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過去ログNo1
エンディングシーンについて  Name:名無し侍
ついに終わってしもうたのう・・・。今は感無量で言葉が見当たらぬ。

敢えて言うならば、エンディングで亜紀が出てきたのはちと唐突だったかの。サクと亜紀が手を繋いで堤防を歩いていくシーンは、プロデューサー殿の視聴者向けサーヴィスと言えぬこともないが、解釈によってはもっと深い意味がありそうじゃな。それがしも思うところはあるが、ここは方々のご意見をお聞きしたいぞよ。
...2004/09/11(Sat) 10:54 ID:EHTUITEI    

             Re: エンディングシーンについて  Name:楽太郎
"ぼくは走り続ける。走り続けた先に、君と逢えるかもしれないから"
という遺灰を撒くシーンのセリフに、掛かっているのではないでしょうか
その後の朔は17年間の苦しみから一歩踏み出せた事をラストで表現したのかもしれません。
視聴者サービスもあるとは思いますが。。。
...2004/09/11(Sat) 11:45 ID:THI23HLk    

             Re: エンディングシーンについて  Name:みな
私も一瞬「ん?」と思いました。
人が死ぬドラマの常套手段ですよね。死者を
最後に登場させ、「あれ?どうなってんの?」

でもテレビを消して回想してるとすぐにわかりましたぞよ。
「走り抜けたとき笑顔で君と会えるだろう」
の言葉どおり、これまた唐突ではありますが
小林明希と人生を過ごし、その人生を精一杯
走り抜けた、サクがアキと再会できたのですよね?
一番輝いてるときの姿であの世で再会出来るといいますしね(^_^;)
でも、もちっと余韻残しながら見せてくれても良かったかな?
作品自体は大変良くて感動でよかったですし、あれ以上の最終回は作れないと思います。

私はそのシーン自体より、そのシーンの
アキ(綾瀬はるかちゃん)の髪が伸びているのが気になりました。
綾瀬さん、頭はそってなくて全然いいんですが、
あの再会のラストシーンのときに髪が伸びてるのは
イタダケマセンデシタ。
みなさまどうでしょう?
...2004/09/11(Sat) 11:50 ID:RrF6KVGU    

             Re: エンディングシーンについて  Name:じゅん
何十年後、分かりませんが、あれは朔の走りつづけた人生のゴールだと解釈しています。ドラマの最終回って今まで感動してたのに!って終わり方が多い中、最高に素晴らしい最終回でした。緒方さんも、だんだんと良くなってきてて、最終回は緒方さんなしではありえなかったと思います。
最後の髪の毛、あれ多分かつらです。髪の生え際とか色が少し不自然だったから。
...2004/09/11(Sat) 12:32 ID:EBU93av.    

             Re: エンディングシーンについて  Name:するめ
楽太郎さんの意見でいいんでしょうね。
堤防まで朔も走っていましたし、そこで止まって、亜紀がいる。そのセリフにかかるのだと思ってみていました。

現在の緒形朔がどんな形で救われても、87年の山田朔が救われたイメージがないとなんか残ってしまうのではと思っていましたので、ラストはあれでよかったと思います。

>みなサン
亜紀の髪は一番美しい時のイメージですから、伸びてるのは気になりませんでした。
ボウズ頭だと痛々しさが残ってしまいませんか?
...2004/09/11(Sat) 12:40 ID:ZPDefzWA    

             Re: エンディングシーンについて  Name:か〜ちゃん
ギャラリーの一番最後見ました?
あれはどうみてもカツラにしか見えないんですけど、どう思いますか?
...2004/09/11(Sat) 13:01 ID:NvOPacvw    

             Re: エンディングシーンについて  Name:ヨッシー
そうですね。ほぼ間違いなく、カツラだと思います。ですが、僕はそんなことは気にならず、ドラマに溶け込んでいました。
本当に、素晴らしい作品でした。

エンディングのシーンは僕も、みなさんの意見と同じですが、そんな意見もあるのかと感心したスレがありました。
常に徹夜明けの顔という題名です、興味を持った人は一度見てくださいね。
...2004/09/11(Sat) 14:01 ID:PUgfDmTE    

             Re: エンディングシーンについて  Name:えぼし
ヨッシーさん、こんにちは。
「サクの現在の心証風景では」、という意見になるほどと思いました。
最終話のタイトルを「かたちあるもの」にしたのは、"ソラノウタ"に込められた「あなたの中にいる」というメッセージ、こころの中で一緒に生き続けるんだよという「かたちないもの」への昇華を伝えたかったんではないかなと思います。

"千の風になって"という詩を思い出しました。
...2004/09/11(Sat) 16:58 ID:klRvWkBY    

             Re: エンディングシーンについて  Name:名無し侍
早速のレス痛み入る。17.の騰徳殿の御説を見落としたのは、それがし粗忽でござった。

しかし、この件についてお主はどうじゃと問われれば、それがしの意見は、みな殿、じゅん殿に近い。

「現在のサクの心象風景」との御説は常識的には妥当なものじゃ。しかし、それがしとしては、今サクの「走り終わったその時に、君に笑って会えるだろう」を素直にあのシーンにリンクすれば、御両者のような解釈もドラマとしては成立するのでは?、と思う。今サクは明希と一樹と歩んでいくわけで、亜紀のことは徐々に忘れていかざるを得んが、その生を全うした時(必ずしも死ぬと言う意味ではない)、胸を張って亜紀と再会できる・・・としたほうが、ふたりの純愛をしる我々とすれば美しい結末ではないかな。
...2004/09/11(Sat) 18:46 ID:EHTUITEI    

             Re: エンディングシーンについて  Name:ヨッシー
いいですね、名無し侍さん。
皆さんの意見を見ていると、サクの心証風景、サクが小林明希と走り終えた後の廣瀬亜紀との再会、どちらとも正しいと思います。
僕は名無し侍さんの意見に共感しますが、どちらにしろ、サクと亜紀の愛は永遠なんだと思いました。
...2004/09/11(Sat) 19:02 ID:PUgfDmTE    

