Home > 世紀末の詩 > 対話考察 > 第8話
■8話のゲスト ◆影山宗一(田中健)…夏夫の大学時代の友人で、遺伝子工学の研究者。研究に関しては天才的だったが、没頭するあまり家族を失う。しかしクローン技術で妻と娘、息子を再生し、偽りの家庭を築く…。自己愛を突き詰めた彼は、クローンこそが無限の愛を提供してくれるという理念を持つ。 ◆影山睦美(持田真樹)…家庭崩壊の末、高校生の時に見知らぬ男の子供を宿して自殺。再生後は野亜たちのバラックに辿り着いた無垢な少女。 ◆影山良希(島田亮・島田潤)…家庭崩壊により典型的な不良になる。父親が自分をも含めた家族をクローン再生していると知り、命を賭けて自分とクローンとの選別をさせようとする。 ◆影山歩美(あづみれいか)…宗一の妻だったが、夫が研究に没頭するあまり愛想をつかして離婚。 taki> とりあえず、なんでこんな題名なんだろう???<恋し森のクマさん ふみ> 自己愛とは何か?から考える必要がありますかね…。僕もよく分かってないので。 ふみ> 言われてみれば何でしょうね。もしかして歌と関係あるとか?(笑)>ある日ー森の中〜♪ 優> 早速ですが、自己愛とは?・・・生存本能に由来するもの・・・でしょうか。 優> 動物は自分の生命を守るために(=種の保存?)、生まれつき利己的になっているので、その流れを汲むものだと思います。・・・当たり前ですか? k-1> 自己愛ってナルシズムの事ですか? k-1> 世界愛という言葉がありますが相対するものとして自己愛はあるのでは? くろねこ> 「自己愛」というものに関してですが、自己愛以外の愛など在るのでしょうか? くろねこ> すべて自己愛でかたづけられてしまう気がします。ならば、片方だけの想いも愛といえるのでは…?(真実の…とはいえませんが) ゆう> 事実を否定しなかった教授の論説は、マスメディアで現実味を帯びてきているクローン人間に対し嫌悪感を抱いている私たちの心を突き刺したように思えます。 ゆう> そしてクローンに対する一般論の先入観に捕われずに視聴していた人には、教授の考えを完全に否定することは出来なかったんではないでしょうか。 ゆう> もしもクローンを否定するものがいるとします。その人は恐らくその理由を『本物の人間じゃないから』と言うでしょう。しかしその人は人間の何を知っていると言うのでしょう? ゆう> 実際に会ってみてその区別がつくと言うのでしょうか?クローン技術を行使しすることの善悪は別として、恐らく誰もが教授の言葉に対し完全なる反論は出来ないように思えます。 ゆう> ・・・確かにそうですね。何を意味するのでしょうか?<森のクマさん k-1> くろねこさんの自己愛論は最もかもしれません k-1> でも景山さんは無限の愛を得たのでしょうか? k-1> 彼らは最後に町を去りましたがその後も無限の愛を感じ続けたかというとそうではない気がします。 櫂> 自己愛を超えた愛が存在するかどうか?ですが、みずからの生存本能を超えたところに存在すれば、すなわち自己愛を超えた愛なのでしょう。それは「存在します」 櫂> 自己愛を超えた愛でなければ真に人の心を打つこともないような気がします。 世紀末の詩にも何人も、そんな愛を持った人が登場しましたね。 8話以外なので省略しますが... 櫂> 景山は「真の愛」を得ることはできないでしょう。 景山はこう言いました。 「自分の望むようにクローンの情緒もそだてていけるのだ」と。 櫂> つまりクローンから感じ取れる愛がいかに真実めいたものであっても自らの心の奥では理解しているはずです。「これはまがい物なのだと」 日に日に虚しさを彼は感じていくのではないでしょうか? 櫂> 自らの「作品」に対する「愛着」はあっても、「愛」にはならない気がします。 優香*> 自らの作品<わたしは作品というよりも。本物の家族との間に欠いたもの。不在したものたちを補う欠片だったのではないでしょうか。 優香*> 世間や憎しみ。そういうものを一切開放し心から穏やかに生きる。真実の愛とは言えなくともクローンたちとの暮らしの間に溢れたものはあいとよべるとおもいます。 アダム&イブ> クローンだからって少し安心感があるんじゃないかな?誰にも愛されない・・・。 自分を愛することも忘れている。だからその為にクローンを愛した たけし> 今回の話、自己愛ということ。クローン人間という言葉で抵抗があるのかもしれないが、人間がペットとして飼っている犬や猫を愛するのと同じで、いや、自分の好きな人間の形をしている分クローンでも、むしろクローンのほうが本物の人間より深く愛せるのではないのかと思った。 