Home > 世紀末の詩 > 対話考察 > 第7話
taki> 男|33才|コンピュータSE [HP] ゆうすけ> 男|自営業&学生 くろねこ> 男|20歳|学生
■7話のゲスト ◆石田 基 (大江千里) 妻に先立たれ、その事実を受け止めるのに苦しんでいた。その結果、妻の死体を店の冷蔵庫に保存してしまう。その姿を見て作ったパンは、食べた後最初に見た相手を好きになるという特殊な効果をもたらしてしまう。 ◆石田真紀子 (桜井幸子) 夫とパン屋を営業していたが、先に逝去。 ◆石田涼子 (池脇千鶴) 祐香の友人。父親が母の死体を冷凍保存していることを知らない。 ■テーマ... taki> まずは、「愛する人が先だったら、あと追いするのか、そのまま生きていくのか?」ですが。僕だったら、あと追いはしませんね。愛は一つじゃないとおもうし、「唯一無二」の愛であるかどうかなんて、その後に生きていかなきゃ解らないと思うんですよ。ただ、結果としては「生きていくこと」に耐えられなかった、ってのはあると思いますが、どーも「後追い」ってのはナルシストの香りが・・・。ちょっと、「生きる意味」とかに絡んでくるので論点がぼやけちゃいそうですが。 ゆうすけ> 私は愛は1つじゃないというのには賛成できませんが、生きていくことは別として、少なくとも後追いするのは愛ではないと思います。 くろねこ> 私は、後追いはできません。死にたいとは思うかもしれませんが taki> どうして、「1つだ」と思うんですか?>ゆうすけ ゆうすけ> 答えは簡単です。なぜなら愛は終わらないもので生きつづけるもの。ならば後追いするのは、生きていても愛を生かしつづける自信が無いだけから。 くろねこ> 1人でも愛は成り立つものなのでしょうか>ゆうすけ ゆうすけ> 自分の中でそれが過去にならなければ、現在形ならば成り立つと・・>くろねこ くろねこ> 自分の中の時間を止める ということですか?>ゆうすけ ゆうすけ> う〜ん。似たニュアンスだと思います>くろねこ taki> 結果として存在しても、愛の延長線上に「後追い」はありえないでしょうね。もはや、「他者の不在」なんですから。 ゆうすけ> きっと、数年後、恋をした相手と結婚して家庭を築くんだろうなと>taki taki> 愛とは?と追い求めて考える内に「愛する人がなくなった後の生き方」って関係ないような気がするんですよ。それはあくまで「行為」ですし、自分自身の納得や周りの目もあるし、それらの結果でしかないと思うんです。 ■男女の違い... ゆうすけ> 男性と女性の愛とは違います。>taki taki> ん?男女間の「愛の認識」は違うと?>ゆうすけ ゆうすけ> はい。違う気がします。どう思いますか?>ALL くろねこ> 男女に関わらず…人の数だけ 性別は関係ないと思います>ゆうすけ ゆうすけ> ということは、更に複雑になるということですか?>くろねこ くろねこ> う〜ん 難しい。その人の感じ方のような…>ゆうすけ taki> 完全に男女間の「恋」の認識は違いますよね。ザックリいえば「してあげること」と「してもらいたいこと」のような。>ゆうすけ ゆうすけ> 恋の認識に関しては明らかですね。>taki taki> 「恋」はある意味「自己愛」かもしれませんよね。平たく言えば「相手を見ていない」自分の中の欲求を叶えるのが第一条件のような。>ゆうすけ ゆうすけ> そうですね。私は絶対にそうは思いたくないのですが、もし愛が存在しないのならば、それが人間の愛における大きな壁であって限界なのでしょうね>taki taki> 愛は思い込みじゃない。でも、実感は他者に伝えられない。難しいところですよね。>ゆうすけ ゆうすけ> しかし恋にも段階があると思います。片思いのうちは自己愛は少ないが、相手も自分に気がありそうな雰囲気を悟ったとき自己愛がブアーッと噴出すんじゃないかと。 taki> ですねー。