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考察BBS

「スワンレイク」過去ログ [2002/12〜2003/08]



  1. 「スワンレイク」について(ネタバレあり) (90)
  2. 精読 スワンレイク(ネタバレあり) (71)


「スワンレイク」について(ネタバレあり)

[1] 投稿者:ふみ - 2002/12/12(Thu) 21:26 No.770  

(書き直し)
野島氏初小説「スワンレイク」に関しての読後の感想やラストシーンの解釈、疑問点、ちょっと気になったところなどがあればこちらにどうぞ。
もちろん新しくスレッドを作ってもらってもかまいません。

スワンレイク / 野島伸司 著 (幻冬舎 \1,400)

[2] 投稿者:nori - 2002/12/12(Thu) 21:51 No.772  

わたくしは一気に読み終えてしまったのですが、今まで野島氏がTVドラマの中で禁じ手とされてきたことから解き放たれ小説ならではの表現に尽くした物です。
小説のなかでは五人の象徴的キャラクターが最終的に究極の愛を表現していく。

ただいま二回目を読んでいます。
するめのように読み込みの度合いによって味のます作品です。
野島氏の場合詩集でもシナリオでも亜流が出るほどシンプルな表現ですが、その下地にこれほどの文章構築の裏付けがあったのですね。

[3] 投稿者:MR.未成年 - 2002/12/12(Thu) 22:38 No.773   HomePage

読み終えました。どんどん引き込まれて
気が付けば一気に読み終えてしまいました。
ミステリーの要素も素晴らしかったですが
最近の右脳ドラマ、現実逃避の為の「夢」を
否定するような「世紀末の詩」〜「美しい人」の頃の
究極的な思想、リアリズムに満ちた物語。
あたらめて、野島さんの「孤高」を感じました。
きっと野島伸司という人がいなかったら知らなかった「高さ」。
そこまで一瞬でも引き上げてくれた野島さんに感謝します。

[4] 投稿者:滝秀まなと - 2002/12/13(Fri) 11:17 No.774  

>管理人 ふみ様   ありがとうございます。

自分で提案しておきながら、まだ半分までの読了です。
文庫本ではないため持ち歩きができないので、就寝前の一時間ほどの読書です。
ああ、斯くもサラリーマンは悲しき・・・。
いずれにせよ完読後に感じた事を述べてみたいと思います。

[5] 投稿者:ふみ - 2002/12/13(Fri) 23:58 No.775  

ようやく読み終わりました。
とりあえず初小説だから読んでいてすごく興味深かったですが、でもすごく面白いとか衝撃的とかいうのは私はあまりなかったんだけど、
そういうエンターテイメント性というか視聴者を楽しませようという姿勢が良くも悪くもドラマと違って希薄な分、野島さんの精神性や危うさが直接的に表れてるような感じですね。
あと全編を通して映像化が無理なぐらい幻想的というか精神的というか、どっしりとした現実感がないという点では今までの野島ドラマとは一線を画すのかな…。

物語は基本的には感受性が違いすぎる人類への嘆きですかね…。
野島さが普段いらだってるようなこと(?)を遠慮せずに表現しているような。

愛の理論もより選民思想的で、特定の感受性を有する者にしか愛し愛されることはできないと。
この世でバランスを取って生きれてしまう人にはスワンレイクには辿り着けないということですねー。
安住した生活や子育てなんかを優先してしまうようでは生命のサイクルに組み込まれていくだけだと。
これには反感を持つ人が多いように思いますが。。

それで純粋な二人は結局、幻想の中で愛に辿り着いた(?)んだけど、論理的な展開だった世紀末の詩とかとはちょっと違って、スワンレイクの愛は選民的・幻想的・精神的な感じが強いな?と私は思いました。
でも1回読んだだけじゃよく分からなかったのでまた読んでみます。

あと最近の右脳ドラマでどうなっちゃうのかな?と思ってたけど、より深い世界を垣間見れたのは嬉しかったです。
来年の「高校教師」により期待が高まります。ちなみに高校教師のテーマは依存ってことみたいですが、スワンレイクでは(手紙のやりとりのとこで)依存=愛って感じでしたね。相手がいなくても生きていけるなら、愛はひとつのオプションに過ぎないと。

----------------
(追記)
↑これは読後すぐの雑感です。
その後スワンレイクの愛について考えたので、興味のある方はこちらも参考にして下さい。
http://www.alived.com/blue/write/text04.html

[6] 投稿者:滝秀まなと - 2002/12/14(Sat) 09:32 No.776  

>管理人 ふみ様

先に感想拝見させていただきました。
実は週末の楽しみに最後の20〜30ページほどまだ未読のままです。
私もあなたとほぼ同様の感想なのですが、興味深い寸評を提示するつもりです。このサイトにいい話題の資料となる自信はそれほどありませんが、面白いものを提供したいと考えています。

[7] 投稿者:tk - 2002/12/14(Sat) 16:23 No.777  

最後のほうの展開はいったいどういうことなのでしょうか?
ネタばれです。少しだけ具体的に書くので、まだの人は見ないほうがいいです。
誰か、そこだけ考えを聞かせてくれませんか?
全部あの人の頭の中のお話っていうことですか?
どこまでが現実だったとかってあるんでしょうか?
とにかく、子供がいて、その子供は救急車で運ばれたけど生きているのか死んでいるのか不明でそれでショックで病院・・・?全部あの人一人の妄想の中の話?
読み終わってからすごく気になってます。

[8] 投稿者:hiro - 2002/12/14(Sat) 18:06 No.778  

「スワンレイク」読み終えました。
僕は正直、“期待してたほど…”って感じでした。この作品が第一章と第2章にわかれている意味はなんとなくわかりました。ただ後半にすれて、“登場人物”も減り実に淡々と語られていってるなぁという印象でした。もっと紆余曲折があるのかと…。そういう意味では映像化には向かないのではないでしょうか?出来れば誰か1人に感情移入したかったんだけど難しかったですね。でも、いつも通りに何か自分なりの感想をもっと表現したいなぁとは思わせてくれました。だから再び読み始めようと思います。

[9] 投稿者:nori - 2002/12/14(Sat) 20:36 No.779  

>t kさま
最後の人物は母親とイメージがだぶっていますが、保科カオルなのですよ。
話は全て現実。
五つのキャラクターを分裂病(統合失調症)と見抜き、自らもそのバランスを失ったのです。

>管理人 ふみさま
選民思想というのはどうでしょう、愛にたどり着いた者だけが選ばれし者といえるのでしょうか。


[10] 投稿者:ふみ - 2002/12/14(Sat) 22:07 No.780  

最後難しいですね。
とりあえず現時点での私の解釈を書いておきます。

首を絞めたのはカオルが生んだ自分の子供(夢じゃなくて現実)。
なぜそんなことをしたのかは、これは微妙ですが、キャトルの思想に触れたせいで生命のサイクルに従って普通に子育てして生きることがもはやできなくなったから??

それで最後の病院のシーンでは、カオルはモラル・欲望・自意識から開放されていてスワンレイクにたどり着く資格があるように思うんだけど、
カオルはキャトルが自分を殺してスワンレイクに連れて行ってくれるように感じているけどそれは妄想で、看護婦が安定剤を打っているだけ。
スワンレイクに辿り着くこともできずに、日々妄想を繰り返すカオル。

(この解釈で合ってるとしたら)それって一体何を象徴しているんでしょうか?
カオルはスワンレイクに近いと言えるんだけど、それでも限界を超えなければ無理とか…??
このラストシーンに限らず、皆さんの解釈を聞きたいです。

> 選民思想というのはどうでしょう、愛にたどり着いた者だけが選ばれし者といえるのでしょうか。

いや…とりあえずこの物語の核としてスワンレイクという特定の感受性(というかミニマルな愛)を有する者だけのコミューンという概念がありますよね。
ドラマでも誰もが愛には辿り着けないということを言ってきてはいたけど、小説だから遠慮せずにより強調されてるなぁという印象を言ったんです。
やっぱり価値観・感受性の違いはどうにもならないという諦めを強く感じるというか。
別に野島さんのそんな思想を非難してるわけじゃないんですが。

> 滝秀まなとさん
> 興味深い寸評を提示するつもりです

それは楽しみにしてます

[11] 投稿者:MR.未成年 - 2002/12/15(Sun) 07:52 No.781   HomePage

最後の解釈、僕も書いておきます。

僕もやっぱりふみさんの言うとおり、カオルは自分の
子供を殺してしまったんだと思います。マサハルと
自分の間にあったのは「愛」ではなかった。
そして、憎むべき柳井の子供を育てていた。
そんな生活の中で壊れてしまったんだと思います。
そして、壊れた中でただ「愛」を求めるようになった。
病院で、妄想の中で。解釈としては、壊れるほどの心を
限界へ持っていってもそれでも「愛」には辿り着けない。
何かを減らしていくのは難かしくて、カオルはまだ
他の思想が残っている。キャトルのように
ただそれしかないような状態でなければ「愛」には
辿り着けない。それほど、難しいのかなと。

それと救急車=イチゴののったショートケーキの車というのは
「SOS」でも使われた比喩ですけど、今回は悲劇の
象徴として使われてますね。ちなみにキャトル達は
幼児虐待による解離性同一性障害、一般に言われる多重人格で
生まれた人格達。ただ、全員が究極的だった。アン・
ドゥ・トロワは森田童子さんの「ラスト・ワルツ」に
un deux troisという歌詞があるので
ワルツの踊り方から付けられたんでしょうか?
あとララというのは詩集1の冒頭にこんな言葉がありますね。

ララに捧げる

[12] 投稿者:tk - 2002/12/16(Mon) 14:37 No.782  

答えてくださりありがとうございました.
ぱらぱらと読み返してみたんですけど、ぜんぜん考えがまとまりません。やっぱり最後難しいです。
 アン、ドゥ、トロワ、キャトル、サンクのような人格(?)は誰の中にもあるような気がしますが、その中の一つが消滅してしまったりすることが現実にあるんだろうかと考え込んでしまいました。そうだとしたら、復活することはないのかなとか。ドゥとトロワだけになってしまった人は救いようがないのか・・・。
まだ疑問がいくつもあるんですが、皆さんの解釈がここに書き込まれるのを見たり、読み返したりして、自分で勝手に解釈していこうと思います。

[13] 投稿者:TOMOZO - 2002/12/16(Mon) 22:30 No.783  

『スワンレイク』、僕は、個人的に最高でした。
(チョット、見る視点がいわゆる“読者”というのとは
違う事もあると思うんですが)
この感慨を、あんま容易く言葉にも出来ないし、
するつもりもない、そんな感じです。
少なくとも、今は。

とりあえず、内なるサバイバルに勝ったのが“悪意”で、
最後に残ったのが、“無垢”って所が、
“あぁー、野島さん……”って感じでにんまりッス(笑)

[14] 投稿者:nori - 2002/12/16(Mon) 23:13 No.784  

アン ドゥ トロワ キャトル サンク これらの究極的なキャラクターの発症は、歴史上に見れば多くの人を煽動し戦争をおこした人物や、また現在でも猟奇的な犯罪を犯し精神鑑定を受けている者や、マインドコントロールされて誤った精神世界にシンクロし大量殺人を行った集団に近いものを見ることができます。
小説の中ではそれが一番分かりやすい形で描かれていたのでしょう。
しかし彼等が真のスワンレイクにたどり着いたとは思いません、そのための答えは、ララという存在や彼女がいまわの際にスワンレイクの底で手に入れた鍵のメタファーが携帯電話だったこと、柳井に包丁を向けたカオルにはその顔に痣が見えなかったこと、
キャトルが求めていたスピードというキイワードなどに隠されているようですがわたくしにはまだそこをつかめていません。

そこで提案なのですがこの物語はほぼ時系列にそって進んでいますが、最後の部分に至るまでの過程を最初から解析していくというのはどうでしょうそのための別のスレッドがあってもいいじゃないですか。>管理人 ふみさま
滝秀まなとさまの寸評も読みたいですし期待しています。

>MR.未成年さま
フランス語で1から5がアン・・・なのです。
また解離性人格障害と性同一障害とは違います。

>t kさま
答えの解釈をいそがないでくださいね。

[15] 投稿者:ふみ - 2002/12/17(Tue) 00:34 No.785  

時系列での解析とはどんな感じでしょう?
スレッドはテーマ別に好きに立ててもらってかまわないです。
その時は私の考えも書かせてもらいます。

ちなみにネーミングを数字にしたのは元を辿れば、物語中にも何度もオデット姫とか出てきたけどチャイコフスキーの白鳥の湖を意識してでしょうね。
バレエといえばアン・ドゥ・トロワ…ということで。

参考:白鳥の湖
http://www.sun-inet.or.jp/~jui/sinfonia/25-2.htm
http://www.kk.iij4u.or.jp/~takuya/swan.htm
http://www1.odn.ne.jp/tokyocity/hakuchou.htm

[16] 投稿者:nori - 2002/12/17(Tue) 01:46 No.787  

>管理人 ふみさま
新しいスレッド立てさせていただきました、
重箱の隅をつつくようになりますが時間をかけてでも精読と言った形で進めていきたいと思います。
 ただあまり引用し過ぎると版権に触れる恐れが出てきますので、ストップお願いします(わたくしも気をつけますが。)

