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野島氏との出会いと初期作について(大多亮元プロデューサーのコメント)

「101回目のプロポーズ/角川文庫」の巻末から抜粋
※1992年当時の大多亮氏のコメントです。主に初期作について触れられています。


野島伸司さんと初めて会ったのは、フジテレビ近くの喫茶店でもう4年前のことになる。 題2回のフジテレビヤングシナリオ大賞に、彼は「時には母のない子のように」という作品を応募していて、この作品が大賞を受賞した時だ。

「どこでシナリオを勉強したの?」と聞くと、彼は「山田太一さんのシナリオ集をリライトしたり、判一彦さんのシナリオ教室に通っていた」という。 「じゃあ、今後どんな作品を書きたいと思ってる?」とたずねると、「とにかく、ホットで多くの人々の共感を得るようなものを書きたい。 僕は決してクールな人間じゃありませんから」と答えた。

その時の、野島さんの口をついて出てくるドラマへの熱い想いに、僕はものすごく触発されたのを覚えている。 後で聞いたことだが、その日彼はフジテレビから自宅の恵比寿まで帰る電車賃がなく新宿から歩いて帰ったという。 それほど、彼は当時貧乏だった。

野島伸司さんは、新潟生まれの浦和育ちで、埼玉県内の優秀な進学校から中央大学法学部に入学したエリートである。 しかし学生時代、アルバイト先のディスコなどで知り合った仲間達といつも一緒にいるうちに、大学の勉強とやらに嫌気がさしたのか中退。 その後、いくつかのバイトを転々としながらその日暮らしを続けていたらしい。

「詐欺まがいの電話による訪問販売なんかもしたし、東北地方の製缶工場にまで行って出稼ぎみたいなこともしていました。 今でも、その工場が出すカーン、カーンという恐ろしい音が忘れられませんね」という。

そんな生活の中で、彼は山田太一さんの作品などに出会い「いつかシナリオを書いてやる。自分には、必ずその才能があるはずだ」と思っていたというから、大したものだ。

さて、なぜ僕が野島さんの履歴書みたいなことを書くかといえば、こうした生活環境が彼の作品に多大な影響を与えているからに他ならない。 彼の生活信条であり、作品を貫いているテーマは「清貧」という言葉だ。 今どき、清く貧しく美しく・・・・・ということ自体、成立しにくい世の中だからこそ、彼のこのテーマは鮮烈だった。

「101回目のプロポーズ」の星野達郎が、最後には工事現場のおじさんにまでなってしまうのは、その象徴といっていいだろう。

「君が嘘をついた」の三上博史扮する日高涼という主人公は、しがない団子屋のサラリーマンだったし、「愛しあってるかい!」の陣内孝則が演じた、日色一平という男は、地方出身でいつも金がなくピーピーいっている貧乏教師だ。

また「すてきな片思い」の中山美穂は、海苔屋に勤める、いってみれば安月給のOL、「愛という名のもとに」の鈴木保奈美も、片親で母と妹と共に狭い公団アパートに住む、決して贅沢ではない主人公になっていた。

このように、野島作品における主役は必ず貧乏であり、そのハンデを乗り越えて大きな成功、または幸福をつかむ構造となっている。 これはまぎれもなく「清貧」という彼自身のテーマをそれぞれの主人公を通して力強く描いているからだ。 だから妙にすかして金持ちぶっている奴、汚れた大人達を嫌い、そうした人間を駆逐することで、彼の作品の爽快感は高まり、「清貧」に生きた人間に視聴者は感動し、涙する。

実際に、野島さん本人の生き方も今と昔と大きく変わっていない。 これだけの売れっ子でありながらベンツを乗り回すわけでもなく、超高級マンションに住むわけでもなく、ゴルフもやらず、取材も受けず、文化人とやらになろうともしない。 「僕は、脚本一本で勝負したい」という、彼の姿勢には本当に敬服させられる。

===中略===

特に野島さんの、一人でも多くの人に見てもらいたいという情熱、執念は言葉では言い表せないくらいだ。 僕はそんな彼が大好きだし、一本でも多く彼の作品をプロデュースしたいと願っている。

なぜなら、野島さんは今後も「清貧」なドラマで、日本中の人達を大きな感動の中に包み込んでゆくに違いないから。 そして僕自身、「清貧」であり続ける野島作品に心から共感しているからである。


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