櫂> >クローンだからって少し安心感があるんじゃないかな?少しどころじゃないです。安心感だらけですよ、クローンの場合。それはなぜか? 櫂> 「自分の好きなようにクローンの情緒を育てていける」これは何を意味するのか? つまり影山はクローンが自分自身で人格を育てていく機能を与えていないことになります。クローンのやることなすこと、話すことすべて影山の「意にそう」こと。 櫂> 1人の人間の「意に添う」。これは影山自身のコピーです。影山にとって意外性のあることは話したり、行ったりしないということです。 最後には「相手の考えることがわかりすぎて」、会話の必要性もなくなるかもしれません。 櫂> 僕は「人が人を愛するときは」少なからず、自分自身が持っていない人格の部分に人は惹かれるのではないかと思います。クローンの形をした「自分自身から生まれた人格」を愛する。 それは、影山のいうとおり、形をかえた「自己愛」に他なりません。 優> 僕も櫂さんの考えに賛成です。全て自分の思い通りになる「クローン」ならば、そこにあるのは自己愛の投影だけでしょう。 優> 問題は、そうした自己愛も、亘や教授が捜し求めた「真実の愛」と呼べるのか、ということかもしれませんが・・・。 優> その問題には、作者自身(あるいは意図的に)答えを出していません。代わりに、 亘にマロン車の上から叫ばせることによって、自己愛を超える愛の存在に対する希望を表明しているように感じました。 k-1> クローンによる自己愛はプログラミングに過ぎないと思う。 それは結局恋するコッペパンで亘が行き着いた答えに当たるのではないか? 方法は違えど結論は同じ気がする。 taki> 8話で、どーしても好きになれないのが「上手く行かなかったからと言って、自分の望むものを都合よく作り上げる卑しい心」と、景山を捉えているからです。 櫂> >「上手く行かなかったからと言って、自分の望むものを都合よく作り上げる >卑しい心」と、景山を捉えているからです。 なるほど、この考えには賛成です。僕も同じく8話嫌いですが、やっぱ亘に教授言ったように「生理的嫌悪感」があります。 くま> 生命体としてのクローンとの間に、愛は生まれる可能性はあると思います。 くま> ただ ひっかかるのが 「情緒を自由に育てていける」という点です。 くま> それが、相手が常に自分の想像内での愛を提供してくれるという意味ならば、愛にはたどり着けないと思います。 くま> 時には想像もつかないすばらしい面を相手に見出していくことで、愛は育まれていくのではないでしょうか? k-1> でも独裁みたいな感じがする。 k-1> クローンで作られた三人にも意思があるのだから(そうは見えないけど)景山の気に食わない事をしたりするでしょう。 k-1> 景山の愛に答えなくなるかもしれません。彼はまた別の家族を作る事ができるのだからそこに心理的余裕がある。 k-1> 人間関係を修復するよりも新たな人間と人間関係を結ぶ事の方がずっと楽だから。 k-1> 実は彼がやろうとしている事ってリセット世代と呼ばれる僕等と同じ事なのでは? k-1> それ以前に彼等は人間関係というよりもペット関係に近い気もする。 櫂> クローンの情緒を自由に育てていける、ってことはクローンには独立した 「意思」なないと思いますよ。あるのは「まがいものの感情だけ」でしょう。 クローンでも同じ事を繰り返していくつもりは影山にはないと思います。 櫂> そう、うまくいかなくなったら捨ててしまう。壊れたら、捨てて新しいものを作ればいい。ってのは正に現代的感覚なんでしょう。たとえそれが「家族」 であっても。 櫂> 8話が気にいらないのは、この話だけ教授が反論できずに終わっているのでこの話の「愛」に関する考えの最終結論は影山のモノロ−グみたいなんですよね。 J&J> 生物とは違う遺伝子と交じり合って多様化し,また,進化の可能性があるわけです.これが本来の生物の姿(本能)だと思います. J&J> 同じ遺伝子が交わることは,遺伝子の立場からは停滞,言い過ぎかもしれないけど,退化,あるいは破滅まで意味するのかもしれません. J&J> それを,心に当てはめると,クローンとはいえ,その情緒は自分が作り出したもの.進化のためには交わることができない. J&J> でも,人間は理性が発達し過ぎて,本能を覆い隠してしまった.その結果,その居心地の良さに「安らぎ」を覚えてしまう. J&J> 「生理的悪感」は本能通りの本来あるべき姿だと思います.ただ,人間は欲(理性)が勝ってしまうのでその「安らぎ」を求めてしまうのだと思います. taki> うーん、遺伝子の話と生理的嫌悪を見てて、近親相姦を思い出しました。 