野島伸司さんの初小説ということで、あらゆる文章構築の裏付けがあると思いますので、精読にもってこいです。
多数御参加下さい、よろしくお願い申し上げます。

[17] 投稿者:りょう - 2002/12/17(Tue) 02:02 No.788  

>noriさん
もちろん解離性人格障害と性同一性障害は違いますが、
MR.未成年さんの言ってるのは、解離性同一性障害(Dissociative Identity Disorder)のことだと思うので、決して間違ってはいないと思います。
アメリカの精神障害診断統計マニュアル(DSM)の第四版から、
多重人格のことをこう呼ぶようにしたみたいで、日本でもどっちかというとこの呼び方が一般的だと思います。
関係ない話題ですみませんが、気になったので一応。
でも本当に心の病気の診断名ってややこしくて紛らわしいですよね。

スワンレイク、難しいですね。今2回目を読んでいるところです。
みなさんの解釈を楽しみにしてます。

[18] 投稿者:nori - 2002/12/17(Tue) 02:35 No.789  

>MR.未成年さま
充分に裏付けを取っていない訂正をしてしまい申し訳ありませんでした。どうかお許し下さい。

>りょうさま
ご指摘ありがとうございました、そこでお尋ねしたいことがあるのですが、現在、統合失調症と呼ばれている以前の精神分裂病のことを知人の精神科医に聞いたところ簡単に、自分と自分以外のものとの境目が分からなくなる病気と言いました。
 カオルは最後の方で分裂病の精神鑑定結果を出そうとやっきになりますが交代人格との関連性について知っている限りでお答え下さいよろしくお願いいたします。

[19] 投稿者:MR.未成年 - 2002/12/17(Tue) 09:09 No.790   HomePage

>noriさん

いいえ、気にしないで下さい。
本当に精神病の病名はややこしいので・・・(^^ゞ

[20] 投稿者:りょう - 2002/12/17(Tue) 13:56 No.791  

実は、僕は精神医学ではなく心理学を専攻していて、
しかもたかが大学生なので、偉そうに書ける立場ではないのですが(笑)、一応僕の考えを書いておきます。
あの、間違ってるかもしれないんで、話半分に読んでください。


基本的に精神分裂病(統合失調症)と解離性同一性障害は違う病気です。
『精神分裂病』は、「情動・思考と行為の統合の破綻が特徴的で、妄想(歪んでいるか現実性のない信念)や幻覚(知覚異常)が頻繁に現れて、現実と非現実の区別があいまいになる」病気です。
『解離性同一性障害』は、いわゆる多重人格というもので、
解離(ある意識状態から別の意識状態に無意識に移行し、普段の自分と違う心理・意識状態になること)によって、
同一性(アイデンティティ)・記憶・意識のさまざまな側面を統合できなくなる病気です。

うーん、ややこしい・・・・
しかしながら、両者にはそれぞれ様々な症状があるのですが、その中に似た症状があるために、誤診をされることはあるそうです。

スワンレイクに話を戻すと、精神分裂病で交代人格が現れることはないので、恐らく、彼に精神分裂病という診断名がつくことはないと思います。
しかし、彼が言っていることを「自分の中にドゥやトロワという奴がいてそいつが殺させたんだ」といった『妄想』と捉えれば、精神分裂病と捉えることもできますが、それは無理矢理な気がします(笑)

ではなぜカオルが、312ページにあるように、
サンクの命を救うために(解離性同一性障害ではなく)分裂病であるという証明を提示しようとしたのかというと、それはたぶん、確実に彼の命を救いたかったからだと思います。
なぜなら、今の司法では、精神分裂病による妄想によって犯罪を犯した場合、犯罪の動機自体が『症状』なので、心神喪失が認められやすいそうです。
逆に解離性同一性障害は、「部分的な機能停止があっても機能自体は損なわれておらず、患者の判断の責任を問われやすい」そうです。
だからこそ、あえて分裂病を証明しようとしたのではないでしょうか。


[21] 投稿者:nori - 2002/12/17(Tue) 20:38 No.792  

>りょうさま
分かりやすく説明して下さってありがとうございます。
精神病理学は奥が深いですし、わたくしはまだその入り口をかじりかけているところですが身近なところでストレスや、また新聞を見るとドメスティック・バイオレンスなどが原因で一般の生活をしている人でもふとした弾みで簡単にバランスをくずしてしまうこともあるようです。

別のスレッドで精読を始めていますが(まだ1ページ目ですが)一応ここでは総論として、子供と母性との関わり合いが引き金となっているのではないかと感じています。

1ページごと進む各論にもどうか参加お願いいたします。

[22] 投稿者:ふみ - 2002/12/17(Tue) 23:52 No.793  

じっくり読んでた2回目を読み終わりました。
最初読んだ時は意味不明に近かったことが、2回目は謎を知ってるだけあって結構よく分かりますね。
誤解してたところが多かったような…。
でも相変わらず謎も多いですが。

それでラストシーンの再解釈?です。

カオルの、自分の子供の首を絞めたという行為は肯定されてないんじゃないかなぁと思います。(たぶん子供を殺してはいないと思うけど)
深読みすれば、何も欲しがらないのが愛(→P264)なんだけど
カオルは現実逃避的に愛を欲しがったと言えなくもない。
ラストシーンでマーラーの大地の歌が流れるけど、第九番は限界の象徴。
だから「限界を超えてでも、私は愛にたどり着きたい」というセリフが出るんだけど。。
要するに否定的に描かれてるんじゃないか?という感が私は以前より強くなったけど、まぁよく分からないですね。

>ララという存在や彼女がいまわの際にスワンレイクの底で手に入れた鍵のメタファーが携帯電話だったこと、柳井に包丁を向けたカオルにはその顔に痣が見えなかったこと、
キャトルが求めていたスピードというキイワードなどに隠されているようですがわたくしにはまだそこをつかめていません

最初の2つは私も分からないけど、(P249に載ってますが)スピードは普通に考えればママンを殺すためのスピードですね。
モラルや欲望が邪魔するから、悪意(本当は愛)がママンを殺すのを拒む。邪魔されないスピードを得るために遠大な計画を実行に移したのが第一章だったと…。

[23] 投稿者:∂_∂ - 2002/12/18(Wed) 00:10 No.797  

3度読んでも、まだ解りません。
ただ、名前にこだわると解らないのかな?と。
アン、ドゥ、・・・達が住むバレリーナ(?)の彼の名前は出てきませんし、カオルにしても柳井にしてもフルネームではないですよね。ララもまたしかりで。
で、ほかの被害者(又は加害者)や、バレエの講師だとか言う人たちはフルネーム。
きっとアン・・・・、カオル、柳井は象徴なのでは?
そうすると、なんとなく解りそうな。4回目読みます、今度はじっくり。

[24] 投稿者:ふみ - 2002/12/18(Wed) 00:29 No.798  

カオルは「保科カオル」ですね。P203に出てます。他にもあったかもしれませんが。
柳井が象徴なのかは分からないけど、悪魔・ロットバルトとしての役割ってことなのかなぁ。。
ラストの方でケロイドがなかったのは、その役目を終えたからとか…??

感想も気軽に書いて下さいね〜>皆さん

[25] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 00:31 No.799  

>管理人 ふみさま
精読の方で時間差自己レスしてしまってすみません。

スピードの解釈についてはふみさまのおっしゃる通りでしょう。
また柳井の顔から痣が消えていたのは、それが彼の悪意の象徴だったから。拳銃がドゥの象徴ならP297のあなたは既に消されているという台詞からそうなのでしょう、手術によって痣を消してしまった彼が「そんなもの最初からあるかよ」といったのはなぜ?

[26] 投稿者:ふみ - 2002/12/18(Wed) 00:55 No.800  

あぁなるほどそうですね。P297に載ってました。
じゃあケロイドが消えたのもカオルからあっさり手を引いたのも、カオルに向けられていた悪意(欲望?自意識?)が消えたってなんことでしょうかねぇ…。
だとすればケロイドは象徴だと考えて、手術をしたかどうかってあまり現実的に解釈しない方が分かりやすいのかもしれないですね。

[27] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 01:16 No.802  

悪意(実は愛)が最初からなかったということでしょうか。

[28] 投稿者:ふみ - 2002/12/18(Wed) 01:40 No.803  

> 悪意(実は愛)が最初からなかったということでしょうか。

それは柳井がですか?
キャトルが悪意だと思っていたのは実は愛だった(?)ってことですけど、それは他の人の悪意には当てはまらないんじゃないかと思います。
あと今気づいたんですが、P297によれば柳井は欲望と自意識しかないってことですよね。
その2つが手を組みやすいのはセックスを媒介とした快楽ってP235にあるから、柳井からカオルへの性的欲求が消えると同時にケロイド(自意識)も消えたっていう解釈が良さそうかな?

[29] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 02:12 No.804  

ケロイドは自意識なのでしょうか?
キャトルから既に消えていますと言われたものはむしろアンやサンク、キャトルだったのではないですか。
この時点でケロイドも消えていたのではないでしょうか。

ちなみに本にポストイットが増える!

[30] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 03:16 No.806  

>それは他の人の悪意には当てはまらないんじゃないかと思います。

キャトルは普遍的な悪意の象徴ですから、誰にでもあてはまるのではないでしょうか。

[31] 投稿者:MR.未成年 - 2002/12/18(Wed) 11:36 No.807   HomePage

確認ですけど、キャトルは悪意を司っていると
言いながら、その悪意は「愛」だったんですよね。

>キャトルから既に消えていますと言われたものはむしろアンやサ>ンク、キャトルだったのではないですか。

たぶんそれは人格形成をする時期に消えていて
彼の中に残っているのは、トロワとドゥ、つまり
自意識と欲望だという意味の会話だったと思います。

>キャトルは普遍的な悪意の象徴ですから、誰にでもあてはまるの>ではないでしょうか。

キャトルは実は悪意ではなく、愛の象徴ですから。
ふみさんの言っている他の人の悪意、
一般的に言われる悪意はドゥが死ぬ前に思った
(→P155)一般的な残虐性じゃないかと思います。
そこにトロワ(自意識)が入るとエスカレートする。

[32] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 11:59 No.808  

>たぶんそれは人格形成をする時期

それは小説の中ではいつなのでしょう?
>キャトルは実は悪意ではなく、愛の象徴ですから。

わたくしは究極の状態では「愛=悪意」なのではと読んでいました。
世紀末の詩の中でも愛に一番近い感情レベルは憎しみだと思うと夏夫に言わせていますから。
悪意と憎しみと言う類義語を同じものと考えることは少し危険な感じもしてはいるのですが。

[33] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 13:30 No.810  

P296~P297でトロワには自分の顔をわざと汚すというおよそ自虐的な行為が極限のナルシズムで勇気がなくてそれができないといった内容の表記がありますが、分かりません。
ここが解ければかなり理解も深まるようなのですが。

[34] 投稿者:滝秀まなと - 2002/12/18(Wed) 21:02 No.811  

先週の土曜の夜に完読しました。
私が職務に追われている間に、皆さん大変賑わっているようですね。
以下に記すものはまだ一読だけですが私の頭に浮かんだ刹那の雑感のメモを羅列したものです。(○は読中、●読後)
なお、アカデミックな小説の技法や内容のミクロ的解析などは除外しました。それと最後の解釈がどうしても「千人いれば千通り」となる内容なので、個人的な解釈も述べておくことにします。

○段落に挿入されている詩がドラマでいえばサントラのような役割をになっていること。「ママン」という言葉が、カミュの小説「異邦人」を思わせて鼻についたこと。

○ララの環境がすぐに「聖者の行進」を連想させることのほかにも、詩や手紙、会話の中にも随所に彼の詩集の言葉や表現が使用されていること。

○前半の「柳井」の設定と描き方に"甘さ"を感じること。彼のこれまでの作品でも大人の男性の描き方に今ひとつ実感がわかないこと。ドラマシナリオとは違って小説では読者側に人物を想定させる象徴的なものやセリフが必要で、口癖のように出てくる「ファッキンベイビー」にも閉口する。

○ママンを殺しに行く先が「長野」なのは何故か。作成の過程で母親のいる場所を「長岡」とした後に「長野」に改定したのではないか。病院でかかる音楽も"スワンレイク=チャイコフスキー=交響曲六番「悲愴」(別名「自殺交響曲」)"が想定された後、ブルックナー、マーラーに改定したのではないか。

○忽然と始まる叙事詩的な白いサルの話が18〜19世紀の浪漫派の英詩人たちの作品を想わせ素晴らしいこと。この小説は、この叙事詩を原案として書かれたのではないか。

●これまで書いてきたドラマのために取材・学習してきたことを惜しげもなく駆使していること。いわゆる右脳作業と左脳作業の融合を目論んだが、欲張りすぎの感がになめないこと。

●以前から評価していた彼のプロットに対するロジック能力の高さが初小説を先へと読ませるのに十分であったこと。「世紀末」、「リップ」で彼の哲学・精神の追求はひとつのゴールを見た気がしたが、そこには制限があったため、不完全燃焼なものが小説によってある意味完結したということ。踏み込んでいえば、もうこの手の「イデオロギー・ドラマ」(「左脳ドラマ」と差別化)は書かないのではないかという疑問。

●「GB」が彼の作品のごく初期的な香りがしたのは、この初小説の仕事の代償ではなかったのかという疑念。なお、これから始まる「新・高校教師」において精読者は、彼がやりたいことが具間見えてしまったという懸念。

まぁ、ざっと簡単にこんなところでしょうか・・・。
最後の解釈に移ります。

私はカオルが殺してしまった子供はサンクで、その後精神病院へ入院したカオルが自分の世話をする看護婦にキャトルの幻影を見ている・・・と短絡的に読んでしまいました。すると、こんな解釈も生まれてきます。

キャトル(悪意)はサンク(無垢)によってララ(愛)と出会い、失ってしまった愛(ララ)を求めて、悪意(キャトル)は昇華され去って行く。残されたサンク(無垢)は世間・大衆の攻撃を一手に被ってしまう。ララの手紙を代筆した(偽りの愛を演じた)カオルはキャトル(悪意)に心を奪われ、自らの手によっていとおしいサンク(無垢)を殺してしまう。そして白鳥の湖(真実の愛)を求めて魂はさまよい続ける・・・キャトル(悪意)の幻影とはなれられずに・・・。

皆さんとは違って誠単純で、勝手な解釈をしましたがどうでしょうか? 小説としてはオスカー・ワイルドとヘンリー・ジェイムスを煮て、チャールズ・ディケンズで味を整えた感じでしょうか?
少し誉めすぎですが、ニュアンス的には・・・。

[35] 投稿者:ふみ - 2002/12/18(Wed) 23:20 No.812  

>noriさん

> ケロイドは自意識なのでしょうか?

