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森田童子CDアルバム寄稿文

1993年発売のCDアルバム「僕たちの失敗―森田童子ベストコレクション(WARNER MUSIC JAPAN)」の歌詞カードに掲載されている野島氏の寄稿文です。


高校時代の友人に神山というヤツがいた。 真夏でも真っ赤なマフラーを首にしめていた彼は、長身でとても涼しい目をした秀才だった。 勉強などしてる所を見た事もなかったが、常に学年トップの成績を維持していた。

笑うと少し皮肉屋っぽく見える彼が、ある日僕に、「森田童子のライブに行こう」と誘った。 浦和の高校から僕たちは電車に乗り、新宿のロフトという地下のライブハウスに潜っていった。

今(※1993年)から12年くらい前の話で、僕達の世代には存在しない、時折社会科の教師が熱っぽく語る学生運動の頃、その時代の歌を歌っている、そんな事を道すがら彼は例の皮肉笑いを浮かべて話してくれた。

感動も痛みも絶望も知らない僕らの世代に、ただ潜在的に吐き出したい何かを、暗い照明の中、彼女の舌足らずな透き通るような声が、店の一番後ろの壁に寄り掛かって立っていた僕の涙腺をこわした。 神山は珍しく笑ったりせずに、僕の反応を黙って見ていたように思う。

その次の日の朝、通学路の途中で彼は口から泡を吹いて癲癇(てんかん)で倒れていた。 遠目にあの赤いマフラーが血のように見えたが、後で聞くと、「あれで唾を拭くんだ」と缶ビールをうがいをするように喉でガラガラさせて彼は笑った。

いつしか僕は脚本家という職業を持ち、卒業してから彼と会う事もなくなったが、「高校教師」というドラマで「森田童子」の曲を使ったのは、初めて見せた神山の弱点に僕が感じた、10年以上も前の自分の、歪んだ虚栄心を吐き出したい衝動だったのかもしれない。


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