             Re: エンディングシーンについて  Name:怒羅権
あれって、特別編に繋がるのかな??
 でもあの二人の笑顔がやっぱ一番最高だなァ〜
...2004/09/12(Sun) 00:39 ID:kWJvojlQ    

             Re: エンディングシーンについて  Name:ジミー
木曜日は映画で金曜日はドラマで、いや、トータルで何gいや何t泣いたんだ?セカチュー最高だ。
...2004/09/12(Sun) 00:50 ID:80KHRI0A    

             Re: エンディングシーンについて  Name:シン
はじめまして。エンディングシーンについて人それぞれの考え方があると思いますが、自分はあれはサクが死んでからかどうかわらないけどちょうどそのとき主題歌のかたちあるものの、寄り添える場所 遠い夏の日 って所が流れてたのでそれをイメージしたのかななんて思ってます!
...2004/09/12(Sun) 01:47 ID:zlt9EXWs    

             Re: エンディングシーンについて  Name:しげ
はじめまして。『僕はキミほどには速く(人生を)駆け抜けられない。だけど、キミが望んでくれたように、がんばれって言ってくれたように精一杯走り続けたよ。』ってことじゃないかなぁ?亜紀と笑顔で逢えるように、ひたむきに精一杯走り続けたサクを亜紀が迎えにきてくれたんだと思います。
私も12年ほど前に大切なひとを交通事故で亡くしました。自暴自棄になったこともありましたが『がんばって精一杯生きよう。その上で人生の終焉を迎えたら、迎えに来てくれる“大切だったひと”と笑顔で再会しよう』そう考えて自分の壊れそうな心に折り合いをつけました。
...2004/09/12(Sun) 02:15 ID:JJZuhrTk    

             Re: エンディングシーンについて  Name:朔五郎
小説でも使われる手法ですけど、あれは観る人ひとりひとりの想像をかきたてるために、意図的に作られたシーンなのではないでしょうか。自分の感性のとおり、観ればいいと思います。
ちなみに、もし死後に亜紀と朔が出会ったとすれば、恋人というより、同じ時を生きた懐かしい仲間、なんて感じを想像します。朔は明希のことも亜紀に負けない位愛して行くのでしょうから、3人で同窓会みたいに話をするのではないかなと自分は思います。
ちょっと、ヤボいですか(笑
...2004/09/12(Sun) 02:25 ID:PnM6tu6Q    

             Re: エンディングシーンについて  Name:ちゅんちゅん
ラストの堤防のシーン。

>ひたむきに精一杯走り続けたサクを亜紀が迎えにきてくれたんだと思います。

私も、そうだと思います。

亜紀の励ましで、がんばって人生を走り抜けた朔ちゃんが、
走りぬいた最後に、亜紀がいて・・・。

桜井さんのあきさんには申し訳ないけど、
やっぱり朔ちゃんは、亡くなった亜紀を忘れられない。

彼の人生のゴールは、あの、おじいちゃんが亡くなったとき、
天使のようにやさしく手を広げて受け止めてくれた、亜紀の腕の中なんです。

純愛ストーリーの、究極のラストシーンだと思います。
...2004/09/12(Sun) 07:17 ID:04j.UyDM    

             Re: エンディングシーンについて  Name:阿川裕聖
二つの意見があるようですが僕も、サクが人生を走り終わった時に亜紀と会えたのだと思います。
サクの最後の言葉や、最後に防波堤に自転車ではなく自分で走って来るところ、二人が一緒に輝いていた時の姿だった事などを考えると、このように僕は思います。
あと、サクの現在の心理風景と言う意見に対して僕は最後の絵本の背表紙がそれだと思います。
原作では表紙が最後にサクが描く心理風景という事ですし、ドラマでは青空が大変よく出てきます。特に17年前の亜紀と過ごした日々は眩しいほどの青空の日々でした。僕はきっと現在のサクは、その青空を取り戻したんだと思います。
とにかく、この作品は僕の心に残る作品の一つになると思います。
...2004/09/12(Sun) 10:08 ID:D11Z0bso    

             Re: エンディングシーンについて  Name:くぅぃ
「walkingtour」というフラッシュムービーにイメージが被りました(Yahoo!で「walkingtour」と入れれば、たぶん、一番上にでてくる、geocitiesのサイトです。)。
...2004/09/12(Sun) 11:47 ID:5/LFDlv2    

             Re: エンディングシーンについて  Name:名無し侍
先に述べた解釈に絡めて、以下のような特別編のシーンを妄想してみた。あくまで拙者の稚拙な思い付き故ご容赦されたし。

   時 2040年頃 所 さる研究所の理事長室

白髪の老人が後ろ姿で腰掛けている。机を挟んで反対側に、少年サクに似た面差しの少年が所在無げに立っている。
机の上には幾つかの写真立て。その中に、あのサクと亜紀の結婚写真がさりげなく置かれていた。

少年 (写真を手に取る)グランパ。前から気になってたんだけど、これグランパだよね?でも、隣の女の人は誰?

老人 (やや困惑気味に)ああ。大昔の私だ。で、この人は・・・当時私が好きだった人さ。勿論、グランマに出会うずっと前のことだよ。

少年 へェ〜!意外だなァ。パパは、グランパは子供の時から勉強一筋で、だから白血病の権威になれたってよく言うけど、グランパも恋愛だってしてたんだ。

老人 ふふ・・・。

少年 ねェ。当時の事教えてくれない?なんでこの人とこんな写真撮ったのさ?

老人 知りたいかね?