> P296~P297でトロワには自分の顔をわざと汚すというおよそ自虐的な行為が極限のナルシズムで勇気がなくてそれができないといった内容の表記がありますが、分かりません。

ここでは私は曲解してなくて文章通り受け取ってるんですけど、
P296でトロワ(自意識)は顔を汚したがったとありますよね。そんなマゾ的?な行為が極限のナルシズムだと。
だから柳井のケロイドもナルシズム(自意識=トロワ)の象徴だと私は捉えてます。

> キャトルから既に消えていますと言われたものはむしろアンやサンク、キャトルだったのではないですか。
> この時点でケロイドも消えていたのではないでしょうか。

> >たぶんそれは人格形成をする時期
> それは小説の中ではいつなのでしょう?

私の捉え方としては、ここでキャトルが言ってるのはこの物語の初めから柳井にはアン・サンク・キャトルはなかったということ。
この会話の時点では柳井の自意識(ケロイド)は残っていて、消えたのは時が流れて春になってから(→P312)なんじゃないかと。

>それは他の人の悪意には当てはまらないんじゃないかと思います。
> キャトルは普遍的な悪意の象徴ですから、誰にでもあてはまるのではないでしょうか。

悪意としては誰にでも当てはまります^^;
私が言いたかったのは、キャトルからママンに向けられていた感情は悪意ではなく愛だった?というのがありましたよね(→271)。
それはキャトルが誤解していただけで、他の人の悪意もまたイコール愛にはならないだろうということです。

> わたくしは究極の状態では「愛=悪意」なのではと読んでいました。
> 世紀末の詩の中でも愛に一番近い感情レベルは憎しみだと思うと夏夫に言わせていますから。
> 悪意と憎しみと言う類義語を同じものと考えることは少し危険な感じもしてはいるのですが。

なるほど。
でも私の感覚としては憎しみはドゥに近いかなぁ…。

また何かひっかかるところがあれば書いて下さい。


>滝秀まなとさん

雑感ありがとうございます。
白いサルの話はこの物語を読み解くためのキーポイントでしょうね。
殺したのはサンクというラストの解釈は興味深いです。
でもやっぱり難しいから、人それぞれにならざるをえないのかなぁ。

[36] 投稿者:∂_∂ - 2002/12/18(Wed) 23:48 No.815  

キャトルが長野に殺しに行った母親が入っていた部屋は、502号室。最後にカオルが入っている部屋も502号室。これってただの偶然なんでしょうか。最後の部分はサンクたちの母親の話で、柳井の顔に痣がないのも、柳井ではなくサンクたちの父親だからでは。サンクの巨大スクリーンの様な瞳を通して実の母親とカオルがリンクしてしまった・・・。って、SFですよね、これじゃ・・・。
柳井はトロワとドゥってことですけど、顔にトロワを貼り、ドゥ(拳銃)を持つことで二つを表面に出しているので内在してない。改めてSix(スィス)ってつけたいぐらい別個の人格だと思います。
「自分の顔をわざと汚すというおよそ自虐的な行為が極限のナルシズム」。でも、たまにいませんか?すっごい美しい人なのに変な顔して見せたりする人。それの最たるもの、かなぁ。

[37] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 23:50 No.816  

わたくしにとっては小説の中に出てくる象徴的な言葉は字引きでひくたびにシンプルすぎて余計に多種多様に意味を捉えやすく、創造力ゆたかなふみさまのようにそれを補うことが出来ないのです。わたくしがひねくれているからかな?

しかしレスして下さる方々の解釈を読み込むたびに価値観を変えて受け入れることで昇華できるようです。

野島氏が詩集の中で全ての人の価値観に合わせることができるだろうと語っていらっしゃるように。
よく離婚を経験された方々が価値観の違いでとかおっしゃられているのを聞きますが、価値観は生まれついて決められているものではないと考えます。

ただ小説の最後に関しても様々な解釈が生まれていますがそれは当たり前のことで、ただ確かに誤解だけはしたくは無いししてほしくは無いのです。

[38] 投稿者:∂_∂ - 2002/12/19(Thu) 23:14 No.819  

誤解しないように気をつけたいと思います。

話は変わるんですが、ララの名前の由来はなんだろう?と思い、とりあえず仏語で調べた結果です。
ララという単語は無かったのですが、一番近い音で

ラランティー ralenti スローモーション
ラランティール ralentir 他のスピードを落とす
と出ました。

スピードを求めたキャトルと、スピードを落とすララが引き合ったと言うのもよく出来た偶然だなぁと思ってしまいました。
もし、偶然出ないとしたら、5年前に小説の構想ができてたんでしょうかね・・・・・。


[39] 投稿者:nori - 2002/12/20(Fri) 01:12 No.820  

わたくしは最初に目次にララのテーマを見た時、すぐ ドクトル・ジバゴ のララを思い浮かべましたが。 

[40] 投稿者:ゆい - 2002/12/20(Fri) 03:29 No.822  

私の兄はプロのバレエダンサーで、私自身はバレエの教師をしていますので、バレエの白鳥の湖の物語と絡めて、悪意の象徴という問題について考えてみました。
キャトルは逮捕されるときに黒鳥オディールを踊っていて、舞台の前に現れた柳井に「ああ、わが主、悪魔、ロットバルト様」と言っていますよね、バレエの白鳥の湖の中で、ロットバルトはまさに悪意の象徴といった役で、最後にオデットと王子の真実の愛の力で滅ぼされます。一方、オディールは王子とオデットの仲を裂くためにロットバルトの命令で王子を誘惑するという役で、色々な解釈がありますが、実は王子を愛していたというものがあります。また、通常はオデットとオディールは同じダンサーによって踊られます。
こういうことを踏まえて考えると、柳井が悪意の象徴であり、キャトルは愛の象徴だったという風になりませんか?

[41] 投稿者:∂_∂ - 2002/12/20(Fri) 23:21 No.825  

作家 野島伸司さんの本当の意図に気付きました。でも、それに気付かせてくれたのはは皆さんです。
私は文章が下手ですから、うまく書けないかも知れないし、だらだら長くなってしまいそうですが、ぜひ聞いてほしい。

私の読み終わりの感想は、最後には悲壮感が漂うが、なぜか安堵感がある。という、不思議な感覚でした。
むずかしい。2度読んでも分からない。人の意見にもしっくりこない。
小説に出てくる中心人物の名前に注目しました。中心人物たちがなぜフルネームではないのかと。何か意味があるのではないかと。その時点で書き込みました。するとすぐにふみさんから、保科カオルであると教えていただきました。
そうか。。。それではカオルは象徴化できないので、とりあえず、読者の視点=わたし。ってことにしよう。
それでも、やっぱりしっくりこない。なんて頭がわるいんだろう・・・と悲観しながら、皆さんの書き込みを読み直したりしているときです。

「映像化は無理じゃないでしょうか」等の書き込みがいくつか目に入ってきました。


ふと考えると、私は小説を呼んでいるとき無意識に映像を作り出している。と思ったのです。
それでは出来るだけ、映像を作り出さずに文字だけで、追ってみようと。
すると、私の目の前には文字だけです。ただただ、文字のうみ。象徴化してしまった登場人物がどこにいるのかもわかりません。象徴化できなかったカオル=読者=私がその海をじっと見つめるだけです。はーーっ。・・・・・そのとき突如。ほんとに突如みえたんですよ!!
すると私の少ない脳みそが急に熱くなりました。ひえ〜。です。
そのとき「詩集1の冒頭にララに捧げるってありました」のどなたかの書き込みを思い出し。。。。。またまたひえぇええです。

キャトルはいつもララのことを気にして自分のスピードをララにあわせてくれます。

この小説は5年前から始まった、すーぅごいスケールのでかい小説です。

作家 野島伸司さんが長い歳月をかけて練りに練った小説でした。
どなたかが書いてました。「すべての人の価値観にもあわせられると・・」。本当にそうなんですね。ほんとにどなたの読みも正しいのです。

でもその下には揺ぎ無いテーマがありました。
野島さんはこの小説を映像化することを拒否していました。
映像化すると大切なものが見えてこないからです。

スワンレイクを文字として受け止めると、私にはとても残酷に見えた物語が、急に静かなものに変わりました。映像でなければ、暴力はただの漢字です。
そしてその静謐ともいえる文字の中に中心人物の名前だけが、キーワード、または目次の様に浮き上がって見えました。フルネームの保科カオルはまだ見ているに過ぎません。
あれ???っておもいましたか?

フルネームで無い名前、下の名前や、上の名前だけ。あるいは愛称。それらが文字の海に浮かんでいます。
何かににてませんか?そう、ハンドルネームです。

キャトルは野島さんで、ララはファンの皆さん。

ぶっ飛びました。

スワンレイクはこのカタルシスサイト。表紙の青はまさにそれです。

すっごいおくりものです!!わたし、昨日これにきずいて興奮のあまり眠れませんでした。でも、やっぱりそうでしょう!!

私はいつもここのサイトに来ては書き込まないで帰る野島ファンでしたが、今回∂_∂として書き込みました。傍観者の象徴の目です。そういう方結構いらっしゃると思います。野島さん小説は買ったけどサイトにはこない。ドラマなら見る。とか。
でも傍観者の象徴である∂_∂が代表して今回書き込ませいただきました。ファンはみんな一緒に野島さんの贈り物を受け取ったんです。

きっと野島さんはこのサイトに何度もきているのですね。もしかしたら会話に参加してたりして。。

それにしても管理人ふみさんはじめ、書き込まれた方すごい!!誰も間違った解釈してないのではないですか?

それに、ほんとに・・・・・野島伸司さんってすごすぎ!!天才っているんですね。感動をとおりこしました。

だってここ、インターネット上ですよ。スケールでかすぎっっ!!

しっくりいきましたね。にごりはないです。まんぞく・・・。よかった。

そして、ヒントをいくつもいくつもありがとうございました!やっとたどりついたよ!限界こえたよ!ねむいっっ!ねます。

これでいいんですよね?作家 野島伸司さん

[42] 投稿者:∂_∂ - 2002/12/20(Fri) 23:29 No.826  

大切なこと忘れました。もらいっぱなしはいやですよね。
野島さんもどこかで言っておられました。
「賛否両論うれしいです。無視されるのが一番つらい。」って。
だからふみさんも書き込んでくださいっておっしゃってたんですよね。パンクしない程度にみんな書き込んでしまえぇぇ!

[43] 投稿者:nori - 2002/12/20(Fri) 23:55 No.827  

>∂_∂さま
ひとには、ひらめく瞬間というのがあります。
全ての謎が一線上に繋がった時、直感といいます。
∂_∂さまはそれを体験なされたのでしょう。
しかし通常の場合その次の瞬間には、誤解だと気付き繰り返すたび、次第に究極へと迫っていきます。

ではひらめきとは瞬間に限られたものでしょうか?



