Home > 世紀末の詩 > 対話考察 > 第6話
ふみ、taki、櫂、ゆうすけ、水梨、KOJI、水深二尋、りい
■6話のゲスト ◆広田 馨(藤原竜也)…今は亡き聡と、清美との間の息子。父のピアノの才能を引き継いでおり、母の期待にも応えたいが、徹にはどうしても勝てないものを感じている。 ◆真中 徹(徳山秀典)…素直で母想い。ピアノの才能がある。自分の父親が誰かは知らない。 ◆広田清美(南果歩)…高校時代にその天才的な才能に惹かれ聡と結婚するが、聡は自分ではなく良美を愛していたと以前から思っており、良美や徹のピアノの才能に常に嫉妬している。父の才能を引き継いだ息子(馨)を聡とダブらせ、その才能を愛する。 ◆真中良美(手塚理美)…高校時代は聡に恋愛感情を持つが、すぐに諦めていた。”慈愛”で愛した勤との間にできた徹の母親。 ◆広田 勤(永島敏行)…聡の兄。天才の弟との才能を比べられてきたことで苦悩の人生を過ごしてきた。徹の父親であり、久しぶりにその姿を見せるが…。 ◆広田 聡…天才ピアニストだった。活発な良美ではなく、自分とは逆で平凡な清美を愛するが、妻・清美から常にあった良美への嫉妬が原因で、妻から愛されているとは思えないまま病死。 ■馨と清美の親子愛... ふみ> 馨は自分を犠牲にしててまで母親の愛情や期待に応えようとしたけど、その姿に感情移入できますか?私はできません(笑)息子のピアノの才能だけを盲目的に愛した母親の代償って考えていいんでしょうか? taki> 盲目的ですか・・・。むしろ、自分の子供を使った「代理戦争」って気がしたんですが・・・。そうすると、直接的な「憎しみ」ではなく子どもをもっとも愛しているように見えるし、思えると思うんですよ。それが、母親の行き場のない「愛されたかった欲望」を示しているような・・・。 ふみ> 代理戦争…確かに、清美は広田聡の息子だと思っていた徹に負けたくない気持ちは強かったでしょうね。それは6話のテーマ(?)の嫉妬にも繋がっていきますよね? ふみ> 直接的な「憎しみ」ではないって、直接的には良美や徹を憎まずに、子供を愛すことで、そしてその才能を世間に認めさせることで、自分の方が愛されていると思いたかったってことですか? taki> 「復讐」じゃないですかね?もう死んでしまった広田聡にはどうすることもできないし。清美は「本当に愛していたのは、私じゃなく良美だ」と思っていたら、息子の音楽で勝ちたかった、じゃないでしょうか?それを「愛された証明」と思いたかったのかもしれませんね・・・。 ふみ> なるほどー。復讐。。嫉妬心からくる復讐ですよね。じゃあ馨が父のような天才ピアニストの道を歩むよりも、コンクールでとにかく徹を負かすことの方が清美にとっては重要だったってことなんですねー。 ■ライバル心? KOJI> このドラマの第6話に限らず女性は友人より常に幸せでいたいという気持ちが心のどこかにあるのではないでしょうか? 水深二尋> それはあると思いますね。友人の幸せを願いながらも自分は更に幸せでいたい、それをまた目に見える形でも表したい・・・と。 KOJI> だからこの第6話はそれをだいぶ誇張した形で「友人に勝ちたい!」という気持ちを表現したのではないでしょうか。もちろん男もライバルに勝ちたいという気持ちがあり、それは馨が手を引き裂くという行為までしたことであらわされています。 ふみ> ライバルや友人に勝ちたい!という感情よりも、この話に関してはそれぞれの愛情が複雑に絡んでたような気が私はしました…。馨はライバルである徹にただ勝ちたいというよりも、勝つことで母の期待や愛情に応えたい気持ちの方が強かったのでは?ピアノをやっていたのもただ母のためであって、本当は野球をやりたかったんですからね。 櫂> 清美が馨が勝つことにこだわっていたのは、馨こそ聡の才能の正統な継承者であるということを確かめたかった=自分の息子が愛する人の才能を受け継いでいるということは、すなわち最も愛されていたことの証明だ!と考えたからではないでしょうか? ■嫉妬と猜疑心 櫂> 「嫉妬」の裏テーマとして「猜疑心」というものがこの6話の中にひそんでいてそれが第5話のテーマとも密接にかかわっているような気がします。清美の愛も「猜疑心」があるがゆえに野島伸司の手によって優しく否定されます。「それは愛ではない!」と。ふみ> なるほど。猜疑心の元ですけど、やっぱり清美は高校時代から今まで、自分の中で良美と聡の仲は壊せないってどこかで感じてたからなんでしょうね?