少年 うん!(机に身を乗り出す)

老人 そうだな、どこから話せばいいか・・・。そう、彼女に出会ったのは、丁度今のお前と同じ16の夏のことだったー

   〜主題歌そしてエンドロール
...2004/09/12(Sun) 13:27 ID:ja1bbpRw    

             Re: エンディングシーンについて  Name:malam
視聴者に解釈は委ねていると思うのですが、
一番の目的は視聴者の救済ではないでしょうか?
...2004/09/12(Sun) 17:27 ID:U7D1i..o    

             Re: エンディングシーンについて  Name:青い鳥
あまりにも山田朔と亜紀のコンビが高く支持されラストをどう持ってきても満足がいかないという意見が多いので、そんな私たちの為に用意してくれたいきな計らいと思ってとてもすっきりした感動をうけました。やはり視聴者の救済でしょう。感謝しています。
...2004/09/12(Sun) 17:43 ID:Cjc1mRYE    

             Re: エンディングシーンについて  Name:ヨーゼフ
初めて書き込みします。ラストシーンについて一言です。

皆さんいろいろな解釈をされているんですね。
それぞれドラマに接する「思い」が違うので、いろいろな感じ方があって当たり前だと思いますが、私もちょっと参加したくなりました。

ラストシーンの流れは、動き出した今朔の人生とともに、亜紀のいなくなった後のそれぞれの人生を描くものであり、(年を取った)朔の両親の働く写真館の壁に新しい家族とともに歩む写真からのシリーズになっていました。そして、その写真はおそらく一樹の入学式(H17.4)だったと思います。

私はこの写真のシーンから朔の未来を描いていたのではないかと思います。3人が自転車に乗るシーンは3人で歩む人生の象徴ではないでしょうか?

そうすると、やはり最後のシーンは人生を走りぬけた朔がようやく亜紀に追いついたシーンと考えられるのではないでしょうか?
「ぼくは走り続ける。走り続けた先に、君と逢えるかもしれないから」の散骨シーンともつながりますし・・・。
...2004/09/12(Sun) 19:33 ID:MTUuPtG6    

             Re: エンディングシーンについて  Name:騰徳
みなさんの意見を冷やすのもなんだかなー?と思い、あの世での再会という意見にあえて反論を書きませんでしたが、この小説やドラマや映画は、あの世があるのではテーマとして成り立たないように感じるのですが、どう思われますか?

それともあの世での再会という解釈をされているのは、一部の方だけかな?でもそうなると、走り抜けた先でアキと会ったということは、どの様に解釈されているのだろうか?ちょっと疑問に思ったので、悪意は無いです。
もし、ドラマの感動を冷やしてしまったら、すみません
...2004/09/14(Tue) 10:31 ID:Q6l98t6c    

             Re: エンディングシーンについて  Name:絶唱
この終わり方、タイタニックのラストシーンと一緒ですよね。どのような解釈であっても、やはりこれがあるおかげで見る者は救われます。
...2004/09/14(Tue) 10:58 ID:EpnO414E    

             Re: エンディングシーンについて  Name:はりょ
私もラストシーンで救われた一人です。
もしあのまま散骨のシーンや後日談で終わってしまったら、アキはサクにとって乗り越えるべき壁でしかない気がして、無意味に哀しいだけでした。アキの存在そのものは、断じてサクにとっての障害や試練でなかったはずなので。シーンとしての意味はわかりませんが、最終回のラストシーンに登場したことで、視聴者もアキの死より二人の笑顔を覚えておけるのではないでしょうか。
...2004/09/14(Tue) 11:13 ID:HMf7yckA    

             Re: エンディングシーンについて  Name:騰徳
たしかにいいシーンですよね。あのシーンで救われた人は多いと思います。ドラマは見る人それぞれが色々な解釈をすればいいですから、あまり細かくと言う事も無いとは思いますが、あの世が出てしまうと、じゃあアキが死んだってあの世で会うから悲しむ必要が無いと言う結論になり、これは明らかに原作のテーマとかけ離れてしまうので、あえて書きました。
...2004/09/14(Tue) 11:21 ID:Q6l98t6c    

             Re: エンディングシーンについて  Name:名無し侍
念のため、それがしの所見を正確に述べると、あのシーンはあの世での邂逅ではないと思う。寧ろ、人生の使命ー仮に白血病の研究とでもしておくーをほぼ成し遂げた老境のサクが、これまでを振り返って、久しく忘れていた亜紀を懐かしく想い起こしているのではないか。
この点を説明するには詳細な分析を要するが、残念ながら今はその余裕がない。仕事中なのじゃ・・・。

因みに、上記の説に繋がる18の妄想シーンは、言うまでもなく、仲代じいさんがサクに恋人サトについて語る場面のパクリじゃ。現実の特別編では、これから将来のサクが出てくる見込みはあまりなさそうじゃな。

しかし、それがし、サクが亜紀との愛と別れについて、自分の孫にでも語っても、それほど不自然な展開ではないと思う。各世代にはそれに相応しい愛と別れの物語があり、それは次の世代へと伝えられ、やがて形を変えた新しい愛と別れの物語が始まる。それは、恐らくはこのドラマの隠れたテーマである(らしい)「死と再生」とも大きく矛盾するものではないと思う。
尚、ここに言う「死と再生」とは、決して生まれ変わり=輪廻ということではない。あの世もそうじゃが、この種のドラマ解釈論議に神秘主義を持ち込むのは、それがしとしては戴けぬ。この点において騰徳殿のご意見に賛成じゃ。
...2004/09/14(Tue) 16:22 ID:gKKI/VKU    

             Re: エンディングシーンについて  Name:milk

 最後のシーンはこの世でもあの世でもないと思いました。
絵本が閉じた時、世界の中心という話も同時に終わったんだと受け取っています。だからあれは閉じた本を象徴する本のカバーのような物だと思いました。 
 
 「この本はこんな2人の物語…」そんなナレーションを表現したんだと思ってます。^^
...2004/09/14(Tue) 18:01 ID:eSRNFdRA    

             Re: エンディングシーンについて  Name:びんご
最後の最後にサクとアキ二人の幸せな姿を見れて素敵な気分になった視聴者は多かったと思います。

エンディングで「がんばれ、サクちゃん!」笛を吹くアキ。
そして道路を走る山田サクの姿。
と同時に「走り終えたその時に、君に笑って会えるだろう」。緒方サクのナレーション。
で最後に、走り終え堤防でアキに会い笑顔をみせるサク。
すばらしい演出だと感じました。
山田サクの笑顔を見るだけで僕は満足でした。