それを持続することができた時こそが本当に限界を超えた時と考えます。

わたくしは五年かかってでも、もっともっとかかってでも真の理解にたどり着こうと腹を決めています。

[44] 投稿者:ふみ - 2002/12/21(Sat) 00:58 No.828  

> わたくしは最初に目次にララのテーマを見た時、すぐ ドクトル・ジバゴ のララを思い浮かべましたが。 

ドクトル・ジバゴって知らなかったけど、検索したら主題歌が「ララのテーマ」なんですね。
2章のタイトルはここから取ってるのかな??
スワンレイクとこの映画って何か類似点ありますか?>noriさん

> ∂_∂さんの解釈

面白いとは思いますが、個人的には同意できないです^^;
「スワンレイク」はやっぱりチャイコフスキーの白鳥の湖からでしょう。

ララのフランス語の意味は参考になりましたが、私の解釈としては、ララが意味するのは「愛する人」「愛のある人」とかそういう感じかなぁ。
スワンレイクにも、愛するために生まれてきたというララのセリフがあって、ある意味で「愛」の象徴なんですけど。
詩集1のララに捧ぐは、愛する(した)人に捧ぐとか、愛のある人に捧ぐとか、そんな意味で私は捉えてます。

[45] 投稿者:nori - 2002/12/21(Sat) 23:08 No.831  

スワンレイクとドクトル・ジバゴとの類似点のことですけれども、スワンレイクは精神世界にも通じる思想書に近いけれど映画ドクトル・ジバゴはそれに対してロシア革命を舞台にしての詩人で医者のジバゴと清貧な看護婦ララとの恋愛物語で大河ドラマ的でもあります。

今探しているのは原作となったボリス・パステルナークの小説なのですがこれが手に入りずらく苦心しています、ここで注目したいのはパステルナークの詩集で 処女詩集やバリエール越えしか読んだことがないですがおそらく野島伸司氏もリスペクトしているんじゃないかと思います。
野島伸司氏の詩集が好きならこれらも気に入ると思います、どなたか象徴主義について詳しくというか分かりやすく説明できる方
レスよろしくお願いいたします。

ちなみに映画で使われているララのテーマは素晴らしい曲です。

[46] 投稿者:*** - 2002/12/29(Sun) 12:15 No.844  

“スワンレイク”を今読み終えました。
アン(規律)=マサハルで結婚
ドゥ(欲望)=柳井、セックス
トロワ(自己愛)=柳井、カオル、自己愛
キャトル(悪意)=ララ、ミニアムな愛
サンク(無垢)=母性愛

[47] 投稿者:ren - 2002/12/30(Mon) 12:55 No.848  

私は今ちょうど読み終えたところです。
ラストの解釈についてですが、皆さんのを拝見して
「ああ、こういう考え方があるんだ」
と、すべての共感を覚えました。

私は、このスワンレイクのラストは319pのように感じました。
319pまでは「現実」であり、そこから先は・・・

「アナタの中にもアン、ドゥ、トロワ、サンク」達は存在している。

という事を投げかけたのではないかな、と思いながら読み終えま
した。
文章を書くのが苦手なもので、ごめんなさい。

[48] 投稿者:陽緒 - 2002/12/30(Mon) 13:27 No.849  

>renさん
私renさんの意見に近いような感想を持ちました。
私の場合は、一番最後の方、P327で、サンクがカオルに「ママン」と呼びかけた時点から、カオルの妄想の世界に入ってしまっているように思いました。
どこからどこまでが現実のラインなのか、カオル本人にもわからない、キャトルたちの世界や、ママンという人物が自分とシンクロしすぎてしまって、境界をなくしてしまったというのが、彼女の病状?なのかな。
だから、カオルが子供を産んでその子供を殺した・・・というのは、私の中では今のところ???です。
高校教師のラストみたく、いろんな解釈できるように書いたのかなあ・・・?

[49] 投稿者:ren - 2002/12/30(Mon) 19:25 No.850  

>陽緒さん

私の書きたかった事は、陽緒さんの書かれた事と同じです。
上手く表現できず・・・陽緒さんの意見を拝見して、「ああ
これだ」と心から共感致しました。
>高校教師のラストみたく、いろんな解釈〜
私もそう強く感じました。

[50] 投稿者:陽緒 - 2002/12/31(Tue) 13:26 No.853  

>renさん
うれしいです。
年末年始、時間があるので、もう一度チャレンジしてみます!
また、新たな世界観が拡がるといいなー。

[51] 投稿者:ふみ - 2003/01/09(Thu) 23:41 No.864  

だいぶ前のことですが(汗)、ドクトル・ジバゴのことありがとうございます>noriさん
ララのテーマが入ってるCDがあるみたいなので、今度借りてみます。

それで精読〜の方に書かれてた内容ですが、こちらにレスします。

> 第一章の題名が「サンク」であることについて
> 皆さんの意見を伺いたいです。

なんでサンクなのか、私も分からないんだけど気になるところです。
もし「キャトル」なら納得はできるんですけど。
愛にとって余分なもの(アン・ドゥ・トロワ)を次々と削ぎ落として、「キャトル(悪意/愛)」が剥き出しになる過程を1章では描いたと思うので。でもなぜ「サンク(無垢)」なのか?

> 私は、ところどころ入っている主人公が子供の頃の記憶みたいな文章=サンクかな?と捉えました。

1章のラストの詩で5人に分割したことが分かっているので、その他の1章の詩は分割前って考えた方が良いのかもしれないですね。
でもその詩に見られるのはまさに「幼児の無垢さ」であるわけで、分割前にも分割後にもサンクはいったってことになるんでしょうか。
でも、、

> でも、あの文章って二章を読んでみると、ママンへの愛=キャトルとも読める気がします。

そうなんですねー。これは無垢さだけではなくて、キャトルからママンへの愛情とも受け取れます。
すべてを受け入れてあげようとするところとか。
じゃあこの1章の詩はキャトルと考えた方がいいのか?という疑問も出てくるんだけど、1章のタイトルがサンクだから、サンクだとして考えるのが妥当な気がします。
では、すべてを受け入れるという愛は、「キャトル」ではなく「サンク」なのか?
2章の最後の方って、キャトルとサンクの境界が曖昧になってきてるような気がします。
P327で、サンクこそが白いサルの分身だって、いきなり結論的に出てくるんですね。
でも白いサル=愛(スワンレイク)に辿り着く資格のある者だとしたら、それはキャトルではなかったのか?
余計わからなくなってきました。
どちらにしろ最後に残ったのが無垢なのだから、すべての土台は無垢にあるってことなのかなぁ。。

[52] 投稿者:nori - 2003/01/10(Fri) 00:46 No.867  

この小説はいってみればミニマムな愛を持つララとキャトルのお話と取ることもできるのですが、キャトルが夢の中で観た貪欲な鳥達によって両目をついばまれたメスのサルとシロから繰り返されるいつの世代にも現れる見せかけの幸福を打ち破り、答えを見いだし白鳥のすむ美しい湖へたどりつく資格を持つ者のうちママンと五つのキャラの集まった有機体そして保科カオルと殺そうと思っても殺せなかったその柳井テツオとの子供とのブリッジとして絵本の語り手として、物語の主人公がキャトルなら狂言回としての役割がサンクなのではないでしょうか?

第一章のタイトルがサンクなのはそのせいなのでは?
意外と物語を進めていく上で重要なキイワードを明かしているのがサンクの短い言葉なのですから。


[53] 投稿者:陽緒 - 2003/01/10(Fri) 15:07 No.868  

>ふみさん

レスありがとうございます。
>>1章のラストの詩で5人に分割したことが分かっているので、その他の1章の詩は分割前って考えた方が良いのかもしれないですね。

このレスを読んで気づいたのですが、もしかして、タイトルのサンク=無垢のサンクのことではなく、単純に数字の5のことなのでは・・・?
5つの人格に別れた過程があの詩で、5つのキャラの性格や行動、考え方の違い、そして内なる戦いでの結末・・・などが描かれている第一章=5(サンク)。

今までは、タイトルのサンク=無垢のサンクとしか考えていなかったのですが、ふみさんのおかげで新しい発想ができました。ありがとうございます!


[54] 投稿者:陽緒 - 2003/02/16(Sun) 17:04 No.1024  

久しぶりにスワンレイクに書き込みしようと思います。

http://members.jcom.home.ne.jp/kamer/f3s/h33swanl.htm

「スワンレイク」という名のバラがあることを知りました。

蔦みたいに絡まる種類のものみたいです。
小説とは無関係かも知れないですが、もし、あるとしたら、カオルたちの部屋にあったバラは白で、マサハルのカオルへの想いが、赤く見せていたのかなーと思いました。

[55] 投稿者:nori - 2003/02/16(Sun) 20:18 No.1031  

陽緒さまおひさしぶりです。
そういえばP160にトロワの身体をつなぎ止めていたものとして、いばらのツタがありましたね。
野島伸司さんはそこまで考えていたのでしょうか?

話は少しそれますが高校教師(新作)のネーミングで湖賀は雛がやがて白鳥になりその羽を休める場所である湖からということが公式ホームページの野島伸司氏の解説に有りましたね。
高校教師のラストはスワンレイクとイメージが繋がって行くのでしょうか?

[56] 投稿者:陽緒 - 2003/02/16(Sun) 22:18 No.1032  

noriさん、お久しぶりですね。

私も高校教師のサイト見て、湖賀と雛の名前が「スワンレイク」に繋がるなーって思いましたよ。
ドラマBBSの方で、悠次と真実の仲間が郁巳を拉致るシーンが「スワンレイク」の5人(実際は1人でしたが)の処刑?シーンを彷彿させるって書き込みされてた方もいましたしね。
あと、郁巳のナルシストっぷりはトロワの自意識に繋がるものを感じる・・・とか。
野島さんは、作品の終わりごろになると、次の作品のことに考えが行ってしまうクセがあるらしいので、この二つの作品は作られた時期も被っていると思います。
高校教師の前作や、他のドラマとリンクするセリフやシチュエーションもたくさん出てるので、「スワン」とのリンクも登場すると思います。
小説のファンとしては嬉しいですねー!!!

[57] 投稿者:陽緒 - 2003/02/28(Fri) 20:54 No.1120  

noriさんの[14]彼女がいまわの際にスワンレイクの底で手に入れた鍵のメタファーが携帯電話だったこと
に、レスします。
私もすごく疑問に思っていた部分で悩んだんですが、なんとなく答えになりそうなところを見つけたので。
P.79〜演奏会のシーンがありますよね。
あのシーンは読むたびにいろいろなパターンの画が浮かんだんです。初めは本当に6人が楽器を持って演奏している画。次には、楽器は空想で、6人がお喋りしているのを演奏会に例えた画。そして最近浮かんだのが、本当はアン〜サンクは1人なのだから、ララが「5人と喋っている」と思ったのは、携帯を通して・・・だったのでは??という考えです。画にしてしまうと、シンプルすぎてしまう気もしますが。
ここが、ララとキャトルの出会いのシーンです。そこだけを主張すれば、『だからララは最期に携帯を手にすることで、キャトルと繋がることができると思った』と言うことができるのですが、ララとキャトルは携帯だけでなく、現実に会っているシーンも出てきますよね。
それに携帯=尖った石だと、キャトルの自殺シーンなどでは携帯は関係ないですね。
ということで、まだ完全に理解できないところもあるのですが・・・

[58] 投稿者:陽緒 - 2003/03/06(Thu) 23:42 No.1164  

尖った石について、解釈を見つけた方いますか??

「スワン」関連のカキコミ少なくなってきて寂しいですね・・・でも、それだけみなさん、「高校教師」に入って行ってるってコトかな?
悠次が○○○で・・・というシーンがあるらしくて、アンとキャトルのシーンを連想してしまいました。やっぱり被ってる部分あるのかな???

[59] 投稿者:nori - 2003/03/07(Fri) 13:20 No.1170  

>陽緒さま
尖った石いまだにポストイットがついたままです。

スワンレイクは小説というメディア自体がテレビと違ってリアルタイムではないので、高校教師が終わって野島伸司氏の世界に興味を持った方が読まれてカキコが少し増えるかもしれませんね。

わたくしはテレビ情報誌はあまり見ないのですが、スワンレイクと被ると面白いですね。


[60] 投稿者:陽緒 - 2003/03/07(Fri) 23:26 No.1176  

>noriさん
いつもレスありがとうございます!

>>高校教師が終わって野島伸司氏の世界に興味を持った方が読まれてカキコが少し増えるかもしれませんね。

そうなるといいですね!
私自身は、このスレッドの皆さんのカキコミが、すごく参考になってます。病気のことやバレエのことなんかは、全然わからなかったですから。より深く理解するために、すごく助けられているというか。ほんと感謝です!
だから、これから読まれる方が増えて、いろんな意見が聞けるといいですよね。


[61] 投稿者:ふみ - 2003/03/08(Sat) 01:10 No.1177  

尖った石〜携帯電話についてですが、陽緒さんの解釈面白かったです。その絵を想像すると可笑しいですね。
私は深読みせずにシンプルに考えてみたんですが、

P157に
> (尖った石を)この手の中に。そうすればあたしの内側でしか開かないこのお部屋に、
> 彼を招き入れることが出来るの。あれが鍵なの。

とあるので、ララがその石を手に入れることでララの心の鍵が開いて、後の2章でキャトルがララを見つけてスワンレイクで再開することができたのだと。

尖った石が携帯電話だったことについては、私は特に深い意味を感じてなかったのですが、今日の高校教師9話のラストシーン、公式サイトのあらすじに

> 虚ろな表情の郁巳は、アクリル版に向かうがバランスを崩して倒れ込んでしまう。
> その手には携帯電話がしっかりと握られていて…。

とあったのが、ララのそのシーンと重なりました。
死の間際でもキャトルとの繋がりを求めようとする気持ちの象徴が、携帯電話なんじゃないか、と思いました。

[62] 投稿者:nori - 2003/03/08(Sat) 01:33 No.1178  

陽緒さまやふみさまの考えは素晴らしいですね!
野島伸司氏は様々なキイワードを配置させることによって読者の創造力を総動員して読ませる手法を用いているのですね、わたくしは小説の中での言葉の繋がりにこだわりすぎているのかもしれません。
お二方の考えを読ませていただいて目から鱗の感じです。

やはり同時期に書かれたこともあってスワンレイクと高校教師はその表現において密接なつながりがあるようですね、同時進行で数倍楽しめます。
尖った石の考察自分の意見がまだまとまっていなくてすみません、暫くしてまとまってきたらまたカキコさせていただきます。


[63] 投稿者:陽緒 - 2003/03/08(Sat) 17:28 No.1180  

ふみさん、noriさん。
レスありがとうございます!