ラブレターを渡さないことで二人の仲を妨害したつもりだったけど、それが原因で自分の勘違いから生まれた嫉妬、そして猜疑心が永遠と続いていた、と。 taki> 聡からの愛、良美からの友愛とでも言いますか、それらを信じたくも疑ってしまって、愛されていた証明を得るために馨をピアノに駆り立てたと思いますね。母親の愛情に答えたかった馨、その母親の清美の愛情と思えたものは「聡に愛されていなかった悲しみ」なのに馨は命まで掛けたその愛情と思っていたものは、愛情ではなかったのに息子への愛情をかけてやらなかった清美には悲劇が待っていた。それが親子愛ではなかったことを言いたかったんでしょうね。水深二尋> 清美は悲しい人ですよね。聡が生きていれば嫉妬や猜疑心をいつかは無くせたかもしれない。もっと長い時間共に過ごせば彼の愛に気付くことぐらいはできたかもしれませんよね。 ■比較する心と独占欲 櫂> 聡と勤。馨と徹。清美と良美。2人づつの構成が目をひきますね。かならずどちらかがどちらかを嫉妬し、ライバル視している二組の親子。相手と自分を比べることによって悲劇はさらに拡大してゆきます。才能をくらべ、愛情の強さをくらべ...かかわりあう人のすべてに不幸を招いて行きます。 KOJI> つまりは人と比べてしまった、というところにもう愛は無かったのだと思います。自分は良実より上か下か?そう考えてしまった清美は、ある意味、以前の回で述べられた「疑わないこと」ができなかった。清美には…愛は無かった。そう思います。 櫂> さまざまな愛の形が表出するのは、「愛に見えるが、これは愛とは呼べない」そういう具体的なパターンを片っ端から野島さんが挙げているからのような気がします。インタビューにもありましたが、まさにこの比べる→嫉妬+猜疑心のパターンも「やはり愛ではない」といっているように感じます。 ふみ> この話においては他人と比べる…ということよりも、独占欲(?)から渡せなかった清美の愚かさみたいなのを描いてるのかなぁ…とも思ったんですけど。 ふみ> 2人づつの構成なんですけど、勝手に嫉妬してライバル視して人間関係をかき回していた(笑)のは清美だけですよね>櫂 櫂> 馨と徹も祐香をめぐってのライバルだったと思いますが...>ふみさん 櫂> 勤も聡の才能に屈し、夢破れた(その昔ライバルだった)関係だと思います。存在が近すぎる故に無視できなかった3組のライバル関係ではないでしょうか? ふみ> 馨と徹に関してはお互い別にライバル視してないかなーというか、この話に関してはそこは重点ではないな?と私は思ったんですが。おそらく徹は馨との勝ち負けにそれほどこだわっていなかっただろうし、馨も母の期待に応えたいがため、だったと思うんですけど。 櫂> 「比較する心」といいましたが、言い方を変えれば「相手へのコンプレックス」ということです。勤はこれのために才能に絶望し流浪の旅にでて、清美は「猜疑心の固まり」となり最愛の人の愛も素直に受け入れることができなかった。馨は肉体を傷つけても「ライバル以上」であることを証明しようとする。 ふみ> 清美から良美への、そして勤から聡へのコンプレックスはあったんでしょうね。 taki> 清美から良美のコンプレックスはあったのかなぁ?わかりませんが。ライバル、比較と言うよりも愛情を獲得するために皆、競ってたんじゃないでしょうか?始めに馨と徹は由香を、清美と良美は聡を。つまり前提が違うので、ライバルとか比べたとかは違う質のものと言えると思いますね。だから、話の最後には母親、息子同士も和解してますから。 ふみ> あぁそれは同感です>愛情を獲得するために皆、競ってた ■一通の手紙の悲劇 ふみ> 最後教授が言ってた「一通の手紙の悲劇」というのに注目したいんですけど、これがなければ(ちゃんと渡してれば)、広田聡はもともと平凡な清美が好きだったわけだし、別にその後の関係も問題はなかったと思いませんか? 櫂> そうですね。ふみさんの言うように「手紙」がすべての引き金ですよね。あれが清美の取り返しのつかないトラウマになっていると思います。 taki> 「一通の手紙の悲劇」は発端にしか過ぎないと思うんですよね。では、清美の手紙を携えて良美が行って渡してたら、付き合いはうまく行っても良美があきらめられなかったのなら、ストーリー上はさほど変わりのない展開だったかもしれません。また手紙を渡さなくてもそうじゃないかなと。 ゆうすけ> 私はふみさんのいうふたつのコンプレックスというか、憧れはあったと思います。