あの本当にうれしそうな笑顔を見て、後半の山田サクの痛々しい姿に感情移入していた自分が救われた気持ちになりました。
そして僕は叫んだ。「山田サク、バンザイ!」
...2004/09/14(Tue) 22:33 ID:5EAaFCGw    

             Re: エンディングシーンについて  Name:夢追人
「朔が走り終えたその時、亜紀がいる」、亜紀が死んでしまうこの基本ストーリーで、これ以外に”唯一絶対無二の愛情”の表現って有りますか?原作と基本理念が違うという人もいるかもしれないけれど、死生観は十人十色ですし、原作者がクレームをつけいないのだからそういう読み方をしてもいい証しで、マルチエンディングがこの手の作品(=賛否両論が拮抗するテーマ)の最高の落とし所だと思います。その意味でもドラマのプロデューサーや監督は最高の仕事をしたと思うし、何よりも「朔と亜紀」を本当に愛していたからこそできた演出だと思います。生きている我々には「死んで再会できる可能性」なんてわからないことですし、もし最愛の人が死んでしまったら「いつかどこかでもう一度逢いたい」と思うのが自然だと思うから...
...2004/09/14(Tue) 23:34 ID:POc37BMg    

             Re: エンディングシーンについて  Name:Ken
ま〜原作をそのままなぞらえて、原作通りに作っても芸が無いですよね。
映画版もアレンジがあったんだし、ドラマ版の時間的余裕を考えれば、肉付け、新展開もOKかと。
...2004/09/14(Tue) 23:41 ID:DdXgxWsg    

             Re: エンディングシーンについて  Name:騰徳
読んでいると、だんだん攻撃的になってきているようなので、自分の解釈はありますが、書かない事にします。あとはそれぞれの方の見解でいいということで、自分の中では終わりにしたいと思います。
...2004/09/15(Wed) 13:13 ID:ZL15ZtoU    

             Re: エンディングシーンについて  Name:大林達明
ラストシーンですか・・・。
このドラマの中に「輪廻転生」と読めるシーンが多いのは色々なところで語られていますが、僕もそう思う一人です。
脚本家が学生時代に宗教学を学ばれていたことにも絡んでです。

ラストの堤防はこのドラマでは生と死の境界線を果たしているという考え方です。10話の空港に向う車中での亜紀の「朔のいない世界でずっと待っていたの・・」が、ラストの「びっくりした?」に繋がります。
手を繋いで歩いていくのは夢島で残されていたアキのテープに繋がっています。
亜紀の最期のモノクロ回想シーンのラストも堤防ですから・・・。

対して、「海」は死の匂いを漂わせていましたね。
「雨」はその前兆で。アキや緒方サクも夜の海で死を選ぼうとしますし、海に浮かぶ夢島も死と隣り合わせの象徴でした。エンドロールでも「夢島だけは行くなよ」って・・。
亜紀がずっと待っていた朔との「堤防」での再会、手を繋いで歩いていく「大きな青いソラ」こそドラマ最大の「生きていく」象徴なのでは?
...2004/09/15(Wed) 15:54 ID:tv5Q/Gb6    

             Re: エンディングシーンについて  Name:大林ともよ
うーん・・・深いですねェ。

やっぱ最高ですね!!このドラマは・・・。
...2004/09/16(Thu) 00:48 ID:StO4.Vb2    

             Re: エンディングシーンについて  Name:セカ男
そんなに深い意味があったとは・・・

大林達明さんは良く調べられていますね。私も復習します!
...2004/09/16(Thu) 03:14 ID:Cvhe5oNM    

             Re: エンディングシーンについて  Name:名無し侍
う〜む・・・、流石にお歴々の読みは深いのう。

実はそれがし、この件についてお歴々と論争するつもりもないんじゃな。国語の読解問題ではあるまいし、これが正しい(間違った)答えだと、強いて合意する必要もあるまい。制作サイドも、あのシーンについて、視る側に論議が起きることを計算しておったであろうし、結局我等はその術中に嵌ったことになろうか。
それはともかく、それがしとしては、自分の愚考をお読み頂いただけで満足じゃ。
...2004/09/16(Thu) 12:29 ID:Z2s01how    

             Re: エンディングシーンについて  Name:ken
そうそう。
結局は、セカチューを見た人それぞれの受け取り方・・・ってことですよね。

正直に言うと、私はあのエンディングになんの疑問も持ちませんでした。
単に、最後のシーンだからキャスト総出演・・・と思いました。
台詞の意味も、サクが待っていたから亜紀がそう言ったのだ程度の解釈で(笑)。
それが正しいのか正しくないのかとか言っても正解は感じた自分にしかないんですよね。
...2004/09/16(Thu) 12:34 ID:dcvqt.K.    

             Re: エンディングシーンについて  Name:milk

 僕もkenさんと一緒でなんの疑問も持たなかったです。
前に書いた印象です。というか、自分で納得のいかない自己解釈をして作品に疑心を抱くのは自分にとって損ですよ。
...2004/09/16(Thu) 12:43 ID:igngAeFE    

             Re: エンディングシーンについて  Name:作家
すみません、なんかこの話題が終息しているところにまた火種を持ち込むみたいで…。
ただ、何度も繰り返し観てちょっとずつ分析して書きためていたので載せます。分析好きな人、読んでください。見て見ぬふりをお願いいたします。

スタート。
いろんな解釈があって、以前から興味深く読んでました。
そこで僕も分析してみたくなりまして…。

エンディング。
@「よおーーい、ピッ!」で走り出すサキ。骨をまくサク。
ナレーション「追いつけない速度で去っていくアキを僕はもう捕まえることができない。生きている限りきみと僕とは遠くなるばかりだろう。…」。
がんばれ、サクちゃん!」笛を吹くアキ。
笛の音に呼応するかのように道路を走る山田サクの姿。
ナレーション「走り終えたその時に、君に笑って会えるだろう」。
走り終えて堤防でアキに会い笑顔をみせるサク。
エンディング前、緒方サクの「これからアキを忘れていくんでしょうね」という言葉に対し「忘れてしまうのが寂しいんだろう…人間は忘れていくんだよ、生きていくために」とアキの父親が語ったこととリンクし、なおかつナレーション通りの演出であることを考えるとあの世という印象が強い気がします。