>>死の間際でもキャトルとの繋がりを求めようとする気持ちの象徴が、携帯電話なんじゃないか、と思いました。

なるほどー。たしかに昨日の湖賀のシーンと結びつけると、わかりやすいですね!雛と湖賀はよく携帯で喋ってるシーンが出てきますよね。「スワンレイク」では、あのシーンでいきなり携帯が登場したので、なんか唐突な気がして。他に携帯が出てくるシーンがないのなら、文章の中に隠れているのかな?と思ったんですが、ちょっと強引だったでしょうか・・・シンプルに考えても、携帯にキャトルとの繋がりを求めたのは変わらないですね。もう一度考えてみます!

昨日の「高校教師」は悠次のセリフに「ヒヨコチャン」「ジョーク」などが登場しましたねー。読者にしかわからないリンクっぽくて、ちょっと嬉しかったです。




[64] 投稿者:陽緒 - 2003/03/10(Mon) 22:22 No.1190  

「カオル」と「キャトルたちのママン」
を同一人物と考えてみようと思うのですが、どうもしっくり来ません。もう、これは想像の範囲で理解するしかないのかなーと半ば挫折気味です・・・
∂_∂ さんのカキコミで病室の番号が同じってゆうのを見て、「やっぱり同じ人?」とも思いますが、カオルが子供との生活に疲れて(または寂しさから?)、クスリに手を出したママンなんでしょうか?
あくまで私の想像ですが、カオルは「柳井との別れ」「マサハルの死」「キャトルの死」「痛めつけられるサンク」などのあたりから、精神に異常を来たしているように感じます。
だから、クスリに手を出す・・・とかなくても壊れて精神科に・・・っていう方が、現実的な気がして。子供も産むことはできなかったんじゃ?と思ったんです。そして、ママンと自分が同じ人物だと思っているのはカオル自身・・・
う〜ん・・・現実的すぎますよね?

[65] 投稿者:ミホ - 2003/03/17(Mon) 22:34 No.1240  

突然のカキコミ失礼します。
みなさんの解釈、興味深く読ませていただいてます。

正直、何度か読んでる私は、まだまだわからないことばかりで
奥の深い、この野島さんの初小説に、まだはまってます。
ドラマの高校教師だって、スワンレイクを理解したくて見ているところもあるんです。(他のスレッドでは書けませんが・・(^_^;))

どうして、ララはキャトルだったんだろう・・?
キャトルがララを求めるのはわかるけど、ララが、救ってあげたいと思える愛を感じたのは、何故なのか。

ララのようにかけがえのない人を、自分で確信できるほどの強さは、誰にでも持てるものなのか・・?

とにかく、考えさせられることばかりです。
まだまだ勉強不足で、みなさんの書き込みから、少しづつ何かを
つかんでいけたら・・と思っています。

[66] 投稿者:陽緒 - 2003/03/19(Wed) 23:17 No.1273  

ミホさん
う〜ん・・・
「なぜララはキャトルだったんだろう・・?」
ですか。
確かに私も初めて読んだときは、すっかり、
「ララはアンが好き」
だと思っていて、
「あたしのキャトル・・・」
と言うセリフを見たときはビックリしましたよ・・・

最近はミホさんとは逆に
「キャトルはララが好きだったの??」
という疑問があるんです。
キャトルもララの生前は
「ララはアンが好き」
だと思っていて、ドゥがララを犯したときも助けもしなかったし・・・
ララにはっきりと好意を持ったのはカオルがララのフリをして書いた手紙を読んでから、ですよね。
キャトルの愛はママンの方ばかりに向いていて、キャトルを追いかけるララのことは、あまり見てあげていなかったように思うんです。
ラストではふたりの想いが噛み合って、スワンレイクに辿り着く・・・というのは納得できるんですが。

[67] 投稿者:ミホ - 2003/03/21(Fri) 23:23 No.1285  

陽緒様
レスありがとうございます。
そっかー、逆の疑問・・それもありますね。
私は単純に、ママンへの愛が強いキャトルが、包み込むような愛を
抱えているララに惹かれていくのは、とても自然に思えていたのですが・・・
そうですよね、それも手紙の中の架空のララですもんね・・。

結局、私は究極の愛、スワンレイクに辿り着いた二人の、現実での過程がしっくりこないのかもしれません。
それは同時に、登場人物の心理はもちろん、何でもはっきりさせたくなってしまう私の悪い癖でもあるのです。

周りから見ると、あやふやにしか映らないものが、当の二人には
しっかりとした愛の形になっている。そんなことが、現実にだってあることを知っていながら・・。

時間があるとき、また読みなおしてみますね。
これからも、またいろんな感想をお聞かせください!

[68] 投稿者:ふみ - 2003/03/24(Mon) 23:34 No.1307  

>ミホさん
> どうして、ララはキャトルだったんだろう・・?

確かにキャトルとララ、二人が触れ合う過程というのが1章でほとんど描かれなかったですね。
1章を読んでいてララはアンに惹かれてるんだなぁ…と私も初めは思いました。
ただもちろん、あの5人というのは象徴に過ぎないので、
ララが純粋に愛(キャトル)だけに惹かれた、というのは、この物語としてはそうでしかありえなかったのだと。

これって好みのタイプというか、どういう恋愛観を持っているか?ということになるのかも。
生活や安定を第一に相手を選ぶならアン。
欲望や快楽を満たしてくれる相手を望むならドゥ。
ナルシシズムや優越感を満たしてくれる相手を望むならトロワ。
いずれも「愛」とは別物だという、野島さんらしい皮肉ですよね。
虚飾に惑わされずに純粋に愛を欲していたララは、自然にキャトルに導かれたのだと、私は思いました。

[69] 投稿者:ミホ - 2003/03/25(Tue) 19:34 No.1311  

ふみさんへ

よくわかりました。
アンとララではなく、キャトルとララだったからこそ
スワンレイクに辿り着くことが出来たんですね。

私は女性なので、ララの視点からしか考えていなかったようです。
「どうしてキャトルなのか?」 というより 「どうしてキャトルを選ぶことが出来たんだろう?」と・・。

”虚飾に惑わされずに・・自然にキャトルに導かれた” この一言で納得です。

正直、野島作品を女性の視点からばかり見ると、わかりづらくなることってあるんですよ。

いずれにしても、この小説は私にとって、野島氏の才能を再認識することが出来、いろいろなことをおしえられる特別なものとなりました。

[70] 投稿者:陽緒 - 2003/03/28(Fri) 23:24 No.1326  

ふみさんのレス、大変参考になりました。
ありがとうございます。
>>ララが純粋に愛(キャトル)だけに惹かれた、というのは、この物語としてはそうでしかありえなかったのだと。

この考えだと私の悩んでいた
「キャトルはララが好き??」
というのも解消されますね。
キャトル(=愛)がララの前に現れていること自体が、(主人公が)「ララを好き」だっていう表現になるんですね。
そう考えてみると、罰の追加をされた人たちの前では、ドゥやトロワが表に出たがるのに対し、キャトルはあまり関わりたくないって態度でしたもんね。
ドゥに犯されるのを止めなかったことに関しては・・・性的なことや肉体的なことには興味がないキャラだからなのかな?
それとも、最大の目的(ママンを殺すこと)に辿り着くためには、ララの犠牲にも目を瞑るしかなかったのでしょうか??

[71] 投稿者:ふみ - 2003/04/01(Tue) 00:15 No.1334  

>陽緒さん
> そう考えてみると、罰の追加をされた人たちの前では、ドゥやトロワが表に出た
> がるのに対し、キャトルはあまり関わりたくないって態度でしたもんね。

なるほど〜!
そのシーンにどのキャラが表れているかで、主人公がどういう人格・感情に支配されているか、が分かりそうですね。
人を罰したい気持ちは秩序を求める心(アン)や他人を制圧したい暴力的な欲望(ドゥ)、そして惨めな人間を前にして優越感を求める気持ち?(トロワ)がそうさせる…と。納得です。

> ドゥに犯されるのを止めなかったことに関しては・・・性的なことや肉体的なことには
> 興味がないキャラだからなのかな?

たぶんそうじゃないかと思います。
その時の主人公の人格が欲望に支配されていたのかもしれないけど…バスルームでの対話もあるし、その時もトロワ&キャトルの人格が覚醒していたと考えると…
陽緒さんの言うように、キャトルは性的なことに無関心だと言えそうですね。

[72] 投稿者:KAI - 2003/04/16(Wed) 11:18 No.1382  

遅ればせながらも「スワンレイク」読み終わりました。
感想はいろいろあるのですが、一つ気がついたこと。

第一章に挿入されている詩はサンクのものか?キャトルのものか?ということ。

第一章のタイトルにもあるようにサンクのものではないか?
第二章からするとキャトルのものではないか?とありましたが、
サンクはキャトルの幼い頃の姿なのではないかと思いました。
ママンに虐待されても笑顔で耐える姿(キャトルの幼児期)…
これはラスト近くで、法廷から出てきたサンクを被害者や被害者遺族、マスコミ(?)たちがボコボコにする場面…。
サンクは微笑んでいたんでしたよね?

この二つのシーンが被って見えて、サンクはキャトルの幼い頃の無垢な自分だったんじゃないかと思いました。

反論もあるかと思いますが、閃いたらいてもたってもいられず書き込みに来ました。

どなたかが仰っていましたが、高校教師から影響された一人です。
みなさんの考察には感心させられることばかりです。
もう一度読んで理解を深めたいと思います。

[73] 投稿者:架音 - 2003/04/22(Tue) 13:30 No.1401  

一通り読み終えました。えーと・・・結末がよくわからないんですが、結局このストーリーは全てママン=カオルの妄想?結局キャトルとかアンとかもみんな初めからいなくって、ちょっとサンクに似た様な子供がいるけど実はその子をずっと虐待してて・・・ってことなんでしょうか?まーこれだとつじつまは合いますが、どーも非現実的ですよね・・・。じゃあ、アン(達)は実際に存在していて、逮捕後、カオル=ママンと運命の再会を果たし、物語の最後でようやくカオルがそのことに気づいた?あ、でもそれだと病室のベッド上でゆれてた女の人は誰?ってなっちゃいますね(この人も結局カオル=ママンなんですよね?)何度読んでも訳がわかりません!!!「何が、何を象徴している」とかいう以前の問題に、ストーリーが解りません。誰か、教えて!!!