くろねこ> ヒトとクローンの違いって何でしょう?ヒトであることがそんなに大切なことなのでしょうか? くろねこ> 例えば好きな人がいたとして…その人が実はクローン人間だったとして、それが分かったとき、想いはきえてしまうのでしょうか? くろねこ> 近親相姦の関係も…。 私は、クローンでも近親相姦の関係にあたるとしても、愛に辿り着ける人は、辿り着くことができると思います。 taki> そうですねー。>くろねこ 近親の愛情をテーマにした作品も古くからありますし。ただ、遺伝子の働きからなのか、モラルの問題のなのか、クローンに対し、 嫌悪感が発生しやすそうですね。 taki> それじゃ、遺伝子が本能とするなら、愛とは相反するものなのかな?と。 taki> 性欲などの本能的吸引よりも、理性的な部分に存在すると仮定した愛は別なのかな ? りい> クローンが出てきたのは、あくまでも愛について考えるための道具だてだと思いますよ。クローンといっても成長の速度は多分普通の(と言って良いか分らないけど)人間と変わらないわけだし。とすると、教授が言ってたアイドルのクローンなんていうのは難しいと思う。 りい> 影山の家族にしたって、年齢はばらばらだったし、良希と彼のクローンが同じくらいの年齢だというのも非現実的なことだ。 りい> だから、8話も他の話と同様に、愛についての一種の思考実験のような色彩が強いと思う。皆さんはその辺を理解してらっしゃるとは思いますが、あの話を見てからずっと言いたかった事なので一応。 りい> taki>クローンに対し、嫌悪感が発生しやすそうですね。 そうか?私は別にそうは思わないけれど。亘が嫌悪感を抱いたのはクローンの家族に対してではなく、クローンの家族を作り出した影山のエゴに対してではないかとおもうんだけど。どうだろ? taki> りいさん、遺伝子の話しから、本能的な嫌悪が発生するか?とのことだったのですが。エゴというか、卑しい気持ちに対して嫌悪感があるとは先に書きましたが。 taki> では、まったくの自分の複製ができたらどうでしょう? そのクローンが今の自分と同じ情緒を持ち、自分の家族、友人、恋人と暮らせるようであれば。 (最近の映画であったなー。見てないですけど) taki> しかし、クローンについては極端な状況を作って、問題をわかりやすく、 浮き彫りにする目的なので、 ここが論点ではないのは了解しています。専門の方によれば、 現在の遺伝子工学上ではありえないことだそうですので。 taki> 景山自身の考え方についてはどうおもいます?>りい りい> 影山の考え方は、私は好きになれない。だいぶん下のほうでしてきされているように「リセットすりゃいーじゃん」的な発想で、自己中心的だと思う。 りい> さらに、クローンの家族が影山のために存在しているとしたら、彼らには主体性がないじゃない。だとしたらそれは生物学的にヒトではあっても、なんか違うと思う。理屈になってないけれど。(これが生理的嫌悪感ていうことかな) りい> 唐突ですが、8話のテーマは、真実の愛なるものがあったとして、じゃあその愛の対象となる存在(愛する人)が何らかの理由で失われたときに、その対象となる人は交換可能かどうかということだと思う。 くま> 愛する対象が失われた時については、「恋するコッペパン」じゃないですか? 教授は影山に対して「心が壊れてしまった」って表現してますよ りい> そう言われるとそうですね。>くま くま> 僕は『人は何をもって「その人」が「その人である」と認識しているのか。またそれは愛する対象に対しても同様なのか?』がテーマだと思います りい> つまり、中身(性格とか人格;後天的に形成されていったもの)と入れ物(遺伝的特性を持つ身体)のどちらがより本質的か、てこと? くま> 影山はクローンを作ったけど、そのクローンをちゃんと見れたんでしょうか?その原形(愛する人)を追っかけていただけような気が・・・。影山にとっては愛する人が手に入らないことに対する「慰め」にしか過ぎないと思います。 くま> そうです >りい または もっと奥深い何かによって認識できるのか? という 問いかけのようにもにも感じました。 りい> 影山はクローンを使って代償行為に走っていたと?>くま くま> そう思います。自己愛を引き出したのはその正当化のためだと感じました。でもその論理(自己愛)は愛を考える上でのネックを突いていた。 櫂> 僕もくまさんの意見に全面的に賛成。 自己愛を隠れ蓑みたいに使うのは賢いやり方かもしれませんね。影山のようなインテリにとって。頭でいろいろな事象を理解しようと思う人間...教授的人間の心は突きますね。 