とりあえず、「恋」が根ざしていたものとして、「自己愛」は同感でしょうか?>ゆうすけ ゆうすけ> 愛との区別としては同感ですね。残念ながら否定できません。>taki taki> そうそう。恋愛事は他人がクビを突っ込んじゃ行けない。(笑)本人達同士でしかわからないものですし。が、本人達も解らなくなっているのは、もう愛じゃないでしょ。(笑) ■コッペパン... taki> 妻への忘れられない切ない思いを込めて作ったパンが、恋するコッペパンになった・・・。 その 「パンの魔力」に関してどう思いますか? ドラマではあんまり追求してなかったんですけども。<パン ゆうすけ> パンの魔力は・・・まぁ設定ですね。視聴者に野島メッセージが伝わりやすいように作ったファンタジックな部分ですよね。ただ・・・>taki taki> ただ・・・?>ゆうすけ くろねこ> 食べた人の恋がかなうのは…相手にとってはどうでしょう?>パン ゆうすけ> 基の妻に対する思いは、人間の持つオーラのようなものでパンに乗移ったと解釈してます>taki taki> ただ、ファンタジックな設定だとしても、古今東西にそう言った「伝説」的な品物はあることはあるんですよね。しかし、それにはこだわらないでおきましょう。(笑)<魔力 くろねこ> パンを食べさす人=愛のない証拠のような気がします ゆうすけ> 佑香が亘に食べさせようとしてましたね。>くろねこ taki> 思いがない人に、魔力によって恋をさせるのは・・・理不尽だと?>くろねこ くろねこ> 自己愛 相手の気持ちは偽りのような…>taki taki> 自己愛から、相手に無理やり恋に落させるのは、その気持ち自身が「偽り」であり、もはや愛ではない、と?>くろねこ くろねこ> 本人にとっては本気かもしれないけど カタチとしては相手の本当の気持ちはどうでもいいようなので>taki taki> んー、なんの本気かってのが問題ですよねー。とりあえず、「質」が違う、と?>くろねこ くろねこ> やはり、一方的な想いでしかないと思うんです>taki taki> まあ、「恋するコッペパン」ですから。(笑)>くろねこ くろねこ> 片思いはつらいからな〜(笑)>佑香→亘 ■愛は思い出へ... ゆうすけ> 私はまったくもって現実主義ではないので、まぁシンプルに基の気持ちが詰まってると解釈します。奥さんの遺体が焼かれた後は、もう前のような魔力はパンに無くなると思ってます。>ALL くろねこ> 想いを込めなくなった。想うことが無くなった?>ゆうすけ ゆうすけ> いままでは生の人間を愛しているつもりだったが、その後は・・愛せるものは思い出しか無くなっちゃうんではないかなぁ、基の場合>くろねこ くろねこ> 思い出は薄れていきませんか?>ゆうすけ taki> ただ、「反芻」することで薄れるのは防げると思います。しかし、そのときと違う自分になって「うつろう」ってような感じにはなるかもしれませんね。>くろねこ くろねこ> すごく悲しいですね。でも、思い出も愛の対象になりますか?>ゆうすけ ゆうすけ> いえ。愛の対象にはなりません!!思い出とは過去の対象物として認めた事になりますから>くろねこ taki> 思い出を愛するって時点で、愛じゃあないですよねー。>くろねこ くろねこ> 確かにそうですね>ALL taki> でも、薄れるとかうつろううことによって人間は変わっていけるんですよね。 ゆうすけ> そうですよ。忘れるという能力は実は成長するためには無くてはならないもので、素晴らしいものだと思います>ALL taki> じゃないと、未来は自分にやってこないし、愛が自分自身を疎外する存在になるのも変な話です。が「愛の亡霊」ってのもありますが・・・。 ■証明?... taki> 僕は「恋するコッペパン」はとてもとても悲しい作品だと思うんですよ。愛する者への悲しい思いが沢山詰まった物だと・・・。