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過去ログNo1
ウルルでの朔の回想について  Name:たこ焼兄さん
もし同じ様な内容を書かれている方がいらしたらごめんなさい。今更ながらですが、皆さんのお考えを聞かせて下さい。

このドラマのオープニングシーンでは今朔の夢の中で、そして最終話では亜紀の散骨の為に(実際は撒けませんでしたが)ウルルの地に立った朔ですが、この時の回想シーンとして流れてくるのが3話の百瀬駅での散骨、6話の夢島で倒れた亜紀を背負って港を走る朔、そして10話の空港へ向かう列車の中での亜紀の「待ってたの・・・」の言葉というのはご承知の通りです。それで思ったのですが、この3つの場面というのは朔にとって特に思いの強いものという事なのでしょうか?勿論ドラマ全体の流れから見ても3つとも重要な場面で有るとは思いますが、亜紀と過ごした時間から最愛の人を失い、ウルルの地に至るまでの朔の心情をあの3つのシーンで表せたのどうかは疑問です。

恐らく1話のオープニングではドラマ全般の流れが出来上がる前に撮影していたシーン、また亜紀との思い出のシーンはラストで今朔が「ソラノウタ」をめくりながら流れるので、ウルルの回想は敢えて1話と変えなかったのでは・・・と思ったのですが、皆さんはどうお感じになりますか?
...2005/05/07(Sat) 12:30 ID:BKIyx1V2    

             Re: ウルルでの朔の回想について  Name:にわかマニア
 ほぼラストシーンと言ってもいいところから撮り始め,しかも回想シーンとして冒頭にも持ってくるというのは,テーマを強烈に印象付けることができる反面,それとの整合性という点でその後の演技や台本づくりが制約されるという側面がありますね。確か,DVDの全巻セット版にオマケで入っていた関係者へのインタビューの中で,山田君も演じる側の難しさを語っていました。
 問題の3つのシーンですが,第1話の方は全体の台本は未定稿のまま,回想シーンに使うだけの目的で単独で先行して撮ったものを使い,本編用のものは後で撮り直しているのは,既に皆さんから指摘されているとおりです。

 では,なぜこの3つだったのか。
 「亜紀と過ごした時間から最愛の人を失い、ウルルの地に至るまでの朔の心情」というのは,この物語全体を通じたテーマです。したがって,ドラマの各話の「過去」シーンの中に問題提起的な「導きの糸」を用意しつつ,「今サク」のナレーションや小林とのやりとりの中で時間をかけて丁寧に描かれています。
 回想シーンで取り上げたのは,その中でもエッセンスと考えられる部分だったからでしょう。

 まず,死別・散骨というモチーフの反復という点で第3話の百瀬駅のシーンは外せませんし,夢島から返ろうとして倒れるのも,幸福の絶頂からの一気の転落を象徴するできごとです。中でも,第10話の車中での会話は,原作の154頁にも登場し,物語のテーマの根幹とも言える位置にあります。回想で取り上げられたのは「サクを待っていた」という部分だけですが,それに続く「これから(亜紀のいない世界を)ずっと」という部分は,その後のサクの「魂の彷徨」と密接に関連していますし,原作の「私がいなくなっても世界はあり続ける」やドラマの「来世談議」も,その後,サクが亜紀の存在をどう感じるようになったのか,「点在と遍在」というテーマにつながるものとなっています。
 したがって,純粋にサクの立場・目線だけで考えると,あの3つだけでは尽くされていない部分もあったかもしれませんが,読者や観衆に対するメッセージ(テーマの提示)としては,これで必要にして十分だったのではないでしょうか。ちょうど,512小節にも及ぶ「田園」の第1楽章でも,そのエッセンスとなる主題が提示されているのは冒頭のわずか4小節であるように・・・
...2005/05/07(Sat) 14:03 ID:wrtuYlYc    

             Re: ウルルでの朔の回想について  Name:うてきなぷりぱ
 ご指摘の3つのシーンは、すべてモノクロでした。つまり夢の世界だと考えられます。17年も月日がたってます。記憶そのものも少しずつあいまいになってきます。楽しかったことよりもつらかったことのほうが残念ながら記憶に残っている物です。1話の冒頭ですから、これからこのドラマを見る視聴者にある意味問いかけをしています。あくまでも記憶なので、若干変更があるかもしれません、それは視聴者1人1人がこのドラマをみて自分なりに感じてくださいという、製作者側の意図があるのではないでしょうか。
...2005/05/07(Sat) 19:10 ID:RFGyF9LQ    

             Re: ウルルでの朔の回想について  Name:にわかマニア
 確かに,第1話冒頭に登場する断崖の上にたたずんで遺灰を取り出すサクの回想シーンはモノクロでしたね。これは,回想の中のそのまた回想ということでモノクロにしたのでしょう。
 一方,最終回の方では「色つき」でした。これは逆に,灰を握り締めたサクにとって,今この瞬間の周りの世界が「色を失っていく」と感じているため,それとの対比上,亜紀と共にいた世界は「色のある世界」として表現したのでしょうね。
...2005/05/07(Sat) 19:17 ID:wrtuYlYc    

             Re: ウルルでの朔の回想について  Name:たこ焼兄さん
にわかマニア様

いつも的を得た鋭い投稿を感銘しつつ拝見しています。
なるほど、全て物語の根幹に関わる意味合いを持っていた訳ですね。原作に通じる意味も持ち合わせていたというのは気付きませんでした。原作は過去に一度読んだだけだったので、これを機にまた読み返してみようと思います。貴重なご意見ありがとうございました。


うてきなぷりぱ様

モノクロの回想シーンというのは余計に悲しさを誘いますね。1話のラストで朔の「忘れなければいけないと思った」の時に流れる亜紀の画とか。ウルルのシーンは最終話より1話の方が時を経ている(夢の中という意味で)ので、モノクロというのはそれだけ亜紀の記憶が不鮮明になってきているという事なのかもしれないと後になって思いました。
...2005/05/07(Sat) 23:54 ID:BKIyx1V2    

             Re: ウルルでの朔の回想について  Name:にわかマニア
 回想(そのまた回想が挿入されていますが)シーンから始まるドラマですが,「現在進行形」の部分は,職場に泊り込んだ今サクが眼を覚まし,顔を洗うところから始まりますね。そこで流れる「眼が覚めると泣いている」というナレーションは,細部が微妙に違いますが,原作の冒頭にも登場します。
 原作は,これからオーストラリアに散骨に行く当日の朝の光景ですから,亜紀との死別からそんなに日が経っている訳ではありません。そこでは,この涙について,「涙と一緒に感情はどこかへ流れていった」ため,「悲しいのかどうかさえもう判らない」と述べています。
 一方,ドラマは「亜紀のいない世界にもう17年も」という歳月を経ての述懐です。そして,この涙を「悲しいからではない」とした上で,過去の回想の世界と現実の世界との間の断層を象徴するものとして描いています。
 このあたり,原作に依拠しつつも,「涙の表現」に17年という時差を設けることで,今サクの魂の彷徨を巧みに表現しているような感じがしませんか。回想シーンがモノクロなのも,17年の時間差をより印象付けていますね。
...2005/05/08(Sun) 21:57 ID:qDqkuY1w    

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