taki> 難しいですね・…。自分で作り上げた情緒、人の中身を示すものは、 もはや他者によって全部作られることで、別人になってしまうと思います。 >または もっと奥深い何かによって認識できるのか? taki> あ、なんかわかりにくいな。他者を自分の中で描いた像から、新たに作り上げると 、それはもう別人と言える。ですね。 taki> しかしながら、双子のようにDNAが類似していると性格も似てくる。 育った環境が別だとしても、両者は類似してくる、と聞いたことがあります。 taki> 代償行為の悲しさや、哀れさは景山に漂っていたと思います。 その家族を失った悲しさから、特例として見てはいけないのか? と考えてしまいますが・・・・。 taki> だが、ラストで景山はクローンと本物の区別がついている行動をした。 これは何を意味するのだろう? ヒロト> 皆さんに聞きたいんですけど、本人とクローンって何が違うんですかね?? ヒロト> っていうか、人ってどぉなってると人で、 どぉなってるとクローンなんですかね?? ヒロト> 遺伝子上でも同じ。見た目も、声も、同じ。 じゃ、何が違うんですか〜ね?? 櫂> ヒロトさん>現実世界のクローンとは程遠いですが影山のクローンは絶対製造者を裏切ることがないように「製造されている」ところが本物との違いです。 櫂> 現実世界でのクローンの現状は、受精卵にその人の遺伝子を配合(?)して姿形と根本的性質くらいまでは同じに作成できると「理論上」研究されています。 だけど「後天的性質」 や「記憶」までクローンに移し変えることは不可能のようです。 櫂> もし、脳みその中身まで、本人と同様の考え方をするクローンが作れたら、これは本物となにも変わらないと思います。 櫂> あとは戸籍と住民票があるかないか(笑) 櫂> takiさん>影山は単に「クローンと自分だけの世界に戻りたかった」だけのような気がします。そう考えるとあのラストシーンも納得できます。 だから火事から自分の本物の息子を助けた、というより、「外に排除した」ように僕には見えました。 くま> 逆説的な言い方かもしれないが、この話の中でクローンであるかないかは影山にとってのみ意味を持つものだと思います。 くま> つまり、原形を知っている(追い求めた)という意味で・・・ くま> だから、あまりクローン自体に対して、特殊性を感じない方がいいのでは? くま> もしかしたら自分もクローンかもしれないし・・・ くま> いやいや、こんな事を言いたいんじゃない!! ただ少し第8話の主旨から外れているような気がして・・・ taki> うーん、戻りたかっただけですか・・・。それよりクローンと見分けられたのは何故でしょうね?>櫂さん taki> クローンはオリジナルあっての複製(コピー)という定義で良いじゃないんでしょうか? taki> それに対して、後天的な要素を製作者が都合良く改定した。と言うところが問題だと思います。 taki> 後天的な要素に手を加えることによって、 主体が別の唯一の存在ではなくなることによって、 それはもう別人になってしまうわけですからね。 taki> 景山は不幸によって離散した家族を、取り戻したかっただけなのか? それとも、家族から愛を得れなかったから、(都合よく)作りなおしたのか? ふみ> なるほどー。自分の家族に対する怠惰が原因なのに、それを省みず都合よく作り直した影山の行為が、8話で否定されてる愛なんですね? クローンっていうのはやっぱり道具だと思います。極端に言えば、(逆らわれずに支配していられる)ペットに愛情を向けるのと一緒なんですかね。 ふみ> たぶん影山は前から家族、、というか、さらに言えば人を信用してないところがあったんじゃないですか?良希が殴られもしなかったって言ってるから…。 人とのぶつかり合いを避けてる感じがありますよね。 ラストで区別がついていたことの意味はよく分からないけど、良希の命掛けの行為に対しての感謝の気持ちはあったと思いたいですよね(笑)。 でもその後もクローンとの生活を続けるのは、、人は何にしろ愛する対象がいなければ生きていけないから、とか?(考えすぎ?) 櫂> >うーん、戻りたかっただけですか・・・。それよりクローンと見分けられたのは何故でしょうね?>でもこれは本編で良希自身が説明してたでしょ?あれで僕は納得しましたが..(以下引用) 「どうして俺とクローンの見分けがついたかわかる? 小さい時、一度だけ親父に言われたんだ 男の子は一生に三度しか泣いちゃいけない生まれた時と、愛する人を失った時、そして…親が死んだ時 櫂> 涙を流さなかった方が本物だったわけで、「じゃあ、それで本物が100%あたるの?」