[74] 投稿者:nori - 2003/04/23(Wed) 20:45 No.1407  

>架音さま
読了おめでとうございます。
スワンレイクを読まれた方で分からないという方はどうか 分からない=おもしろくない と納得されないで下さい。
未知であるからこそよけいに面白いものなのです。
絵画の分野でいうとよく具象画が分かっていて好きでも抽象画はちょっとという方がいらしゃいますが、未知の部分が感覚的に理解できる瞬間というのが必ず来る筈です。

おなじようにスワンレイクもいつか心の中で繋がる時がきます、その時まで身近なところに本を取っておいて下さい。
そしてその時インスピレーションのままにもう一度チャレンジされて下さい。
必ずあなた自身のあなたならではのスワンレイクの感動的な解釈が生まれます。

こういうわたくしもたくさんの方のお知恵をおかりして理解を深めていっています、偉そうな言葉で申し訳ありません。

[75] 投稿者:KAI - 2003/04/25(Fri) 09:42 No.1410  

自己レスです…。

[72]より。サンクとキャトルの関係について。
「精読…」の方のnoriさんのコメントを見て思いつきました。

第一章の詩の中に出てくる「ヒヨコ」。
noriさんはこれをヒヨコ→雛→白鳥の子とよんでおられました。
キャトルをスワンレイクに辿り着いた白鳥と見なすと、
白鳥(キャトル)の幼少時代は雛→ヒヨコとなり、
詩の中のヒヨコがサンクとすると、サンクはキャトルの幼少時代の姿とも考えられますが…。

この考えが頭から離れなくてそう見えるのかも知れませんが…。

[76] 投稿者:ピオホ - 2003/04/26(Sat) 13:28 No.1411  

今週本を買って今読み終わりました。
謎が残ってますが、皆さんの解釈で自分の解釈にも幅がでました。
またそのうち読み直したいと思います
感想としては 1章のサバイバルは映画「CUBE」のようでした 密室空間に閉じ込められた数人の人間が脱出を試みるんですが、そこには数々のトラップがあり次第に人間の心理が極限状態に達し常軌を逸した行動にでる 1組の男女は恋愛感情が芽生え 1人は精神の障害者・・ そして自分だけ助かろうとする者がでたり女を守ろうとする者がでたり そして最終的にこの映画で助かったのは精神障害者の何一つ求めなかった者だった・・サンク?
確か「何も求めないのが愛」と小説にあったような・・
とすると愛はサンク?
とすると純心無垢なのはキャトル?
確かにある意味キャトルは純心無垢と言えるかも
しかし自ら母親の虐待をうけたのは行き着くところ愛を求めてたから?
最終的にサンクもリンチのような状況になったが彼は笑顔だった 愛を乞うのではなく無償の愛を振りまいたのかな
母親への虐待を受けるキャトルに自分が加わらなかったのはキャトル(純心無垢)も愛してたから彼の行動を受け入れたとゆうより否定しなかった。
1個人に向けられる愛ではなく、不特定多数への、いや全てへの愛なのかも 内なる神である彼は
 

[77] 投稿者:nori - 2003/05/14(Wed) 04:59 No.1436  

>KAIさま
そのようにも考えられますが、わたくしはどちらかというとスワンはママンでキャトルは最終的到達点では白鳥だったにせよ小説の中では大半高校教師03’の灰色の状態だったのでは。
サンクについてはヒヨコに間違いないです。

[78] 投稿者:くおん - 2003/05/15(Thu) 16:35 No.1437  

皆さんの深い考察、感心させられながら拝見しています。
スワンレイク、小説ならではの究極的作品ですね。野島さんの持つ問題意識や精神性に溢れた作品だけあって感じたことはたくさんあるのですが、私は「愛」という概念にピントを絞った自分なりの考察を述べてみたいと思います。
その上で重要な意味を持つのがやはりラストシーンのカオル。あのラストは何を象徴しているのか?ということ。スワンレイクを初めて読了した時、私の中にラストに関する二つの解釈が生まれたんです。それは今でも分裂したまま私の中にあるんですが。
一つ目の解釈は、カオルの「愛の体現者」としての役割。これはふみさんの仰る事とほぼ同じだと思うので、省略させていただきます。ミニマムな愛を有するがゆえ、現実には生ける屍のようにならざるをえない。
二つ目は、カオルの「究極的な欲望と自意識のみが残された姿」。
そもそもカオルは潜在的にはドゥとトロワが強い人物だと私は感じた。
マサハルへの愛も自己犠牲に名を借りた自己陶酔、サンクに見せる母性的な一面もミニマムな愛から湧き起こるそれとは違い、母性欲のようなものだと。柳井も欲望と自意識の怪物だが、彼はベクトルが外に向かった。逆にカオルの場合はそれが内にこもった。キャトルの精神鑑定を行ううちにトロワがそうだったように彼に強く惹かれ、サンクを集団リンチから救うため、拳銃を用いた。
カオルが自分の子供の首を絞めたのは、彼女の中の欲望と自意識には際限がないからでしょう。もっと、もっとと求めてしまう。子供は自己愛の結晶かもしれないが、他に何もいらないと思えるならばあるいは愛として成立しうるかもしれない。しかし、カオルは満足できなかった。キャトルとの対話の中で自己のバランスを崩し始め、最後に残ったのは
ドゥとトロワだった。そしてその自意識と欲望を満たすための唯一の対象がミニマムな愛だった。子供の首を絞め牢獄に入れられるという、自分をあえて絶望的な環境に置くことで得られる歪んだナルシズム。全てを捨ててでも求めるものを得たいという欲望。カオルはミニマムな愛を
持つ者ではなく、ただそれに執着しているに過ぎない。最後に流れる大地の歌は、どんなに願っても決して飛ぶことの出来ないカオルを象徴している。
キャトルとララのスワンレイクへの到達で愛の存在を肯定し、一方でカオルの迎える破滅的な結末で愛を否定している。限界を超えてもそこに
愛はなく、ただ死があるのみだ。人間の中には愛などなく、あるとするならばそれは、愛を求める欲望と自意識だ。

「愛」という概念をめぐる肯定と否定、希望と絶望。この野島さんのスタンスが変わることなく突き詰められていましたね。まあ、小説である分、それがとても究極的でしたが・・・
長々と失礼しました。

[79] 投稿者:nori - 2003/05/20(Tue) 00:14 No.1439  

>くおんさま
興味深い考察をありがとうございます。
2つの分裂した考えをお持ちのようですが、後の方

>限界を超えてもそこに
愛はなく、ただ死があるのみだ。

それでは希望は無いのでしょうか?
またその考察のスタートとなった保科カオルは欲望と自意識が強いという捉え方には疑問があります。
わたくしの感じからで恐縮なのですがきわめてキャラクターのバランスの取れた登場人物だったように思えますが。
インフォマニア(ニンフォマニア?)かと思われる部分もありましたが一時的な感情は誰にでもありますし。

P.S 最近野島ドラマBBSに同じハンドルネームでメールアドレスがついていない方がいらしゃいますがわたくしではありません。


[80] 投稿者:くおん - 2003/05/21(Wed) 16:48 No.1440  

noriさんへ
レスありがとうございます。
カオルは欲望と自意識が強い人間だというのは、あくまで「潜在的」にそうであるということです。本人が自覚していないだけで。彼女は一見
キャラクターのバランスが取れた人物のように感じます。むしろ、キャラ中のドゥやトロワは希薄なのかなとも。けれど物語が進むにつれ、それが覆されていく。
私が感じたのは欲望と自意識のタイプは2種類あるということ。1つは
ベクトルが外側に向かうタイプ。物質的・肉体的なものを対象とする。
セックスによる快楽といった性的欲求、人々の注目を浴びたいという社会的地位や名誉への欲求。その究極としての存在が柳井。
もう1つはベクトルが内側に向かうタイプ。感覚的・精神的なものを対象にして充足感を得ようとする。これがカオル。
柳井がカオルの肉体に執着したのも、カオルが柳井との接触をどこか快く受け入れていたのも、前意識に同じキャラを持つ人間として共鳴し、
お互いの利益が一致していたから。柳井はカオルの体が手に入り、カオルは体を許すことでマサハルへの愛の証明の名のもとに自己陶酔できる
わけですから。
やがてカオルはマサハルへの愛情が薄れゆくとともにキャトルへのあこがれが強くなっていった。キャトルの持つミニマムな愛に惹かれ、自分もそれが欲しいと。彼女の自意識と欲望がミニマムな愛に一点集中したゆえ、キャラの均衡が崩れアンやサンクは消えてしまった。そのなれの果てがあのラストなのかなと思うんです。
限界を超えてもそこに愛はなく、ただ死があるのみだ。それでは希望は
無いのでしょうか?との事ですが、カオルの場合は無いと思います。彼女はキャトルやララのようにミニマムな愛を持つ者ではないので、スワンレイクにたどり着けるという希望は無い。
ただ愛のみを必要とし求めるという精神性は、肯定的に言えばミニマムな愛を持つがゆえであり、スワンレイクという死後の救いも存在する。
否定的に言えば感覚的・精神的なものにベクトルを向けた欲望や自意識
に過ぎない。
これが私の後者の解釈です。

[81] 投稿者:るー - 2003/05/25(Sun) 21:23 No.1443  

スワンレイクの表紙はどなたの絵なんでしょうか?
今日、本屋さんで見て、とても気になりました。
的外れな質問で申し訳ありません。

[82] 投稿者:ふみ - 2003/05/26(Mon) 22:11 No.1444  

>るーさん
表紙のイラストは森流一郎さんという方です。
公式サイトがあったので載せておきます。
www.interq.or.jp/dragon/mori2000/

[83] 投稿者:るー - 2003/05/27(Tue) 20:00 No.1445  

>ふみさん
ありがとうございます。
野島さんのことはもちろん知っていましたが、さきにとびこんできたのは、絵のほうでした・・・。
何かの出会いだと思うので、読んでみようと思います。
考察をするBBSなのに、おじゃましてごめんなさい。
ありがとうございました。

[84] 投稿者:くおん - 2003/06/06(Fri) 14:47 No.1448  

スワンレイク自体の話題ではないんですが、野島さんの作品をスワンレイク的に分類すると、こんな感じかなあと思って書き込みしました。
野島さんも自身の作品を区分する場合、左脳・右脳という言葉を用いているけど、それぞれの作風やテーマの傾向をスワンレイクに照らし合わせてみるとこうなりました。

アンドラマ
人間・失格
未成年
聖者の行進

サンクドラマ
ひとつ屋根の下
ひとつ屋根の下2
SOS
ゴールデンボウル

キャトルドラマ
高校教師’93
この世の果て
世紀末の詩
リップスティック
美しい人
高校教師’03

どうでしょうか?アン、サンク、キャトルの3人のキャラに基づいて分類してみたんですが。ここは違うんじゃないかとか、この作品はこっちだろうなど皆さんのご意見聞きたいです。
それぞれのテーマがドゥ、トロワと対立・葛藤することでより浮き彫りにされていく。テーマはアン、サンク、キャトルのどのキャラが強く野島さんの創作意欲と結びつくかで変わる。野島さんの主人格がどのキャラになるのか、どの人格からの発信となるのかは、その時々で違うんでしょうね。やっぱりその時のフィーリングや問題意識など、様々な要素が影響するのかなあ・・・?
スワンレイクはそれ自体もとても面白いけど、野島さんの作品の更なる楽しみ方も教えてくれたような気がします。

[85] 投稿者:ふみ - 2003/06/07(Sat) 23:07 No.1449  

なるほど〜面白いですね。
こうして見ると、スワンレイクは野島さんの問題意識が集約されていたとも言えますね。
欲望や自意識(=自己愛?)を乗り越えていく愛という普遍的な野島テーゼと、それとは別に弱者の救済という問題意識と。
ちなみに私的にはサンク(無垢)は野島伸司詩集が一番ぴったりする気がします。

[86] 投稿者:くおん - 2003/06/09(Mon) 14:34 No.1450  

ふみさん
レスありがとうございます。

ちなみに私的にはサンク(無垢)は野島伸司詩集が一番ぴったりする気が
します。
これは詩集Tのことですか?それとも詩集全般の印象ですか?それと、
その理由もよければ教えてもらいたいです。

私も詩集(全般)はサンク作品だと思います。あとスワンレイク自体も。
個人的な解釈ですがサンクは他の4つのキャラの根源だと思うんです。
アン、ドゥ、トロワ、キャトル、全てはサンクから派生したものだと。
人間は初めは誰もがサンク(無垢)。生まれたての赤ちゃんがそうであるように。無垢というのは言いかえれば混沌。表面的には無力・無防備だが、内にはそれぞれのキャラが未分化のまま秘められている状態。何者
でもないが何にでもなりやすい。やがてそれぞれのキャラが色々な要因で分裂・顕在化していく。それは自分ではどうすることもできない。
サンクは無力な存在なのだから。邪気もなければ力もないのだから。

誕生した人格は大きく2つに分けられる。根源であるサンクの純粋さが
失われたドゥ、トロワ。サンクの純粋さを継承したアン、キャトル。
アンとキャトルは社会性の有無によりそれぞれ質の違う愛を司る。
アンは、秩序という名の社会性のある博愛精神・人類愛。キャトルは、
社会への何の貢献も利益もないため、社会的には無意味・無価値なものとされあるいは悪意と呼ばれるミニマムな愛。

この異質な2つの愛が、他者の欲望や自意識に虐げられる社会的弱者の
庇護・救済。自己の欲望・自意識(=自己愛?)を超越する究極的な愛の
探究という野島さんの2つのテーマに繋がる。

私が詩集とスワンレイクがサンク作品だと思うのは、アン、キャトル両者のテーマが掲げられているからです。それぞれのキャラが分化する前の根源としてのサンクの視点で作られた作品。

作品の視点がサンクである分、混沌とした不安定感があるけど、そこから野島さんの多面的・全体的・原点的な人間性を感じることができる。
それが詩集や小説の長所なのかなあ・・・

[87] 投稿者:ふみ - 2003/06/09(Mon) 22:55 No.1451  

>くおんさん
詩集全部のことです。
詩にもよるけど、野島伸司詩集(1〜3)は一概に言えば「無垢」という言葉が合ってますからね。
詩集の世界観は、そのままスワンレイク1章のサンクの詩にも繋がりますし。

アンとキャトルという二つの異質な愛。というのも面白いですね。
触発されて考えてみましたが、私の解釈としてはアンは2種類に分けられると思うんです。
ひとつは弱者救済的な精神ですね。無力な弱者を押しつぶしてしまう不正義が許されない。アンもそういう信念で復讐していたし、「聖者の行進」や「人間・失格」によく表れていた問題意識です。

もうひとつはモラル(社会性)としてのアンで、何よりも社会性を優先してしまうあまり、愛を抑え込んでしまう、愛を遠ざけてしまう。モラルに捕らわれている限りは愛にたどり着けない。高校教師93とかで問題になっていたようなことで(羽村はモラルを失うことで愛を見つけた)、スワンレイクでもアンを殺さない限りはキャトル(愛)が全面に出てくることはなかった。
スワンレイクのアンというキャラはその2つの問題意識が混ざり合っていたように思います。

[88] 投稿者:こころ - 2003/07/11(Fri) 02:28 No.1452  

もしスワンレイクをドラマ化するとしたら・・・
          
          『スワンレイク』
      
      TBS金曜22時〜
      脚本   :野島伸司
      プロデューサー:伊藤一尋
      演出   :吉田健
      音楽   :千住明
      主題歌  :ビートルズ

   出演: キャトル=いしだ壱成
         アン=藤原竜也
         ドゥ=照英
        トロワ=奥菜恵
        サンク=河相我聞
         ララ=桜井幸子
        カオル=麻生祐未
         柳井=宇梶剛士 
       マサハル=小木茂光
        ママン=吉田日出子
 





[89] 投稿者:nori - 2003/07/11(Fri) 04:18 No.1453  

ドラマ化するのなら野島伸司氏自らの手で思いっきり脚色して、絵的なことも考慮して挑んでほしいですね。

どちらかというと配役に関してはプロデューサーにお任せで役者さんの固定観念に縛られない方がいいと思うのですが?

