| | この種の設問は,ともすると,それに出演している俳優の応援合戦に陥り,建設的な議論が成り立ちにくくなる危険性があり(現に,既に過去ログ入りしたいくつかのスレでも経験したところです),書き込みをためらっている方も多いのかもしれませんね。
ところで,設問の趣旨というか,ゆずさんのレポートのテーマによっても,答え方が違ってくるのですが,社会現象としてのセカチュー現象についてのレポートなのでしょうか。それとも,文芸作品の考察という見地からのレポートなのでしょうか。前者については,このホームページのトップでも取り上げられていますので,それをご参考にして頂くとして,ここでは後者について,若干,触れさせて頂きます。 この場合でも,2つの見方ができます。つまり,映画やドラマをそれぞれ独立した自己完結的な作品としてとらえ,その内部だけで作者が提示するテーマやメッセージを読み解くのか,それとも,原作との対比において映画やドラマを取り上げるのかということです。
もし,それぞれの作品を自己完結的に取り上げるならば,映画は非常にコンパクトにまとまっており,展開が説明不足だったり設定が強引だったりする部分もある反面,そうした疑問を差し挟む余地がない位に観衆を引きずり込むテンポ運びの軽快さが魅力になっています。 一方,全11話をかけて描くドラマは,丹念なつくりになっていますが,反面,全11話をぶっ通しで見るのは,かなりの集中力の持続を必要とします。しかし,数日かけてゆっくり鑑賞するなら,その構成の巧みさを深く味わうことができます。この点については,映画もドラマも甲乙付け難いと言えるでしょう。
では,原作のメッセージが映画とドラマでどのように描かれているかの点ではどうでしょうか。 ラストの散骨の場所の違いを見る限り,ドラマの方が原作のメッセージを忠実に再現しているように見えます。ただ,原作と映画にあってドラマに欠けているのが「亜紀の名前の由来の勘違いのシーン」なのですが,これをどうとらえるかという問題もあるでしょう。
これまでもそうでしたが,単に「どれが好きですか」という問題の立て方であれば,「それぞれの良さがありますから,後は各人の好みの問題です」ということになるのですが,レポートの参考にするということでしたので,あえて長文の書き込みで失礼いたしました。
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