って気もしますが、物語ですから説明があっただけで「良し」としましょう (笑) MR.未成年> 普通に疑問なんですが 何でクローンの良希は涙を流したんですか 理由がわからなんですけど 櫂> >何でクローンの良希は涙を流したんですか?>MRさんへ>意地の悪い見方をすると、影山が感情的になって怒ると、自動的に涙をながすように仕込まれているのでは?男の子は一生に3度しか泣くな、と本物をしつけておきながら、やり直しのクローンのしつけの時には、多少感情過敏にしたのかも... くま> 影山はクローン良希に対して愛がなかったから、「三度しか泣くな」と言わなかったのではないでしょうか くま> 本物良希は「愛されていなかった」と言っていますが、その影山の言葉は影山にとって本心というかポリシーでしょう? くま> それだけで、影山が家族に対して愛があったとは言えませんけど、少なくともクローンに対しては、本物よりも思い入れが少なかったと思います。 baby wolf> いきなり失礼します。クローン良希が泣いたのは、自分が死ぬのが(親に捨てられるのが?)怖かったからじゃないんですかねぇ。 あぁく> うん。でもなんで、最後またクローン家族と暮らそうとしてるの? あぁく> でも結果的には両方助け(?)た。 あぁく> 本物者の良希をなぜ助けたのか あぁく> でもそれは愛じゃない あぁく> 殺人は犯罪だから?そんなつまらないことじゃないだろう baby wolf> 本物者の良希をなぜ助けたのか・・・殺す必要ないからじゃないですか? baby wolf> 自分の子なんだから助けるでしょ。 あぁく> なるほど。 あぁく> 助ける必要は親としての責任?それとも、クローンと都会へ逃げるために、死んだと見せかけるために、邪魔だったのかも あ> それにしても一体どうやって…(脱線^^;) baby wolf> 責任感じてかなぁ〜。自分が助けなければ死んじゃうってわかってるのに見殺しにはできないんじゃないですかね。 baby wolf> 邪魔と感じてたら、そのままほっといたんじゃないですか? k-1> あの行為だけが景山の愛情であったと信じたいです MR.未成年> 僕も信じたいです ryou> 唐突ですが、どうして景山は息子が不良になっても約束を覚えてるなんて思ったんでしょうか。良希は約束を守ろうと必死になってるようには見えなかったんですが。あの場合 ryou> 景山は本当はわからなかったんじゃないかな?と思ったり(笑)困っている父を見て一緒に泣いてくれるとか、そういう無限の愛を示した方を、本物でも偽物でも、クローンの方だと思ったんじゃないでしょうか りい> クローン良樹が泣いたの?私は本物の良樹が泣いたと思ったけど。影山が自分を見分けれないから、父である影山が自分を愛していないと完膚なきまでにおもいしらされて、そういう意味で愛する人をなくしたから、泣いたとおもったんだけど くま> そういえばそうですね。クローンが泣いたか、本物が泣いたかは事実としては描かれてはいなかったですね。本物良希が『「3度しか泣くな」と言われた』と言っていただけで・・・ くま> もし「本物が泣いた」とするなら、クローンには「死」に対する感覚が欠如していたのかもしれないですね。 くま> あくまで「影山に対して奉仕的な存在」として、影山がクローンを育てた結果かもしれませんね。 MR.未成年> 泣いたのはクローンのほうだと小説に書いてありましたよ くま> あっほんとですね。「涙を見せない方の良希のテーブルの脚を切っていく」ですね。失礼しました。 櫂> たぶん複雑な情緒まではそだっていなかったのではないでしょうか>クローン 単純に、こういうシチュエーションでは泣く。くらいしか理解してなかった。 「男とは...」なんて本物に諭したような、男親と息子の会話はクローンにはなかった。(あったら、それを想像しただけで笑えるかも) ゆう> ん〜っ・・・。景山は今でも元々の家族のことだけを愛してるんだと思いますよ。言ってしまえば現在の家族は自分が理想としていたものを自らの技術力を駆使して創ってみただけであり・・・ ゆう> もちろん現在の家族のほうに安らぎを感じているが、愛せないことはわかってると思います。火事になったときに教授達へ向けた目つきが物語ってたように思えます。 ゆう> つまり、ある部分興味本意で実験的に造った家族に対し、安らげる環境を作るための教育はしても、人間として親としての教育をするつもりはなかったからクローンの息子に泣くべき時の教えをしなかったんでしょう。 