A今度は、この場面の演出の意味を理解している、演技力のある山田サクの表情から読み取ってみようと思いました。
堤防に駆け上った直後の「はっ、疲れた…」みたいな表情、待ち合わせした先でアキがいなくて戸惑って「あれっ、アキは?」みたいな表情。そしていたずら好きのアキに後ろから「びっくりした?」と脅かされてうれしそうに「なんだよ〜」みたいなサクの表情。それから海か空か遠くを見つめるをアキの横顔をうれしそうに見つめたあとサクもアキと同じ方向を見つめる。その表情は何か晴れ晴れとして見えます。遠くを見つめる晴れ晴れとした表情の演技から心象風景ともとれます。

あの世と心象風景、共通するのは「久しぶり」に笑顔でアキと会えることだと僕は考えます。
@もAも当然笑顔は満たしています。
しかし僕は、堤防に着いてからアキと出会ったところまでの山田サクからは、通常のデート時のような振る舞いと表情しか読み取れませんでした。
「久しぶり」の再会シーンだと山田サクの表情がもっと違うと思うのです。

ゆえに、どちらでもない?どちらでもよい?
ただ一つ言えることは、僕はこの場面を見てうれしかったってことです!

また異論反論でるのでこの意見にレスしないでね。身勝手な貼り逃げごめん。
...2004/09/16(Thu) 20:08 ID:GjaJIk3o    

             Re: エンディングシーンについて  Name:大林達明
それぞれの解釈、で良いのでしょうね。そこで議論が出ることが狙いだったのかもしれません。まんまと僕達はハメられてるのかな(笑)?

でもエンディングって重要ですよね。
そこで1〜11話の結論が全てひっくり返る事だってあるわけです。
個人的に思うのは朔が楽しそうに明希と一樹を乗せた自転車3人乗りの幸せなシーンで終了、その後はエンドロールで仲間の17年後を伝える、というオーソドックスな手法が一般的ですよね?朔も仲間も皆幸せに向っているという暗示を込めて・・・。
ただ、このドラマの作り手はちょっと意地悪で(悪い意味ではなく)それまでに色々な伏線を提示しちゃっているわけです。
朔の自転車だって結構不吉な「情」が
...2004/09/16(Thu) 21:47 ID:8uSRdwho    

             Re: エンディングシーンについて  Name:大林達明
途中で切れてすみません。

朔の自転車にも色んな「情念」が込められています。
元々爺さんに乗り方を教えてもらった朔が爺さんの運転手として乗せていた。その大好きな爺さんがいなくなって落ち込む朔に、今度は亜紀が「代わりに私を乗せてね」と励ますわけです。でもだんだんペダルが軽くなっていく、そしてその亜紀すらいなくなってしまいます・・・。
ただの単純に移動する「小道具」とは思えないほどこの自転車にも他にも色々なシーンで不吉な予兆のスポットが出てきます。(チェーン切れとか・・・)

また、最終話ではわざわざ明希が元カレについて朔に語りますよね。今、思えばとっても良かった、と。
なぜあの場面でそんなセリフが必要なのか?
彼女も心中では元のカレの事を忘れきっていないわけで心に傷も負っている。朔とは状況は違えど、似たもの同士であるとも言えます。
3人乗りの自転車のシーンを見せておいて、最後に再び亜紀を出してきました。
朔はやっぱり亜紀と。そして明希は元カレと再会してるのでは?なんていうのは僕の考えすぎですかね?
...2004/09/16(Thu) 22:14 ID:8uSRdwho    

             Re: エンディングシーンについて  Name:みっち〜
自分は、あのエンディングシーン大好きです。

こうかな?ってのが二つあります。

一つ目は、サクが走ってきた(生きてきた)ゴール。
二つ目は、「ソラノウタ」を読み終え、散骨をすませて、明希と一樹の三人で過ごしたサクの夢では?

二つ目は、サクが悲しい時などに見てたりするのかなと最終話からの数日で思ってました。
...2004/09/16(Thu) 22:31 ID:skYHzit2    

             Re: エンディングシーンについて  Name:8月の蛍
サクの「走り終わったとき(人生が終わったとき)君に笑って逢えるだろう」からこのエンディングシーンは作られていると思います。
まずはあの世、天国について考えなければいけません。アキは「やっぱりあの世なんてない。天国なんてない。ここ天国だもの。」と言っています。つまり死んだ後あの世とか天国を信じていたが、やっぱり天国(あの世)はこの世にあるということです。ですからこのシーンは特別な場所ではなく日常にあった防波堤となった思われます。

なぜサクは山田サクなのかは、緒方サクでは後ろで明希や一樹が「サク!」と呼ぶからと言うのは冗談で、「あの頃の私に戻って貴方に逢いたい」という歌詞がありますが17歳のアキが愛していたのは17歳のサクなのです。サクもあの頃にもどって17歳のままのアキに会いたいと思っているのではないでしょうか?
そして、あの頃と変わらすほっぺに指を立てている「びっくりした?」「したよ」そして手をつなぎ歩いていく・・・何事もなっかたかのように
...2004/09/17(Fri) 00:51 ID:XExLSQ2o    

             Re: エンディングシーンについて  Name:マニアック好き
ごめんなさい、最初のテーマとは関係ありません。
大林達明さんへ

大林達明さんの解釈に興味を持ちました。
原作には表面的な部分の中に哲学的意味が込められているとなにかで読みました。
そこで、ドラマで私が気になっていたことがあるのです。
空港で朔太郎が意識がない亜紀を担いでいくシーンでは3人の係員がやってきて「なにやってんだ、おい!」。空港の制服組の言葉として使わせるのには適切でない汚い言葉だと感じました。映画でも空港のシーンで「どけ!」とはらわれるシーンがありました。
ドラマの陸上の大会で亜紀が走るのを朔太郎が頼むシーンでも「規則は規則だ!」と係のおじさんは非常に冷たい態度です。
どうして気になったかというのは、このシーンで共通してるのが朔太郎が亜紀のために躍起になっている場面だったからです。

