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野島ドラマの愛について (2003)

当サイトBBSの投稿から抜粋。投稿者の方々には感謝です。
※これは数年前のコンテンツでまとめていたものですがこちらに載せておきます。


[リップスティック]
本当の愛って、愛する人がいなくなったら、生きているのも意味がないくらいなものなんだ、という野島さんの愛の定義を見たような気がしました。
世紀末の詩では、結構理論的だったけど、今回の感情的な結論を見て、妙に納得してしまいました。
なぜ、野島ドラマが好きかというと、愛について真剣でまじめだから。
見てる方まで、真剣に集中させてしまう雰囲気。
[S.O.S.]
野島さんの作品には「Love」に対する「理想と現実」が描かれてます。そして現実の世界のしがらみを書きながらも「理想」を追い求める。そしてそれが悲劇になることも描く。
今回はハッピーエンドでしたが。これが今までと違うところでしょう。真理子以外みんなハッピーエンド!まさに「理想」ですね。
この作品もある意味「問題作」でしょうね。それも野島ファンは余計にそう感じるでしょう。
[この世の果て]
結局、この世の果てで描いた無償の愛は特殊な環境で育ったのが原因である特殊な例で、この世に愛なんてないんだといった悲壮感がベースにあるからこそ、野島氏の描き出す「愛」の形は極限を感じさせるものなんだと思います。
私は野島さんのドラマを見ていると、「愛して」というただ一言のメッセージがこめられてるように思える、「愛して」って懸命に叫んでいるような。
彼の一連の作品を見て思うに、彼は非常に非現実的なそしていつも愛に飢えた「夢みる少女」。いや、おじさんに成れない少年のように感じる。
彼の頭の中はいつもいろんな物語が存在し、夢のなかの少女に恋をし、そして現実の少女とのギャップに幻滅し、また新しい夢の中の理想の少女を作っては繰り返す。
だから彼はいつも愛に飢えたまま。そしてその飢えたエネルギーが作り出す作品が、渇いた私の胸のかたすみに沁みて来る。
おそらく彼はこれからも飢えつづけるだろう。人一倍愛がほしいのに!
僕は野島さんは「真実の愛」を知らない、と思ってます。 それは否定的な意味ではなく、知らないからこそ何とかそれを描こうとする。
だから、野島さんのドラマは「真実の愛とはこういうものだ!」というものではなく、「私は真実の愛を探求したところこういう描き方になりましたが、みなさんはどうですか?」というものだと、僕は考えてます。

そして、ラストが賛否両論を巻き起こすのは、彼が示した愛の形が、必ずしも「真実の愛」とは限らないからではないか、と思います。 だからこそ、彼は作品を作り続けているのではないか?というのが僕の考えです。
[世紀末の詩]
教授は昔は欲の塊だった。金と名誉を手に入れることにのみ精を出し、それ意外には目もくれなかった。
これって、今の現代人ですよね。教授という立場はただ解りやすくしているだけで。
学長選挙に破れ全てを失い、自殺しようともしたが、社会の枠組みから離れてみて今まで欲しがっていたものがくだらない物に見えたとき、人はどうするのか。

勿論、今までの教授の生活には愛はなかった。だから愛を否定してしまう。
でも、一番愛を求めているのは教授ではないかと思う。
はたして、現在恋愛しているカップルが、「真実の愛とは?」なんて、考えているでしょうか?
立ち止まってしまう、考えてしまうということは、すなわち、躓きがそこにあるんでしょうね。

全くの他人である男女間の愛、ということに限定するならば、真実の愛というのは、続いていくものである、としか言い様がないと思います。(肉親に対する愛とは、どんなに憎み、恨んだとしても、全く消えてしまうことのないものだと思うからです)

子孫を残すためだけならば、恋愛は必要ない。
これは、動物にはない情動である以上、断定せざるを得ないことでしょう。
つまり、本来ならばそこに存在するはずもなく、自然に備わっているものでもない、感情。それが「愛」。 だとすれば、それが生まれて、続いていくということが、どんなに困難なものであるか。

>「愛」がなくても人は生きていけるでしょうか?

あくまで、私個人の範囲での暫定的な意見ですが。愛が無くても生物として生存し続ける事はできると思います。
ただ、それは死への恐怖から、ただ死ねないといった感じでしょうか。
愛が無いと、降りかかってくるあらゆる困難に立ち向かう気力が無くなってしまうように感じます。

ただ、愛されなくてもあまり辛くはありませんが、愛すべき対象が無いのは耐え難いです。
別に人でなくってもよいのです。美しい夕焼けでも、一輪の花でも良い。ぽっかりと浮かぶ白い雲でも良い。
何か、自分の持てる全てに変えても、守るべき何かが欲しいと感じます。そんなところが、現時点での実感です。

愛し合う事はできなくても、愛する事はできる。そういう者も、現実には存在するのです。そんな生き物でも消えてしまうのは恐いのです。

愛とは何か?
言い尽くされた議論ですが、結局のところ、ひとりひとりの中にそれぞれの答えがあるのでしょう。
でもそう言ってしまったら、議論も、野島氏がそれをドラマにすることも意味がなくなってしまいます。
それを分かっていて、みんな、たくさんの人、たくさんの表現者の意見を聞きながら、自分だけの答えを探していく。
そして、そうして得られた答えを聞いて、他の人がまた別の答えを見つけにゆく。時に真実から遠ざかり、時に真実に近づきながら。それしか私たちにはできないのかもしれません。

私もいつか、自分の答えを見つけたいな。
みなさんは、見つかりました?


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