ゆう> それから、もしかしたらですが、研究者として仕事に没頭してしまったために皆を不幸にしてしまった・・・その懺悔をしている気も少しはあるかもしれません。心のどこかに。今度は一緒にいてあげようと。 あ> きっと、そうかもしれませんね。 あぁく> 怖かったんでしょうね。自分のせいでこわれてった家族を思うと辛かったんでしょうね。せめてまともに生きている(?)クローンと暮らしていくらかその部分も救われたんでは?所詮活きてはいないクローンは電子ペットと同等だ。 ふみ> じゃああの後もクローンとの生活を続けるは、ある意味家族に対する罪滅ぼし…って影山は思ってるかもしれないですね?もちろんそれは根本的に間違ってるんですけど。 櫂> >ある意味家族に対する罪滅ぼし…>その結果、人にみつからないところにだんだん移り住んでいく。罪滅ぼしってのも「自己満足」に違いありませんね。 その行為を評価できるのは自分以外にいないのだから。 あぁく> つまり、影山は幸せな家庭の幻想を支えに、しか生きていけないのでしょう。 ある意味の現実逃避であり、まさしくそれは自己満足である。 「一人では生きていけない」と良希を無視して一人であることを認識してしまったために。 くま> 皆さん、影山と本物の家族との間に愛はあったと思いますか? 櫂> >皆さん、影山と本物の家族との間に愛はあったと思いますか?>あったらやっぱりクローンを作ろうとは思わないので愛はなかった、と思います。 MR.未成年> 僕もなかったと思います ただ最後の良樹への行為はせめてもの優しさだと思います 櫂> 人間が火事にまきこまれて死にそうになってたから助けた...でも一緒に生きていくのはクローンの方だ...ってのは寂しすぎるかな。。 櫂> つまり、やさしさっていってもその程度の優しさのような気がする。 くま> 僕的には、精神が破綻した結果クローン精製にいたったと思うので、一概に愛はなかったとは言えないです。 くま> 教授は「『家族』を失って壊れてしまったんだろう」って言ってましたね。 くま> ここで使われている『家族』への思いというのは、愛とは違う意味なのでしょうか ? ふみ> 失って初めてその大切さに気づいた…って感じじゃないですかね?>壊れた 櫂> 僕はふみさんに賛成かな...精神が破綻したって感じじゃないですよ>影山 家庭崩壊の原因も、自らが仕事にのめりこみすぎたからだっていうのに、 いけしゃーしゃーと、代わりの家族を作り出すあたり...たぶん影山は究極の自己愛の人で、自分の思いどおりにならないと気がすまないタイプなんだと思います。 ころすけ> 家庭崩壊は景山宗一だけの責任なのでしょうか? ころすけ> 責任という考え方が正しいのかわかりませんが、他の家族にも責任はあったと思います。 ころすけ> 景山は自分に足りなかったのは、家族と過ごす時間だと思った。 ころすけ> そこでクローン家族というニセモノを作り出し、自分の出来なかった家族との時間を埋めようとした。 ころすけ> でも家族との時間を過ごすだけでは、本物の家族同様、愛に届くことはなかった。 ころすけ> 足りなかったのは、家族と過ごす時間だけだったのでしょうか? 櫂> >家庭崩壊は景山宗一だけの責任なのでしょうか?>原因が影山の仕事にあるといったのです。 櫂> すくなくとも、その件で一番反省したのは影山自身でしょうね。 >景山は自分に足りなかったのは、家族と過ごす時間だと思った。>そう、そして亘に対して話した「家族」に対する考えは、過去に真逆なことを、影山自身がおこなった「反省としての独白」だと思いました 櫂> でもその悩んだ結果「新しい家族を作り出す」ってのはやっぱ自己愛の人ですね。 k-1> 愛に飢えていたんですね。家族がいなくなってから愛に気づいたけどそこには誰もいない。実はとても家族を愛していた景山は自分の愛が間違いだと気づく……結果クローンでやり直そうとしたのでしょう。 くま> 影山は結局、自己愛を満たす存在として愛を提供している存在を求めていたのですよね?逆に、自らが相手に対して一方的に愛を提供する存在は、ともすれば「自己満足」や「一人よがり」という表現にもなりますよね?ここで「自己」VS「他者」 ではなく、愛し愛されることが「愛」だと思うのですが、このあたりは皆さんどう思われますか? 0> 私も今までは愛というものが一方通行では成り立たないという意見でした。でも今では一方的に尽くすという愛の形も存在するのではないかと思っています。 くま> 最後の四行詩は、どのように受取りましたか?僕はあまりドラマの内容と関連づけて考えられないです。影山は愛にたどり着いていなかったとしたら、あの詩は誰の事を指しているのでしょう? ゆう> つまり自分を愛していたんだって意味じゃないかな。 