ただこの話について私がもっとも感じたことは、良美も勤も現実から、逃げてしまった。その思想や行動が4人のそして子供たちの間に大きな壁を作ってしまったことが淋しい。 櫂> 取り返しのつかない罪=「一枚の手紙の悲劇」としたらずいぶん救いのない描き方をされているなぁ...と思いました。 ■去ってしまった勤 ゆうすけ> ところでみなさん、勤が最後の場面で言っていた『また楽しかった頃を思い出したら必ず戻ります』の発言に関してどう思われますか? ふみ> 勤はよく分からないですねー。聡の死後もまだ劣等感が残ってたってことかな?それとも、自分の息子の演奏に聡とダブるものを感じてまた逃げたくなったとか(^ ^; taki> 勤に関しては自分を取り戻したい思いが強くあって、それが出来ないことにはうまく生きていけないのでしょう。アイデンティティの獲得とでも言うんでしょうか。「ピアノを忘れるまでは地獄だった」といったようなセリフもありましたし。それが、名乗らなくて息子を傍で見守る(酒場の客として)ことで平穏を徐々に得れてきたのかもしれません。が、その才能が聡を彷彿とさせた。自分だけ才能に恵まれなかったことを受け入れるには、まだまだ時間がいるんじゃないでしょうか…。 ふみ> そっかー。やっぱり徹のピアノの才能が聡とダブったと考えていいですよね。勤は自分の拠り所、アイデンティティが確立されていれば、自分の息子のピアノ演奏によって左右されることもないですよね。勤は良美を愛すことはできないのかな?(^^; taki> あ、するどい。そうか、そのこと全然考えてなかった。(笑)<勤は良美を愛すことはできないのかな? taki> うーん、かぎりなく本物に近いイミテーション、にはなるでしょうね・・・。でも、それを「所詮そんなもの」と言い切る悲しい見方よりも、良美が勉に追いすがって止めていないことにより、見守る愛に限りなく近づいている、と見たいですよね・・・。 りい> 多分、勤もそれなりに評価されたピアニストだったんじゃないでしょうか?苦悩してたってことは戦えるくらいの実力差だったってことでしょ。まあその僅差が埋められない溝なんだろうけど。 ゆうすけ> つまり勤は実はまだピアノを忘れきれていないということですね? りい> 勤は聡に負けて絶望しただけじゃなくって,勝てないと思いこんで聡と競い合うのをあきらめたんじゃないかなと思うんだけど。勤も「おれはおれじゃあーー!!!」と叫べればよかったんだろうけど、それができるかどうかってところにコンプレックスとか愛される(受け入れてもらえる)自信とかが関係するんでしょうね.勤はピアノがうまい自分以外の自分の可能性や美点に目が行ってなくて,「ピアニストとしての自分」以外の自己認識はなかったんじゃないでしょうか.だからそこで勝てないと自分自身全体を否定されてしまったように感じたんだと思います。 taki> 勤はピアニストというアイデンティティを持っていたんでしょうね。しかし、そうなると、それほど絶望するほど、勉にも才能があったってことにもなるんですよねぇ・・・。>りい ■慈愛と才能への愛 ゆうすけ> 愛を愛に変えることは不可能なのでしょうか?それから私が第六話の最初から感じていることなのですが、清美も良美も聡自身を愛していたのではなく、聡の才能を愛していた・・・これ自体愛と呼べるものなのだろうか?話の過程でコトが色々と進み最後に結論として『疑心があるから愛ではない』とあるが、私は手紙問題以前にこの三角関係には愛は無かったと思います。 ふみ> 「才能があれば愛されるのか?」「才能ある人物に惹かれるのか?」っていうことですよね。それは最初に教授がDNAの働きとして説明してたけど、最終的には否定してる、、?というか、物語自体はそこに焦点が置かれてないかなぁと思いました>ゆうすけ 櫂> >慈愛を愛に変えることは不可能なのでしょうか?僕は可能と思います。というか「慈愛」が一番野島伸司のいう「愛」に近い気がしますね。それとは逆に「自己愛」に対してはものすごく否定的に感じます。 ふみ> え、どうしてですか?>「慈愛」が一番野島伸司のいう「愛」に近い母性愛の肯定は野島ドラマに多いですよね。 櫂> 慈愛が一番「愛」に近いと思うのは、母性愛に通じている気がするからでしょうか。なんとなく母性愛=無償の愛という感じで純粋性がもっとも高い愛情の気がするのです。(見返りを求めない愛とでもいいますか) taki> 野島ドラマでは「母性愛」を肯定していますが、「慈愛」というのはもっと広義なニュアンスになってくるので。