ご意見いただけませんか。
...2004/09/18(Sat) 10:07 ID:vUbAv5m2    

             Re: エンディングシーンについて  Name:大林達明
>> マニアック好きさん
いい名前だなぁ・・w

朔太郎が躍起になっている・・その通りで彼は亜紀を想うがゆえに時として周りを見ないでのめり込む人物像として描かれていますね。
ストレートで純粋な愛をぶつけている彼には空港のシーンも、陸上競技場でも彼の目には亜紀と共にいるその世界こそが、世界の中心として理解しており周囲の状況や
事情、常識などは彼にとっては世界から外れているわけです。
このドラマは朔の視点から見た展開をしている(特別編は除く)のですが、彼を取り囲む周囲にはもっと別の大きな我々が生きている日常の世界が存在しています。

空港のシーンでも血の気を失って明らかに重病に見える亜紀を背負ってまで出国に向う彼は、おそらく亜紀があそこで亡くなっていたとしても連れていこうとしたでしょう。彼にとっては自分たちのいる世界こそが全てだから・・・。

「何やってんだ」に繋がるのは「何をするんだ、早く救急車を呼べ!病院に連れていけ!」ということでしょう。
陸上のシーンでも途中で抜け出したのは自分達なわけですから規則では走れないのは当然です。
彼にとって亜紀の存在は「特別」であってもその他の世界では「特別」なものではないのです。

朔は亜紀を失った後も、亜紀の骨と共にその特別な世界観に17年間ずっと閉じ込められて(と言うより、抜け出そうとしないで)悩んでいたともいえます。

あっけなくビンが割れて大切な亜紀の骨が散ってしまう。倒れた明希の回復を病院で祈る彼は皮肉にも17年前の「助けてください」という亜紀への祈りとオーバーラップして、その時にもうひとつの明希と一樹という大切な世界の存在に気づいた時に、
彼の世界の中心がようやく亜紀から「明希、一樹との世界」へと移っていけたのではないでしょうか?
...2004/09/18(Sat) 15:09 ID:7770LTRA    

             Re: エンディングシーンについて  Name:マニアック
個人限定でスレッドの質問とも違う質問。すみません、これが最後です。名無し侍様、他の皆様、申し訳ございませんでした。

大林達明さんへ
大林達明さん独自のマニアックな解釈はやはり興味深いです。
じつは全てのスレッドを読んでいてもう一つ疑問を見つけました。
大林達明さんも悩んでいた?遺言同等である「絵本」に「がんばれ」はあっても「ありがとう」は出てきていないというところです。朔太郎がその言葉を望んでいないであろうことも視聴者が亜紀の感謝の意をわかっているであろうことも理解しています。絵本は視聴者全てに向けての生きていくあなたへというメッセージだという役割と捉えると仕方がないのかなとも私は思ったのですが、あら捜しをすればこれで最後の別れになるだろうタクシーで突き飛ばす場面でも結局は意味合いの違う「ありがとう」です。「サクちゃん本当に、ありがとう」でも自然だと感じます。やはり絵本以外にも入れようと思えばどこかしらに入れることができた言葉だと思います。敢えて使わなかった理由があるのではないかと勘ぐってしまいます。ぜひ大林ワールドでの解釈を読んでみたいです。
大林達明さんご迷惑かけて申し訳ございませんでした。
...2004/09/18(Sat) 20:21 ID:vUbAv5m2    

             Re: エンディングシーンについて  Name:大林達明
マニアさん、僕は素直にストーリーだけを追うことができない「へそ曲がり」なだけです(苦笑)きっと・・・

他のスレッドで書いた事とも関連しますけど、僕は亜紀が「がんばれ」の他に必ず何かもうひとつ残しているのではないか?って思って見ていました。
思えばテープで始まった2人の恋ならば、映画のように
最後のテープが実は朔あてにも用意されていたとか?
です。
ところがこのドラマではテープでも言葉でも、絵本にも最後の感謝の言葉は使われなかった。 
でも亜紀は絶対に朔に最後の感謝を伝えたかったはずだし、違う形でどこかに残しているのでは?と。

絵本の亜紀はホイッスルを口にしています。
今まで亜紀は父親からも「頑張れ」を散々言われ続けて育ってきて、「頑張れ頑張れっていつまで頑張ったらいいの?」と反発をしながらも「走る側」にいました。
朔との関係でもホイッスルを吹く立場は朔であって、
亜紀が走るという構図です。
その亜紀が自らもう走れないと悟ったとき、次は朔が走る番だと。私の足が朔の足だから、共に走ろう、と。
そこで初めて亜紀はホイッスルを口にしている・・。

ホイッスルを元々口にしていたのは実は矢田部先生であって、ホイッスルは亜紀の中では先生の象徴とも言えます。先生の手で亜紀の棺にホイッスルが入れられる事と絵本の亜紀のホイッスルとの繋がり・・・

亜紀は朔に伝えきれなかった想いや彼を見守る事を師と尊敬する2人の最大の理解者であった「先生」に託したかったのでは?

この想いこそが最後の最後でー特別編での矢田部先生の視点回想&ラストシーンに繋がり「2人にとって先生の存在感」が、ただの担任だけではなかった強調をしています。

そして亜紀は感謝の言葉を「絵本」とか「テープ」には残さないで、実はこの絵本を渡すときに朔に直接口で言いたかったのではないか・・?