くま> 僕が君、君が僕だったと思えるぐらい魂が寄り添うことが愛。だから引き裂かれた時、人は壊れてしまうんだ。という意味にとらえてたんですが・・・。(コッペパンの主旨と同じになりますが) あれは愛(自己愛じゃない愛)の詩ではないのでしょうか? シャー> 自分がコントロールしていると思い込んでいた新しい家族が、いつか自我を持ってしまったとき彼は本当に何もかも失うだろう。またそうならなかったとしても目の前の相手は自分が作り出した”もの”であり、相手を心から尊敬することは一生出来ないだろう。ある意味これ以上の不幸は無いと言える。 ころすけ> 景山のやり直したいという最初の気持ちは、愛に向いていたように思うのですがどう思いますか?その辺は劇中では描かれていないですよね。景山の歪みは対象をクローンに向けたところから始まったと思うのは私だけ? ryou> 影山は子供みたいに、何かに没頭すると周りが見えなくなってしまうひとだったのではないでしょうか ryou> そして、気がついたら周りに誰もいなくなっていて、その穴をクローンで埋めた。まるで何も最初から壊れていないように。そうやって影山は自分のアヤマチをなかったことにしているようだと、私は思いました ころすけ> ということは家族は壊れたが、景山の心は壊れていなかったということでしょうか。 シャー> 自分の家に家族の人形を置いて家族ごっこをしている。ロボットじゃないと口では言っているがそういう作り方をしてそういう扱いをしている。クローンであっても人間ならば自我があるはずだから。もし満足しているなら彼は壊れていると言える。 ころすけ> 言い方を変えます。家族が壊れた時、景山の心は壊れたのでしょうか。第八話で教授は「真実の愛とは・…相手の死を認知しないこと」、「認めることは心が壊れるということ」と言っています。私はこの部分自体よく理解できていないのですが、もしも景山の心が本当に壊れているのなら、真実の愛に一瞬でも触れていたのではないかと考えます。景山の心は壊れていたのでしうか。 ころすけ> ↓第八話は第七話「恋するコッペパン」の間違いです。訂正します。 KitKat> オレは愛や恋の事はまだよくわからない もしかしたら、愛や恋もなにもない ただあるのは友情でオレはバカみたいに、いつまでも・・・はしゃいでるかもしれない。はやく愛だとか恋だとか語ってみたいものだ だけど愛は人によって愛の価値観が違うと思うから、人の話を聞いて色んな愛があるのだな〜って思いたい。 だけど影山は自分の愛を無理やり変えちゃったんだね、それは『NO』だ!! いいや、オレのはよくわからん ころすけ> クローンに愛情を向けた景山は私も『NO』だと思います。歪んでます。ただそれは自らの意思で歪ませたのでしょうか?それとも愛によって壊れ、愛が景山を歪ませたのでしょうか?景山が壊れていたか否かによって、第八話の解釈は全然変わってきてしまいます。結論が出るかはわかりませんが、他の人の意見を聞いてもっと理解を深めたいと思っています。 偽善者> 確かに一般的な見方からするとクローンに愛情を向けた影山宗一は間違っていると思いますが、遺伝子工学の研究に関して天才的だった、彼にとっては、自分の思いどうりに動くクローンを作るというのは、愛情とかの次元では無く、自己満足のような気がします。 自分の作った物が、自分の前の生活に無かった物を満たしていく、それにクローンは自分に対して愛そうが尽きない、 それを作った自分の中での自己満足のような気がします。 ころすけ> 愛情って言うのは言葉を選び間違えたかもしれません。偽善者さんに異論はないんです。私の中での今の疑問はただ一点。クローンに気持ちを向けた景山は、愛によって壊れた後なのか、それとも壊れちゃいないのか、それとも愛以外のものに壊された後なのか、と言うことです。お騒がせして申し訳ないのですが、この辺が私の中ではすっきりしていないところなのです。 ころすけ> なんでこんなに壊れるってことにこだわるかと言うと、最後の四行詩で「心が壊れてしまうのは…」って言っていますよね。壊れるってどう言うことだ?というのが私の疑問な訳です。こだわり過ぎですかね?(笑) 偽善者> 理想と現実の家族のギャップに壊れたんでわないでしょうか。やっぱり誰でも自分の理想はそうそう手の届かない所に有ると思います。 けどそれを今の宗一に安易に叶えてくれるのが、クローンだったんではないでしょうか? ころすけさんへ ころすけ> なるほど、理想か…浮かんでこなかったなあ(笑)。で、私なんですがまだ迷ってます。「壊れる」を解釈する視点が少しだけ違うんです。