[90] 投稿者:陽緒 - 2003/07/13(Sun) 22:52 No.1454  

>>88
主人公自身が多重人格の症状で、内面ははっきり分かれていても外見的には一人の人間の設定だったりするので、ドラマや映画では小説以上の世界観を創り上げるのは大変だと思いますが・・・
いしださんの復帰作になるのなら、ぜひ観てみたいなーと思ってしまいました。



精読 スワンレイク

[1] 投稿者:nori - 2002/12/17(Tue) 01:33 No.786  

(03/02/23書き直し)スレッド「スワンレイク」について から離れて結論から急がずに精読に参加したいと思います。整理した考察が行えるようにとりあえずはP84サンクの語りの前までの分析とさせていただきます。(そのページ内のキイワードからリンクしてジャンプをしている場合は良しとします)

 黄色の帽子のボクはヒヨコ。

このヒヨコを雛と捉えるとスワンの子供なのでしょう。

 くまのプーさん時計がカチカチカチ、

P303のマサハルが小児科時代に子供からプレゼントされたものに繋がるのか?

[2] 投稿者:ふみ - 2002/12/17(Tue) 23:59 No.795  

> くまのプーさん時計がカチカチカチ、
> P303のマサハルが小児科時代に子供からプレゼントされたものに繋がるのか?

繋がるとしたらママン=カオルになりますよね。
カオルが自分の子供の首を絞めたことやラストシーンがママンと重なるんだけど、これって何を象徴してるんでしょうねぇ。
2章は母と息子の対話だったとか?^^;
かなり細かいけど、P329に私の息子、キャトル…っていうのがあるんですよね。

[3] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 00:06 No.796  

自己レスします。

P272にもプーさん時計の表記が、そしてやはり最後のシーンP328にも、殺そうと思っても殺せないシチュエーションで使われている。
カオルは自分が産んだ子供を殺そうとはするが、殺せなかったのではないかという仮説もたてることができますが、その間のプロセスもまだ読んでいないので進むに従ってその整合がとれるか検証したいと思います。

プーさん時計がシンボライズするものは何?

続きはトロワの登場から。

[4] 投稿者:ふみ - 2002/12/18(Wed) 01:03 No.801  

プーさん時計は…あえて言えば子供の無垢さを表すための道具なのかなぁ?
救急車がイチゴの載ったショートケーキだったりとか、かわいらしい表現が多いですよね。

[5] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 02:24 No.805  

プーさん時計には12に針がきた時にパフォーマンスするものや、鍵を入れておくものもあるようです。

[6] 投稿者:nori - 2002/12/18(Wed) 12:14 No.809  

トロワの登場

>やがて彼等の完璧な合議制のもとに整えられた最高の造作が、・・・<

この彼等とはアンからサンクを指すと考えるとここで既に交替人格の形成が示唆されているようですが、何人もの彫刻家をさしているとするとそれも違うのか?

>ゆっくりと機械的な自慰を始める。<

ここでもうトロワが自意識の象徴だと示されているのですね。


[7] 投稿者:ふみ - 2002/12/19(Thu) 00:40 No.817  

> やがて彼等の完璧な合議制のもとに整えられた最高の造作

これは交代人格じゃなくて、何人もの彫刻家が揃って「美」と認めるような、そんな究極的な美の例えじゃないかと私は思います。

あとこれは精読からズレますが、1ページ目もそうだけど1章で時おり挿入される子供の時の詩は無垢(サンク)を、この2ページ目は自意識・ナルシズム(トロワ)を描いてるんですよね。
前半の暴力シーンが過激だったり性描写が多かったり柳井が性を執拗に求めるのは、欲望(ドゥ)を隠さず描くため、なんだと2回目読んで思いました。

[8] 投稿者:nori - 2002/12/19(Thu) 01:33 No.818  

やはり究極の美の例えですね。
これでは、マスコミが騒いでいるようなドラマ化するにはキャスティングに困りますね。(少し脱線)

P8 薄紫のショール
情熱と永遠の両方でしょうか?

[9] 投稿者:ふみ - 2002/12/21(Sat) 01:05 No.829  

なぜ薄紫のショールから情熱と永遠が連想されるんですか?^^;

[10] 投稿者:nori - 2002/12/21(Sat) 02:08 No.830  

わたくしの記憶が確かなら、S.O.S.において唯の赤は情熱を遥の青は永遠を表していたのではなかったでしたっけ?

単純に二つの色を足してしまいました。(短絡的?)

それを自意識がまとっている状態って?

[11] 投稿者:nori - 2002/12/25(Wed) 04:00 No.840  

自己レスします。

P8薄紫のショールを無造作におくと・・・

他者への見せかけだけの愛(本当の愛ではなく、一般的な広義での愛)で飾ることをやめて・・・
と捉えていいものか。

P9副腎ホルモン

副腎の髄質部から分泌されるホルモンで、ここではアドレナリン
フェロモンに対応している。

[12] 投稿者:あかな - 2002/12/28(Sat) 20:06 No.842  

突然の参加、失礼します。

第一章の題名が「サンク」であることについて
皆さんの意見を伺いたいです。

[13] 投稿者:陽緒 - 2002/12/29(Sun) 15:27 No.845  

>あかなさん
私は、ところどころ入っている主人公が子供の頃の記憶みたいな文章=サンクかな?と捉えました。
でも、あの文章って二章を読んでみると、ママンへの愛=キャトルとも読める気がします。
読むたびに、いろいろな解釈が生まれてきますが、そこがこの小説のすばらしさかも知れないですね。

[14] 投稿者:陽緒 - 2002/12/29(Sun) 15:41 No.846  

気になった箇所はたくさんあるのですが、今日読んでいて思ったところは、マサハルとカオルの部屋のベランダに絡ませている花の色が、マサハルは「カオルの好きな赤」だといい
カオルは「マサハルの好きな白」だと言っています。
これは相手を思いやる気持ちのあらわれなのかな、と思いました。
目で見えるものがすべてではなく、心で感じるものもあるのだと思いました。

[15] 投稿者:nori - 2002/12/31(Tue) 03:30 No.852  

>あかなさま 陽緒さま
このスレッドを最初に立ち上げさせたいただいたnoriと申します。
サンクについてのご意見ほぼわたくしも同じです、またバラの色についてまでよく読み込まれていらっしゃいますね。
この時点でママン=保科カオルという説も考えられるのですが、この物語はシンボリックな表現が多く、その繋がりを追うことで謎解きをしたりそれぞれの解釈を生んだりできるのですが、ある程度の決まり事を決めて読み込むことで少なくとも誤った解釈を防ごうというスレッドの目的があります。
もちろんそれ以外の様々な解釈を否定するものではありません。
前に精神世界にも通じる哲学書のようにもとれると記述したことがありましたが、それこそ誤ってはまり込むと社会性を失った人格形成にも繋がるのです。
高校教師の再放送を観終わった方々の安心感そして虚脱感については他のスレッドで拝見させていただきましたが10年前のわたくしもそうでした。
人格形成のまだ終わっていない思春期に野島伸司氏の作品に出会えることは幸せでもあり同時に残酷な自分の中の現実と対峙することでもあります。
とりあえずの決まり事として、最初はP84サンクの語りの前までということでその中での様々な出来事ややり取りの解釈を精読という形で文章を少しづつ引用しながら進めて参りましょう。
多数御参加お願い申し上げます。

これまでの野島ドラマからこの小説からいくつかの概念(ミニマムな愛など)が1月からの高校教師に反映されることが考えられます、この考察は新しい高校教師を前作と同様深く愛する為の一助となるでしょう。よろしくお願いいたします。


[16] 投稿者:陽緒 - 2002/12/31(Tue) 13:35 No.854  

>noriさん

少し先走ってしまったみたいですね。
ごめんなさい。
まずは一章から・・・ですよね!
私も自分の中だけで解決できないと感じた場所があったら、みなさんにご意見聞きたいと思います。
もう一度読んでみる予定なので、そのときは、どうぞよろしくお願いします!!!

[17] 投稿者:あかな - 2002/12/31(Tue) 14:42 No.855  

陽緒さん、noriさん、返信ありがとうございます。
言われてみればそうだ!という感じでした。(汗)
私も精読、時々参加させていただくかもしれませんが
そのときはどうぞ宜しくお願いします!

[18] 投稿者:nori - 2003/01/09(Thu) 21:13 No.863  

>ふみさま
今年もよろしくお願いいたします。

>> やがて彼等の完璧な合議制のもとに整えられた最高の造作
これは交代人格じゃなくて、何人もの彫刻家が揃って「美」と認めるような、そんな究極的な美の例えじゃないかと私は思います。

少々さかのぼるのですが、普通に読めばふみさまのおっしゃる通りなのですがP203に

>人間の意識が五つの異なるキャラの合議制に基づいて作られる個であるというのなら、

とありここでも合議制という言葉が使われています、野島伸司氏は犯人は一人とはっきりと書かれるまえにもいろいろなところでそれを示唆するような言い回しを使っているようにも思えます。

P71
>アンとサンクが手を繋いで眠りの淵に沈んでいくと、入れ替わるようにドゥとトロワがザブンとその表面から顔を出すように現れる。その時間軸の狭間をキャトルはボンヤリと眺めていた。

ここなんかは読み取り方によってはもろに交替人格を表しています。
最初の文章の 、のところでこの文章が切れていると考えるとおもしろいですし
それこそ野島氏の仕掛けた文章上のトリックともおもえるのですが。

>あかなさま 陽緒さま
読了された方全てがこのスレッドの対象です、いつでも御参加下さい。





[19] 投稿者:ふみ - 2003/01/09(Thu) 23:56 No.865  

>あかなさん、陽緒さん

疑問点や気になったところ、気づいたところなどを書いてもらえるのは新しい発見になりますので、それらは「スワンレイクについて」の方にお願いします。
サンクについて思ったこと、そっちにレスしました。


>noriさん

> >人間の意識が五つの異なるキャラの合議制に基づいて作られる個であるというのなら、
> とありここでも合議制という言葉が使われています

なるほど、指摘ありがとうございます。
えっとこの物語の冒頭から交替人格が形成されていたのかという疑問になりますか?
上の方で私が書いたことが誤解されたかもしれないけど、あの冒頭で踊ってるトロワはもちろん交替人格ですし、5人に分割されたのは虐待されてた幼児期になるんでしょう。

ただその部分の詩的な描写――やがて彼等の完璧な合議制のもとに整えられた最高の造作が――というのは、美意識を司るのはトロワだけであって、たとえばアンやサンクにはもともと美意識なんてないだろうから5人が合議に参加して最高の美を造りだした、というふうには私は受け取らなかったです。かなり瑣末なところですけど。
もちろん、最高の美を5人が考えたという解釈もありうるでしょうね。

> 野島伸司氏は犯人は一人とはっきりと書かれるまえにもいろいろなところでそれを示唆するような
> 言い回しを使っているようにも思えます。

それはありあますね。だから2回目読むと内容をつかみ易いです。

[20] 投稿者:nori - 2003/01/25(Sat) 18:43 No.910  

この小説の中で最初の殺人の対象となった古沢貴は1987年6月7日に犯罪をおかし実刑12年だから裁判にどれくらいかかったか分かりませんが、少なくとも1999年以降娑婆に出て半年だから世紀末の2000年とは考えられないか?
それともその数年後からこの物語は始まっているのか?