運命の悪戯によってこの「絵本」は17年後に朔の元に手渡される。
「朔、ありがとう」
亜紀の代弁者として「感謝の言葉」を口で伝えたのは、父親であった、と。
...2004/09/19(Sun) 14:32 ID:QcQiBlbM    

             Re: エンディングシーンについて  Name:おじさん
突然ですが、
大林さん、あなたはよくここまでひとつのドラマから、
いろいろな解釈を導けますね。脱帽です。
シナリオ作家(志望)ですか?
このBBSは投稿者の、世代がよくわからないのですが、皆さんとの会話(?)のお蔭で、何度も録画を見直すはめになってます。
ところで、場違いな質問。
サクは、アキに「好き」という言葉をかけたことがあったでしょうか?(気にかかってるのです。)
...2004/09/19(Sun) 16:26 ID:e4ILLa5s    

             サクからの告白  Name:にわかマニア
 直接的な表現としては,第8話のラスト近く,亜紀の欠点(嫌いなものベスト5)を並べ立てた(これだって,裏返しの愛情表現なんですが)上で,「あとは好き」と言っています(そして,婚姻届・結婚写真の第9話へ)。その前の回で「まだ一度も好きと言われていない」と言われたことへの返事でもある訳ですが。
 あと,第1話で,おふざけのリクエスト葉書を叱責された時に,テープを通じて「廣瀬を失いたくない」と言ったのも,事実上の告白でしょう。
...2004/09/19(Sun) 16:45 ID:ciR13hf2    

             Re: エンディングシーンについて  Name:名無し侍
あの絵本のシーンについては、拙者、不覚にも何の疑問もなかったのう・・・。

亜紀が、絵本に「ありがとう」を書かなかったのは、2つ理由があると思う。1つは、『ソラノウタ』のテーマの普遍性と、最後に、ありがとう、という個人的な感謝の言葉を付加するのとでは、不整合だと判断したためでは。絵本作りが夢じゃった亜紀には、亜紀なりのこだわり、美学があったんじゃな。
2つ目は、亜紀が本を渡そうとしたウルル行きの時点で、既に死を覚悟しておったということかな。これは、別スレでご議論があったが、例えば、「今までありがとう・・・《これからは、私の分まで走ってね》」とでも書き残せば、2人は永遠の別れというニュアンスとなり、マニアック殿お察しの通り、サクの心情を慮った亜紀としては、「がんばれ」との前向きな言葉に敢えて止めたのだと思う。(もつとも、言われる側には辛いこともある言葉じゃな)
まあ、死別するかもしれぬ恋人に宛てたメッセージとしては、あっさりすぎる、というご意見もあろうが、思索の浅いそれがしとしては、あのホイッスルを持った女の子と、「がんばれ」の言葉に、亜紀の知性と意思の強さ、それに、サクに対しても弱みを見せたくない意地っ張りな性格が反映しとる、と勝手に妄想しておる次第じゃ。
...2004/09/20(Mon) 13:56 ID:gvq.0W5.    

             Re: エンディングシーンについて  Name:大林達明
「純粋でストレートだけど不器用な男」として朔は口では「好き」と言えないタイプの代表として描かれてましたね。対して亜紀は、思ったことはすぐにはっきり口に出せるタイプの代表として対比されていました。

ただ、直接的な言葉としては残さない彼ですが、それに値するだけの色々間接的な「違う形」で亜紀に想いを伝えていたよね。
「告る・・」なんていうカジュアルな?言葉もなかったこの時代には、
この手のタイプの男は結構多かった記憶があります。
どーでも良いけど自分もそのタイプの1人でしたから
(苦笑)心情はよーくわかります。

でもそういう人って、色々悩み考えてから行動するタイプだから、誰かに相談したりして時間はかかるんだけど、その先には時としてものすごい集中力で信じられない行動力を発揮することがあります。

朔は「ハガキ」とか「ロミオ〜」の些細なシーンでも出てくるように、彼にはどうやら文才があって演出なんかの才能も周りから認めらていたという設定だったよね。

だからこそ、直接「好き」という言葉以上に何倍ものインパクトで亜紀のハートを捉えることも出来たわけだし、「ウルル行き」を決行したり、集中的に「猛勉」して医学部に合格したりと、その後の顛末も理解できる
設定でした。
勿論、そういう彼の隠れた「才能」を結果的に引き出したのは「亜紀」という光り輝く存在があってこそ!でしたね。
...2004/09/20(Mon) 23:45 ID:WS2p.09c    

             Re: エンディングシーンについて  Name:8月の蛍
ソラノウタはアボリジニの世界観を分かりやすく書いたものです。
他のスレにも書きましたがアボリジニは死後、我々が一般に思うあの世とか天国に行くとは考えていないのです。
この世、現世で一緒に暮らすと考えているのです。
ですから、「天国であなたを見守っています。」とはならないわけです。
ソラノウタは「私の身体がなくなっても見えないだけであなたの中にいる、一部となって人生をともに生きてゆく」という意味であり、それをサクに伝えるための本なのです。
ですからアキが生きていた証となるサクのこれからの人生に対し「ありがとう」ではなく「がんばれ」となります。
...2004/09/21(Tue) 00:01 ID:VOnofAYs    

             Re: エンディングシーンについて  Name:騰徳
なるほど!
8月の蛍さんの、解釈は良く納得できます。

私はドラマも映画も小説も、一言一句詳しく点検していないので、ありがとうと、がんばれのこのスレは詳しく見ていませんでした。今たまたま覗いたら、すっきりする分かりやすい表現&解釈だと思います。

他の方の解釈を詳しく見ていないのでなんですが、分かりやすいですね・・・8月の蛍さんのは。。。

付けたし

今日図書館で謎解き世界の中心で・・・を借りてきました。今最初の方を読んでいますが、詳しく解説してあるようですね。評論家のダメ出しに対し、そういう一般的な切捨てこそダメだ!と、批判しているのは、分かりやすいし、最もだと思いました。これからの展開が楽しみです。
...2004/09/21(Tue) 01:52 ID:4km8bHuA    

             Re: エンディングシーンについて  Name:名無し侍
拙者、無学故、自説を簡潔に筋道立てて開陳するのがどうも苦手での。その点、八月の蛍殿はわかりやすく感服の至りじゃ。