<コッペパン taki> 多分、「愛の亡霊」みたいなものにとりつかれてたんでしょうね。もう、そんな悲しい物は作らなくていい。>ゆうすけ ゆうすけ> というか、基にとっての愛とは、肉体をそばに置かなくては成り立たないものだから、焼かれれば・・・基の愛の形が変わりますよね?>taki くろねこ> 悲しいことですけど……きっとそうだと思います>ゆうすけ taki> んー、そうではなく肉体をあきらめることが、「愛してなかった」と言うことの証明になってしまうような気がしたのかもしれないですね。>ゆうすけ ゆうすけ> その『〜が、愛してなかったことの証明』ってのはいいですね。>taki taki> それは、亡き妻の愛に答えきれてなかっため、愛を真実ではなくならないようにするための工作だった気もしますね。<コッペパン ■愛は記憶か、思い出か... ゆうすけ> 愛は互いに傷を伴うといいますが、もしかしたらその意味って成長を止めてしまうってのもあるかもしれないですね>ALL taki> そこでですね。(笑)愛は生き物のような感覚で僕は見てるので、一つが死ねば、他がまた再生して愛になる、と言うのがありえると思うんですよ。 ゆうすけ> ただ私は愛を育むことで、成長できると思っていますがね。>ALL taki> それはそう思います。石田さんは「育みきれなかった」からこそ苦しんでいた面もあったとおもいますし。>ゆうすけ taki> 愛が意識の中にあるものならば、完全に死んでしまえば、極端に「記憶喪失」とかになれば、別に愛は発生するとは思いませんか?特殊すぎるかな? くろねこ> 恋ではなく?>taki taki> 恋は「花火」みたいな感覚でしょうか?(笑)>くろねこ ゆうすけ> ちょっと特殊ですね(笑)その意味って・・・>taki taki> やはり。(笑)<特殊>ゆうすけ taki> 複数は絶対にある。というような。(笑)<花火 くろねこ> う〜ん 複数あるのが恋で 1つしかないのが愛 (???) ゆうすけ> 私はまさしくそう思います!!>くろねこ ゆうすけ> 相手が記憶喪失になった時に、自分の中に新しい愛が発生するという意味ですか?>taki taki> そうです。ですから、「愛」は記憶と共にあるものだ、ともいえるんじゃないでしょうかね?>ゆうすけ taki> 恋は複数あっても、愛は形を変えてなら複数あると思うんですよ。妻を愛し、子どもを愛する。まあ、世紀末の詩では「男女間の愛」に限定ですけども。>くろねこ くろねこ> 愛は1つ 複数 分からなくなってきた。家族愛は愛のなかに入る? taki> と思いますよ。今回、7話の定義するところと異なるんですけど。>くろねこ<家族愛 ■愛の状態... taki> あと、「愛は優しいものだ」という亘のセリフはどうでしょうか?>ALL くろねこ> 居心地は良さそうですが辿り着くまでは…そうじゃないかも>taki<亘のセリフ ゆうすけ> 私にとって愛とはまったく持って逆ですね。愛とは厳しいもの。たまに実感したときに優しいものを感じるんじゃないいかな。>taki taki> ものすごく移ろい易くて、感じることが難しいものだと思うんですよ。たとえたどりついても「一瞬」の事かもしれない。<愛 taki> その状態にずっと永遠に留まっていられるってことは、ありえないなあと。 ゆうすけ> そうそうその通り。>taki taki> それがなくなった時はどうなんだ?ってのが今回のテーマでもあるんでしょうけど。 くろねこ> 一瞬のものに追い求める価値はある? taki> 逆かなぁ。一瞬だからこそ価値がある。いや、一瞬ぐらいにしか存在し得ないものかもしれません。>くろねこ taki> 恋でさえ貴重なものだと思うのに、愛なんか伝説の生き物レベルを目撃したような・・・。(笑) ゆうすけ> ツチノコ、ネッシーみたいな(笑)>taki taki> いや、リバイアサンぐらい。(笑)>ゆうすけ くろねこ> 一瞬でしか愛し合えない?