男女間の恋愛の「愛」からストーリーはアプローチしてることを考えると「慈愛」と言う言葉は論点がずれちゃうことになりそうですねぇ・・・・。とゆーか、それならばどんな不可解な状態でも納得できる、って言葉のような・・・。 櫂> 男女の愛が不純だというわけではないのですが、そこに「性」が存在する以上「性」的興味がなくなってからじゃないと純粋な愛とは呼べない場合が多いということを言ってますね taki> 慈愛がすべてを受け入れ、許すものならば、「性的興味」(まあ、性欲ですね)や不純なものを切り捨てて純粋にならなくてはいけないってのはなんか、矛盾してしまいませんか?純粋ってのはあんまりいいものだとは思えないし、純粋でなければ慈愛を受け、持ち得ないことにはならないとおもうんですよ。人を愛するのは、その人のすべてを受け入れるってことだろうし、人を愛するのは純粋な人じゃないとダメってことになりませんかね?>櫂 櫂> 慈愛に関してではなく「男女の愛って〜」という出だしで言ったと思いますが。僕も矛盾していると思います。いいたかったのは、「性的な興味がある間(恋愛の間)はホントの愛の感情がわかりずらいのでしょうか?」 という意味です。 ふみ> 性欲を考え出すと極論的になっちゃいますよね(^^;。「世紀末の詩」は全体に性欲から離れて考えてると思うんですけど。だから6話でDNAをモチーフとしたのも、あくまで道具としてっていう感じですよね。 taki> 性的吸引力によって愛があっても見失ってしまうことはあると思うし、男女間の相違や年代の違いもあると思いますが、それらを全部ひっくるめて惑わされる事柄を凌駕して存在する愛は・・・・。あるのかなぁ? ■ラストで馨は? りい> 6話のラストで馨は死んだのでしょうか?もし彼が死んだとすると、それこそ徹や清美のトラウマになるんじゃないでしょうか?それが教授の言う罰なのかな? ふみ> 私は死んだと思ってますけど>馨 ふみ> 徹は別に関係ないのでは?清美は確かに自業自得ですよね。 taki> 馨は死んでないと思いますよ。清美への罰であって、罪とまで行かないと思ってますから、贖罪として描かれてないと思うんですよね。清美と良美の和解の清算なのかもしれませんね。最後の馨の死んだのか死んでないのかも、見る者に罪ほど悪いことか、罰程度のものなのか、問いかけたラストだったのかもしれません。(ごーいんでしょうか?笑) 櫂> 僕も馨は死んでないと思います。失血でショックで倒れた感じですよね。「恋はアルバムにはさめるもの。でも愛は違う。愛は悲しみも刻み込む。お互いの心にキズを残す。どちらかが死ぬまで思い出には出来ない」教授のセリフが印象的です。 ふみ> そっかー。馨は死んだものと思ってた(^^;まぁそれは視聴者の判断に任せるって感じなんでしょうね。 ■5話のまとめ感想... ゆうすけ> 私は第六話のラストは死ではないと思っています。ただ個人的な解釈ですが、手を切った事で、神経など障害が出るので、前のようにはピアノが弾けなくなるというニュアンスを感じます。つまり死んではいないがそれに匹敵する悲劇が罰として下されたのではと思いますよ。そして更に私の希望としてはこの先清美に息子のピアノの才能ではなく、他の部分も愛して欲しいと思います! 櫂> 物語は悲劇的な終わり方をしますが、そのあとはたぶん清美も反省してハッピーエンドに向っていく気がします。馨はピアノはもうひけない(ひく必要がない?)と思うけど。 KOJI> 結局、清美にも良美にも聡への愛はなかったのだと思います。このストーリーに愛は無く、同情によって馨は清美を、良美は勤を想った。徹はそれを、そっと見つめていた…という感じでしょうか。 taki> 皆が何かの「証」を求めてるようなストーリーのように感じました。それが複雑な人間関係のベースになっているんですが、その中に愛が存在しなかった事が悲惨な結末を迎えてしまったのでしょうね。唯一の救いは清見と良美が和解し、もう少しで勤が自分を取り戻せそうな気配が伺えたことでしょう。 ふみ> 「一通の手紙の不幸」というのがよく実感できました。やっぱり人間、素直さが大切なんでしょうかね。個人的には現実逃避してしまった勤が気になりました。アイデンティティを模索して、その為には死をも恐れない人物って野島ドラマに多いけど、逃避しちゃう人って少ないと思うので。母のために命を賭けた馨は美しくもあり、哀しかったです。
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