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過去ログNo1
詩について。  Name:世界の中心で・・
ソラノウタという詩ってあるじゃないですか。
みなさんはソラノウタという詩についてどうおもわれますか?
また、その詩にはどのような意味が含まれてると思いますか?
いろんな方の意見が聞きたいです。

生きていくあなたへ

もしおまえが
枯れ葉ってなんの役に立つの?ってきいたなら

わたしは答えるだろう
病んだ土を肥やすんだと

おまえはきく
冬はなぜ必要なの?

するとわたしは答えるだろう
新しい葉を生み出すためさ

おまえはきく
葉っぱはなんであんなに緑なの?

そこでわたしは答える
なぜって、やつらは命にあふれているからだ

おまえはまたきく
夏がおわらなきゃいけないわけは?

わたしは答える
葉っぱどもが、みな死んでいけるようにさ

おまえは最後にきく
となりのあの子はどこに行ったの?

するとわたしは答えるだろう
もう見えないよ

なぜならおまえの中にいるからさ
おまえの脚は、あの子の脚だ




がんばれ
...2004/09/17(Fri) 17:57 ID:fmQSXalA    

             Re: 詩について。  Name:8月の蛍
「枯れ葉ってなんの役に立つの?〜葉っぱどもが、みんな死んでいけるようにさ」まではすべてのものは理由があって存在するというアボリジニの世界観を言っているのだと思います。(インディアンの言葉らしいですが・・・)
問題は「お前は最後にきく」のところからだと思います。
「となりのあの子はどこに行ったの?」と聞かれたら一般的には「もう見えないよ。なぜなら遠い星(天国)へ行っておまえを見守っているからさ。」といった内容を答えるでしょう。
しかし、ここでは「おまえの中にいるからさ」と答えています。
これはアボリジニの宗教観が影響していると思われます。
アボリジニでは天国やあの世といったこの世の都合で考えだされた死後は存在しません。かといって死後の世界がないとも考えていません。
死後2回の埋葬を経て大地に戻り精霊となってこの世で暮らすのです。

アキはアボリジニに傾倒し、この世の都合で考えられた天国やあの世を信じていませんでした。
アキは自分の死後は生きてゆくサクの心の中にいる。人生を一緒に走っている(生きている)。
だから悲しまずにサクにがんばれといいたかったのでしょう。
...2004/09/17(Fri) 20:48 ID:lFxMYW2k    

             Re: 詩について。  Name:世界の中心で・・
レスありがとうございます!^^
その詩はやっぱりアボリジニが深く関係しているんですか。
んー。。。
...2004/09/18(Sat) 20:13 ID:eqxBcNA6    

             第1話と最終回に登場する詩  Name:にわかマニア
 この詩は,第1話と最終回の両方に出てきますね。それも,前者は弔辞として,後者は「遺言」として。そういうことが可能なのは,死と再生がモチーフになっているからだろうと思います。
 一方,夢島でのやりとり等から,来世や天国や神についての亜紀の考え方を窺い知ることはできますが,アボリジニの世界観に関心を示すのは病気になってからのことです。
 すると,背景にある世界観を深くは知らないまま詩に接したが,もともと持っていた来世のイメージと波長が合ったため,すんなりと入っていき,後でその世界観を知り,自分の認識に確信を深くしたということなのでしょうか。
...2004/09/19(Sun) 01:00 ID:ciR13hf2    

             詩「ソラノウタ」について  Name:にわかマニア
 前回の投稿とも関連しますが,この詩は,どこまでが米大陸先住民の言葉(アボリジニの世界観に通じるものがあったようですが)からの引用で,どこからが亜紀のオリジナルなのでしょうか。
 仮に,「となりにいた子は,おまえの中にいる」という部分が後で亜紀が書き足したものだとすると,それ以前の部分が第1話で弔辞として登場し,書き足された形のものが亜紀からサクへのメッセージになったことも何となく判るのですが・・・
 いずれにしても,第1話の葬儀の場面(サクが亜紀を意識するきっかけ)のところにこの詩をもってきたのはドラマのオリジナルでしょうが,全編見通した今から思うと,ここで既に全体のテーマと最終話への伏線が張られていたのですね。

 あと,あの絵本の最後の頁の絵ですが,原作で交換日記を始めた時に,「本人らしい子が色鉛筆で描いてあり」(22頁)というのを思い出しました。
...2004/09/21(Tue) 04:12 ID:vtcHCNLI    

             Re: 詩について。  Name:8月の蛍
>にわかマニアさん
おっしゃるとおりだと思います。

インディアンの言葉にしても、すべてのものには理由があって存在すると言うアボリジニの世界観と同じです。
出処を知らないアキにとってはアボリジニの言葉と捉えても不思議はありません。
「おまえは最後にきく。となりのあの子はどこに行ったの?」からはアキのオリジナルでしょう。
しかし、死後2回の埋葬を経て大地に戻り精霊となってこの世で暮らす。ドラマでは新しい命を育む。といった漠然としたアボリジニの宗教観を実に分かりやすく解説してくれています。
私自身「死後この世で暮らす」の意味が理解出来ていませんでした。
ソラノウタを見て初めて人の心の中にいる。共に生きていく。という意味を知ることができ、目からうろこでした。
むろん、それだけではないでしょうが具体的に理解ができよかったです。
研究熱心なドラマのスタッフに感謝です。
...2004/09/21(Tue) 23:38 ID:D04nsM76    

             国連先住民族年  Name:にわかマニア
 米大陸やオース卜ラリアの先住民の世界観がカギとなったこのドラマが放映された今年は,考えてみたら,国連先住民族の10年の最終年にあたります。
 そういえば,国連の環境と開発委員会が先住民族の智恵に学ぼうと提唱したのが1987年でした。そして,先住民族のアイデンティティの尊重が盛り込まれたILOのl69号条約が結ばれたのが1989年ですから,この点でもこのドラマは時代の雰囲気を反映しているのですね。
...2004/09/22(Wed) 12:40 ID:txt4bFxk    

             弔辞と詩  Name:にわかマニア
 今ごろ気がついたのかと笑われるかもしれませんが,原作では単に「アキの担任だった先生が亡くなった」とあるだけで,何の教科の教師か特定はしていません。これを「生物の教師」という設定にしたのは,亜紀が弔辞の中で語っているように「食物連鎖」をきっかけに,「いのちのつながり」からアボリジニの世界観を引き出すためだったのですね。
 あと,原作では,葬儀は年末という設定で,弔辞を読む亜紀に陽がさすことで,文字通り亜紀を輝かせたという流れになっていますが,映画やドラマでは梅雨という設定です。中2から高2までという原作を高2の一年間に凝縮したことにもよるのでしょうが,雨の中で弔辞を読み続けるという亜紀の芯の強さを描くにも,原作の「駆け寄りたい衝動」を傘を差し掛けるという具体的な行為として現実化するためにも,映像化にあたって梅雨時という設定に変えたのは正解だったような気がします。
...2004/09/23(Thu) 09:29 ID:4Oszrlhs    

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