ところで、ご存知の通り、『ソラノウタ』のベースとなった詩は、実は北米の先住民プエブロ族の口承詩とのことである。
そこで脱線じゃが、1話で亡き教師への弔辞として、あの詩を引用した亜紀は、あの詩を最初どこで知ったのか?
7話で、真島君が、「これはアボリジニの歌かもね」と書き残したが、これは勘違いでなく、詩のオリジンは定かでないが、アボリジニの死生観と一脈相通ずるものがある、という意味での「かもね」であろう。しかし、その後のアボリジニに対する亜紀の傾倒ぶりを見ると、亜紀は最期まであの詩がアボリジニのものであると信じておったのかな。

あの詩が誰の作だろうと、ドラマの本筋とは関係ない、とお叱りを受けそうじゃ。それにしても、隔絶した場所にいたふたつの先住民が、似通った世界観を持っておったというのは、不思議といえば不思議かな。
...2004/09/21(Tue) 17:13 ID:p8NqNQUY    

             Re: エンディングシーンについて  Name:大林達明
「アボリジニ」に亜紀が傾倒していった経緯がこのストーリーとエンディングにおける幹になっている点は原作同様のアナザーテーマである為、確かだと思います。

それは原作における亜紀の言葉でも、映画におけるテープでも、「ソラノウタ」でも、そこに描かれている病中の亜紀の心情の変化過程に深く関わった主題となっている部分は「アボリジニの世界観の解釈」なので、表現は違えど同じことです。

ただ、個人的には「ドラマ編」ではそれだけではないと感じて拘ってもいます。
それは1人で電車を待っていたシーンで亜紀はこの「絵本」を朔に渡すのを忘れた、と。
朔の誕生日というドラマだけの出発日設定に加えて、プレゼントとして朔に渡すつもりでいた描写がそこに映し出されているからです。

17年後に、亜紀が自らの死後に朔が読むのを予め想定して絵本を書いていれば「ありがとう」より「がんばれ」だけで良いわけですが・・・、
 あの時の亜紀は倒れても這いつくばってでも、一人で朔を置いてでも自らの生涯の終着点としてのウルルに行こうと決意していたわけです。
そういった状況下で残すことになる「当時の朔」に対して、やはり彼女は「がんばれ」のほかに何か用意した、何か違う形で用意したかったのではないか?と。
...2004/09/22(Wed) 22:23 ID:Fe396cWw    

             Re: エンディングシーンについて  Name:髪長姫
名無し侍どのへ>

わらわの見解を述べることにするぞよ。
これは視聴者の「亜紀を死なせないで〜。」一派の為の
エンディングでありませう。

今までの亜紀が病気になるところから、実は、朔の空想だったのです。ラジオで投稿、坊主からは、その文才をみこまれるぐらい、名前だって作家からとったものとくれば、朔には、作家の才能がある、想像力豊か、で夕陽をみつめながら、そんな話しのストーリー展開を考えていた。そこに、亜紀が迎えにきて、妄想からさめて、
ビックリする朔!だから、「亜紀を死なせないで〜!
」一派のみなさん、ご安心下さい。
亜紀は生きてま〜す。現実の朔、亜紀は健在です!。ということなのです。

というのがわらわの見解じゃ。
どうかのう。名無し侍どの?
...2004/09/23(Thu) 19:39 ID:kcV0cXGI    

             Re: エンディングシーンについて  Name:名無し侍
これは!?、如何なものであろう、髪長姫殿。

但し、それがし、姫の御説を、荒唐無稽とバッサリ斬り捨てることはいたさぬ。それがしの周辺にも、ほぼ同様の説を唱える御仁がおっての。サクは2004年から1987年を回想しておるが、実はこの回想も含む2004年の世界こそがサクの創作で、亜紀は1987年の世界では病魔に侵されることなくサクと生き続ける・・・というわけじゃな。
思うに、これは、原作を度外視した、ドラマオリジナルの構成(アナザーストーリー)の1つの楽しみ方かな。その限りでは、結構ではありませぬか。

今更じゃが、薄幸のヒロインが白血病で倒れる、というパターン自体は、それがしも好むところではござらぬ。それがしが小説『世界の中心で、愛をさけぶ』を読んだのは、まだベストセラーになる前の2001年のことであったが、当時最も感銘を受けたのは、愛する人の死についてのサクと祖父の会話であり、それ以外の筋は、ドラマ化の話がでるまですっかり忘れて居ったくらいじゃ。

そんな訳で、拙者、亜紀を死なせたくはない方々が、敢えて原作を無視して上のような着想を抱くに至ったその心情は、それなりに理解しておるつもりでござる。
...2004/09/24(Fri) 16:33 ID:jm8gDwxo    

             Re: エンディングシーンについて  Name:髪長姫
名無し侍どの>

そなたが立派なご人でよかったぞよ。
わらわが、そちに切り捨てられてたら、「あれ〜ごむたいな。」と叫ぶしかございませぬものねぇ。
もしくわ、松の廊下の中心で「おのれ、この、ふな侍!」と叫ぶか?

しかし、この話しを、みなにわかりやすく、あからさまにすると、今度は、「流した涙を返せ〜。」一派が黙っておりませぬものね。
テレビ局の前で一揆がおきかねませぬ。
多分、その時は、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」をみんなで振りつきで踊りながらおしかけるのでは…。
おぉ〜、考えただけでも恐ろしい〜。


あちらをたてれば、こちらがたたぬ。
とかく世間は厳しいものでごじゃる。


ですから、視聴者は自分のいい方を選んでいただくという、洋食屋さんのプリフィックッスメニュー?のようなものです。夢島の時と同じです。
...2004/09/24(Fri) 19:40 ID:fx5HA9oo    

             Re: エンディングシーンについて  Name:Capri
テーマの一本化の話が出ていたので、
ここのスレッドです。とレスしてみました。
(あげるっていうの?)
こうしておいたら、わかりやすいんじゃないかな?
...2004/09/27(Mon) 08:34 ID:BhMOrNYs    

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