偽善者さんの「壊れる」も納得するのですが、世紀末の詩ですから 「愛」と「壊れる」はやっぱり結び付けて考えたいんですよ。そう考えると、景山は壊れていなかったんじゃないかと…今の気持ちをあえて言うならこちらでしょうか。つまり愛によって壊れたのではないということ。でも第八話の四行詩は愛の詩じゃないのかなあ。悩みます。 くま> 第8話の4行詩は愛の詩だと思います。ここで、あえて影山と本物の家族に愛があったと考えると、その愛をほっぽりだしてかあるいはその愛に気づかずに自らの研究に没頭したということになります。これは愛を認識できるか否かにも関わってきますが、そういう愛の形もあるのでしょうか? くま> そのあたりが影山が愛に辿り着いたかどうかの根本的な問題になると思います。ちなみに僕は、影山が愛に辿り着いたことに対してそれほど否定的ではないです。( かといって肯定的でもないですがわからないというのが現状でしょうか) ころすけ> 愛に気付かなかった、そして認識ですか。なるほどなあ。私の中では解釈が揺れまくっているのですが、最初に思ったのは、下にも書いてあるのですが、景山には愛が一瞬見えて、それがやり直せないものだと知って壊れてしまったってことです。 ころすけ> でも物語を読んでいくと本当に壊れているのだろうかいう気になってくるのです。 歪みという表現が適切かはわかりませんが景山は自分の歪んだ愛に気付いていたと思うのです。そしてラストの良希とクローンの見分けがついた時、本当に壊れているのだろうかと思ってしまったのです。もしも第八話に愛があったのなら私の中の 「壊れる」という解釈が浅かったのかもしれません。あるいは歪みという発想自体が間違っているのかもしれません。悩みます。 くま> う〜ん。僕はむしろ、良希を助けた後のラストシーンで、影山は壊れていると思いました。あの時点で少なくとも良希とは、家族を修復できるような気がするんですけど、それをしなかった影山は壊れていると思いました。 くま> そのシーンも、家族という形への理想であって、それこそ愛ではないという解釈の方がわかりやすいんですけどね。 くま> 僕は「代償行為ができるのは愛ではない」と「壊れた結果、代償に走る事もある」の間で揺れています。代償のレベルもあるかもしれないですけど、なんと言ってもクローンですから究極の代償行為ですね。 ころすけ> 皆さんとお話したおかげで、腹の中で消化し切れなかったものが、ようやく解け始めた気がします。私なりの「第八話」の感想ができたのですが長くなったので世紀末BBSに書きました。でもこれで終わりではなくて、まだまだやる気がある方がいらっしゃれば私でよければお相手します。楽しんでやっていますので(笑) 櫂> 僕は影山は壊れていなかった、と思います。少なくとも「愛」が原因となってその結果「壊れる」という意味での「教授的な」壊れ方はしてなかったのだと思ってます。 それよりも「愛」の存在において「自己愛」以外を否定する見解の影山は「愛」 にたどりつくことさえなかった。 いろいろな要因で家族が失われたから「代わりのものを作った」だけ、というのが彼の本音なのではないでしょうか? 櫂> ある意味、もともと壊れていたような人格だ、というのが僕の見方ですが... 科学的な天才であるがゆえに「情緒」は普通の人間と違ったものがあるように僕には感じられます。 櫂> くまさんの言うような「本物の良希と家族の関係を修復する」なんて気持ちは影山には関係ないでしょう。 「本物の良季」は「過去に自分にさからった」ことがあるのですから。 その時点で「バグが発生したもの」を「バグの発生していない新しい家族」 に置き換えたのが彼にとってのクローン。 つまり、本物かどうかが影山は問題ではなく「自分に逆らう可能性が高いもの」 のほうが彼の価値観ではあきらかに「下」なのです。 彼の心のヒエラルキーの最上階には常に「自分」があるわけですから。 櫂> 影山を一番嫌いな理由は、食事に招待した亘に対し、家族に対するもっともそうな講義をしていたのに(家族でも愛するための努力が必要うんぬん)、最後クローンがばれてから、「人間はしょせん自己愛だ」などと矛盾極まる発言をしている点。 シャー> 同じ形にしたのは彼の懺悔なのか、家族のイメージが貧困だからか、それとも自分の失敗を認めぬために同じ道をなぞるためか・・・いずれにしてもあまりにも哀れだ。家族の形をした人形を連れ歩く虚しさに耐えかねたら、クローン達の自我が目覚め自分が代用品として造られたことを知ったら とてつもない破錠が訪れるだろう。,
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