期として夢島のエピソードは外せませんし,海水浴やキャンプとなると,夏休みという設定は動かせません。そこから逆算すると,先生の葬儀は梅雨時という設定にならざるを得ないのですが,そうなると,亜紀の神々しさの演出としては,原作とは逆に,急な雨にもかかわらず弔辞を読み通すという設定の方が自然です。 ドラマの場合,基本的には,映画のこの設定を受け継いでいますが,たまたま持っていた傘をさしかけるというのはドラマのオリジナルです。ひょっとすると,これは,「きっかけ」をより鮮明にという意図の他に,サク自身が傘となって,亜紀がいろいろなプレッシャーから逃れることのできる場を提供するという象徴的な意味合いを込めていたのかもしれません。
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...2004/10/23(Sat) 20:59 ID:CCsypI.2
Re: スタート Name:さくだろう
| | 7>> 確かに、原作ではただ遠くからアキを見つめアキの美しさに気づいたと心の中の台詞が並べられるだけです。 “だけ”といっても文字にするといい雰囲気なんですけど。 ただ、映像にすると物足りないのかもしれませんね。 大勢いるはずなのに二人しかいない、あの空間の映像が実に二人の始まりを予感させるに十分なシーンとなっていますね。「サク自信が傘」いいですね、この解釈。 映画とは後々へのつながりという意味で、解釈の異なるシーンですね。
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...2004/10/23(Sat) 23:53 ID:Sv8ZkXwI
Re: スタート Name:鎖骨ルーレット
| | さくだろうさんの一目惚れという意見について、原作からですが私も気になっている事があります。 朔は中学二年生で同じクラスになるまで顔も名前も知らなかったことに対し、アキは一年生のときから朔がCDの貸し借りをしているのを見ていて、CDの内容まで知っています。 このことからアキは一年生の時点で朔のことを意識していたのかなぁ?しかも他のクラスの人を意識するってことは顔も好みだったのかなぁ?と考えています。
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...2004/10/27(Wed) 00:22 ID:wpNKl7og
Re: スタート Name:さくだろう
| | 鎖骨ルーレットさん そうなんです、原作はこの恋愛の始まりとなる材料の様なものが、ちりばめられているんです。 ドラマは短時間で説明しなくてはならないから、ああいう形になったのでしょうね。
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...2004/10/27(Wed) 00:48 ID:/G0xYiD2