その繰り返しが愛?>taki taki> 分かり合えない、触れ合うことがない。でしょうか?その瞬間が愛に近いかなと。>くろねこ くろねこ> 愛は絶望を生む?絶望の前に壊れるのが愛?壊れなかったら愛じゃないのかな? ゆうすけ> そんなことはないですよ>くろねこ taki> 絶望を生むでしょうね。そして壊れることも。しかし、それは結果論で「〜じゃなかったら」ではないと思いますよ。そうじゃないと(又ですが。笑)後追いしないのは愛じゃない、になってしまいますよね?>くろねこ ■結論へ... taki> あ、そうそう。石田真紀子(桜井幸子)の愛は本物だったと思いますか?>ALL taki> これ悩むところなんですよ ゆうすけ> 私も悩みましたが・・・結論!愛ではないと思います。 taki> うむ・・・。どうしてですか?>ゆうすけ くろねこ> 愛への欲求であって愛ではないと思います>taki taki> 僕としては、かなり切なく好きだったのは確かですけど、お互いは純粋な恋だったんじゃないかと・・・。 taki> お互いが居るだけで幸せな恋だったのかも・・・。そこに愛として質の情動はなかったかなと・・・。 taki> とても清い思い。が、愛は清いかと言うと・・・。疑問ですね。 くろねこ> 愛は清くない?>taki taki> あ、疑問ですね。相手のすべてを受け入れることが愛なら、汚い部分も合わせて、さらに自分のことも含めて存在するとおもうんですよ。>くろねこ ゆうすけ> 多少なりともニュアンスの違いはありますが、真紀子は彼が壊れてしまうのが心配で近くに居たかったのではなく、彼の自分に対する愛情が自分の肉体亡き後に薄れていくことが不安でしょうがなかったと考えます。>taki taki> ああ、死んでも好きで居て欲しかったと。>ゆうすけ taki> それは愛でないにしろ、凄く切ない願望ですよね。 ゆうすけ> そして主人もまた、妻の肉体を手放した後、変わらぬ愛を継続することに不安があったのでしょう>taki taki> そろそろ、総括に参りましょう。(笑)って、話題振ったのは私ですが。(笑) ■7話まとめ感想... くろねこ> 後を追うことは愛じゃない。壊れなくても愛はある。でも、思い出を愛することではない。愛とは、1人になっても互いに望んで2人でいること。 ゆうすけ> 石田夫妻の変わらぬ愛がつくらせたとされる恋するコッペパン。果たしてそこに愛はあったのか?生前真紀子は言った『私が死んだ後あなたが壊れてしまいそうで心配だからあなたのそばに居たい』と。 しかしそれは本心ではないのだろう。真意は自分の肉体亡き後に基が果たして今までと変わらぬ愛情を持ち続けていてくれるのかが不安だったに違いない 。そして基もまた妻の肉体が無くなった後に、自分の妻に対する愛情を今までと変わらず持ちつづけることに不安があったのだ。 2人に愛は無かったのだ。ラストシーンで泣き叫ぶ基の涙はそんな意味を含んだ怒りと悲しみの色に包まれていたするコッペパンの魔力はこれまでだろう。なぜなら基のいっていた愛とは肉体あってのものだった。それがなくなったのだ。その愛は形を変え愛で無くなる。基の中で真紀子は過去になったのだ。つまり・・・ 愛で無かったとはじめて認知する。 taki> 基と真紀子の愛は恋ではなかったか?それはとても清らかな恋。それゆえに愛にはならなかった。愛とはもっと他者を全面的に受け入れるものだから・・・・。そのギャップに対して、基は苦しんでいたのだろう。愛したものの喪失ではなく、恋し恋してくれるものの喪失ではなかったか?そのことが死体となってしまった妻をいつまでも手放せない結果を生んでしまい、逡巡が「恋するコッペパン」を生み出した。 基と真紀子はいつまでも相手を思いつづける恋。そんな風に思えました。
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