ちなみに雑誌BRIOの野島伸司氏のインタビューでプーさん時計を竹脇無我さんから送ってもらったらしく写真も載っていました。

[21] 投稿者:TOMOZO - 2003/01/25(Sat) 21:16 No.911  

noriさん、
BRIOのインタビューに関して
教えてくれて、ありがとう(^^)
スッゴイ、いいインタビューでした♪

[22] 投稿者:リンネ - 2003/01/26(Sun) 16:39 No.913  

BRIOは本当に良かった〜。
感激でしたっ。

[23] 投稿者:ピンクのひよこ - 2003/01/29(Wed) 11:29 No.924  

ミニマムな愛ってなに???
究極の愛のこと?
言葉のひびきがしっくりこない
めずらしいな野島さん

[24] 投稿者:セルジュ - 2003/02/03(Mon) 00:18 No.941  

一章で5人の標的になった人間って一人目が欲望が強い男、二人目が自意識の強い女、でやっと、三人目で無罪のひと(ララのパパ)になってますよね。
コレを見るとやっぱり、欲望(ドゥ)と自意識(トロワ)っていうのは罪深いってことなのかな。
アンやキャトルやサンクとイコールになる人は標的になってないですからね・・・

[25] 投稿者:nori - 2003/02/03(Mon) 01:23 No.943  

>セルジュさま
わたくしはマサハルがイコールではないけれどアンに近かったように思えるのですが、詳しいことはまた後ほどカキコさせていただきます。

[26] 投稿者:nori - 2003/02/05(Wed) 13:25 No.951  

わたくしは彼等五人が究極的な現れ方をしたキャラクターということで他の登場人物とは違った扱いを受けるべきだとは思うのですが、確かに被害者となった人物たちも極端でしたその中で榎マサハルは未来を嘱望された外科医師ということで医療ミス(故意?)によってターゲットにされてしまいます。
保科カオルへのある意味で真摯な態度から秩序のアンとにているなとは思いましたが。

関係のない補足としてP21サンクの台詞「ダイズー」というのが分からないのです誰か教えて下さい。

[27] 投稿者:nori - 2003/02/12(Wed) 13:55 No.997  

自己レスします。
ダイズーと言うのは、しゃっくりを止めるのに言う言葉の決まり文句なのだろうか?
それともディス(10)と関係があるのだろうか?

[28] 投稿者:陽緒 - 2003/02/16(Sun) 17:12 No.1025  

「ダイズー」は、おまじないで合ってるんじゃないですか?
私の地元では言わないけど、そうゆうのって、土地によって違うみたいだから。
誰か「ウチの方ではそう言うよ!」って方がいたら、信憑性が出るんですけどねー。

[29] 投稿者:陽緒 - 2003/02/17(Mon) 22:45 No.1035  

気になったとこ、書いてみます。
P.19
さらにようやく相手にしていたのが人間じゃないと気づいた・・・

究極のキャラの例え、とはいえドゥは人間を超越した部分が目立ちますね。
初見の段階では私は完全に「犯人は5人」と騙されていたのですが、「1人」であったことを知ると、妙に納得できてしまう部分と解釈が大変な部分が・・・。
例えば、トロワの自慰は女性ではなく、男性のそれだったのか?とか、筋肉質なドゥと、オディールを踊る姿が同一人物と繋げるのが難しかったり。ドゥとトロワのセックスとか。
揚げ足を取っているワケじゃなくて、想像を膨らます幅が広くて大変なんですよー。私が解離性同一障害という病気に疎かったり、物語(フィクション)として納得しなくちゃいけない部分が含まれているのが原因なんでしょうが。
みなさんはどのように解釈されてますか?

[30] 投稿者:陽緒 - 2003/02/17(Mon) 22:55 No.1036  

ごめんなさい!
「気になったこと」は別のスレッドでしたね・・・。
そちらに移して頂いて構わないです。

[31] 投稿者:nori - 2003/02/17(Mon) 23:19 No.1037  

>陽緒さま
とりあえずはP84までですのでかまわないですよ。
スワンレイクにしても今回の高校教師にしても、ストーリーに謎解きの部分が多くて(高校教師はそういう見方はいけないのかも)進行上後から考えてみると無理があったかなーという部分がありますね。
それに目をつむるつむらないの問題じゃなくて、現実をこえた表現と捉えた方が分かりやすいです。

野島伸司氏の左脳的な書き方も重箱の隅をつついて行くような分析的方向にはもう向いていないようですし、ましてや右脳的に感覚でキャラクターが一人歩きし始めては、設定上の細かい辻褄などなんとでもなるでしょう。
深い洞察に結びつかない粗探しよりは、プロセスを楽しんだ方が正しい見方だと思います。あれいつの間にか、高校教師レスになってる?

[32] 投稿者:ふみ - 2003/02/17(Mon) 23:50 No.1039  

>陽緒さん

私は2回目読んだ時、厳密に一人が交代人格を使い分けてる、という読み方をしてみたけど、それだとやっぱり変だったのでやめました(笑)。
ある程度は想像の中の世界っていうか。
人格を厳密に使い分けているとしたら、一番不思議なのは、1章の終盤のところですよね。
アンとドゥが劇場でララを前に対決している時に、
トロワとキャトルはマンションのバスルームにいたので。

[33] 投稿者:陽緒 - 2003/02/18(Tue) 00:03 No.1040  

>noriさん
ありがとうございます。
確かに、ミステリーやサスペンスじゃないんだから謎解きすることはないですね。本当に、粗探しのつもりはないんですよ。私の解釈だと、
・P.19は、ボクシングもやっていて、自分が最強だと思っていた古沢が自分より強い人間=ドゥを「人間じゃない」と恐怖した。
・トロワの自慰はやっぱり男性のもの・・・で、でも、本人(主人公)の中では女性である意識がしている行為。
・主人公はやはり、中性的な外見の持ち主で、しなやかな身体と獣のようなバネ(筋肉)を兼ね備えている。
・現実の世界の他に、主人公の頭の中にマンションの一室のような部屋があり、その世界を交互して彼らは生活している。セックスは頭の中の世界で行われた。
という感じなんです。でも勝手に妄想してるので、他の方の想像、捉え方も聞いてみたくて。
もし、興味を持ってくださったら、お願いします。

[34] 投稿者:nori - 2003/02/18(Tue) 00:46 No.1041  

>陽緒さま
>・現実の世界の他に、主人公の頭の中にマンションの一室のような部屋があり、その世界を交互して彼らは生活している。セックスは頭の中の世界で行われた。<
おもしろいですね。
わたくしは何読かして分からなかったところにはポストイットを貼っておいて整合がとれるまでそのままにしているのですよ。
物語が精神性の強い物だけに読み手にも受け止め方を要求するのかもしれませんね。

>ふみさま
話はだいぶんとそれるのですが、野島伸司氏の描くキャラクターにはほとんどまず完全に悪の象徴というのはいなかったと思います。
そういう意味で今回の高校教師の上谷悠次はスワンレイクでいうとドゥかキャトル(愛の裏返し)のようにも思えるのです。
後半に入って湖賀がもっと壊れて行って精神性のつよいドラマになってそれこそ前回の高校教師とは基盤の全く違う作品になるのかもしれませんね。

[35] 投稿者:陽緒 - 2003/02/18(Tue) 01:26 No.1042  

>noriさん、ふみさん
レスありがとうございます。

>>・現実の世界の他に、主人公の頭の中にマンションの一室のような部屋があり、その世界を交互して彼らは生活している。セックスは頭の中の世界で行われた。

この部分、やっぱり私の解釈とみなさんの解釈でズレがあるみたいですね。国語のテストみたいに、答えを合わせをするつもりはないので、ご意見をください。
noriさんのポストイットのように、私は、辻褄が合わなくなると、「でも、野島さん(に限らずプロの小説家さん)が書いてるんだから、私の解釈が違うんだ」と考え直してみます。
私が脳内マンションを考えたきっかけは、主人公の住居・・ですね。確か実際はVIP御用達のホテルですよね。でも一章ではマンションに住んでいることになってる。これは設定ミスとか誤植ではなく、確信犯かな、と。
それだけが理由で、ほんと妄想的。
解離性同一障害という病気が実際には、どのようにキャラを出したり引っ込めたりしているのかわからないですし、脳内マンションで仲良く?暮らしてるなんてありえない病気かも知れないし・・・。そのへんレスお願いします!!!

[36] 投稿者:陽緒 - 2003/02/18(Tue) 01:48 No.1043  

>noriさん
ふみさんへのお言葉みたいですが、入らせて頂きます。
私も、「高校教師」と「スワンレイク」の類似点?には興味があります。
だれが、どのキャラに近い・・・とか。
例えば、自意識のトロワと湖賀郁巳など。
ドラマBBSの方だと小説を読んでない方もいらっしゃるので、こちらで話した方がいいのかなーと。

関係ないですけど、noriさんと会話?してると私の言葉も微妙にお上品に・・・すごい影響力です。

[37] 投稿者:さくや姫 - 2003/02/18(Tue) 12:46 No.1044  

>nori様
サンクの言う「ダイズー」はしゃっくりを止めるおまじないです。実際効きはしないのですが・・・。でも、しゃっくりをすると必ず頭をよぎります。だから読んだ時とてもうれしかったです。関係ないですが、ほかに「菜の花は何色?」「黄色」などのやり取りがあります。

[38] 投稿者:nori - 2003/02/18(Tue) 16:06 No.1046  

>陽緒さま
脳内マンションという考え方は私も同じでずれていないですよ、粗探しと書いてしまったのは誤解があったようですが陽緒さまの場合深い洞察に繋がっていますので、建設的な考えだと思います。

それからスワンレイクと高校教師の類似点についてはここでお話しさせていただくよりも、新しいスレッドを立ち上げられてみてはいかがでしょうか。
その時は私も参加させて下さい。

>さくや姫さま
あなたのレスのおかげで疑問が一つ解けましたどうも有り難うございます、これでポストイットが一つ外れます。
できればどの地方でのおまじないかなど詳しく教えていただけませんか?

[39] 投稿者:さくや姫 - 2003/02/18(Tue) 16:41 No.1047  

>noriさま
かなり小さいころからのおまじないです。いつ頃、覚えたのでしょう?私の住んだことのある地域は、東京と札幌なのでどちらかとは思いますが。。。母からではなく、友達から教えてもらいました。遊びではないですが、流行った気がします。

[40] 投稿者:nori - 2003/02/18(Tue) 17:06 No.1048  

>さくや姫さま
さっそくのレスどうもありがとうございます。
野島伸司氏が新潟出身で青年期を埼玉で暮らしていらっしゃるので、やはりどちらかでしょうね。
野島氏もそこで覚えられたのでしょう。
豆知識としてわたくしも覚えておきます。
でも効くのかなー?

[41] 投稿者:ふみ - 2003/02/19(Wed) 00:58 No.1049  

脳内マンションって面白いというか、確かにそうですね。
キャトルたちが寝泊りしてるマンションの一室には部屋&ベッドは複数あるみたいだし、
ホテルだったら一人のためにそんな部屋提供できないですね。
私はあまり、そこらへん気にしてなかったです。

[42] 投稿者:えり - 2003/02/23(Sun) 01:49 No.1075  

はじめまして。私も参加させてください。

私も脳内のマンションと考えてました。
そしてそこに5人分の色々なものがあるのかなと・・・

苺ののったショートケーキって救急車なんですか?
私はパトカーだと思ってました(汗)

2回目読みたいと思います。

[43] 投稿者:nori - 2003/02/23(Sun) 02:33 No.1077  

>えりさま
[1]の書き込みを少し訂正させていただいたのですが精読を順序立てて行う為にとりあえずはP84サンクの語りの前までとさせていただきます。
もし全体的に気が付いた場所などがあれば 「スワンレイク」について のスレッドの方によろしくお願いいたします。

第二章では、えりさまの思われた通りイチゴの載った乗り物としてパトカーと救急車が比喩表現されていますね、ただショートケーキだと救急車の方でP193の方はパトカーと書かれていますね。
サービスです。

脳内マンションの考え方でここはこう考えられると言った意見もどうか気が付かれた方お寄せ下さい。

[44] 投稿者:傍観者 - 2003/02/23(Sun) 07:57 No.1078  

脳内マンションの説、2度目からは僕もあたり前なくらいにそうだと思っていました。そう考えると、解離性同一性障害とかではなく、キャトルがカオルに言っていた様に誰もが持ち得る部分だと僕は納得してしまいました。

あの脳内マンションの部分は、ホントは言語も行動もないもので、それを敢えて現実的にキャラクターとして表現したんじゃないかと思うんです。
例えばドゥとトロワのSEXも頭の中で本当に行われていたわけではなく、欲望と自意識の絡み合いをSEXという行動に例えたと。あのマンションの一室でのそれぞれの行動や、話合いなどは誰の中にもあるものだと思います。ドゥとアンの口論なんかも、よくある欲望とモラルの葛藤を解り易く表現されたものだと思いますし。
ただあのマンションが誰もが持つものだとしたら、その一室自体が一つの人格であるはずなのに、彼(彼ら)の場合は、その脳内マンション以外でも5つにキャラクターが分かれている事が特殊なんですよね。
僕は混乱しない様に彼ら5人を、マンションの部屋でのシーンは人間の持つ様々な特性の関わりを表現したもの、それ以外は解離性同一性障害に近いものとして分けて読んでいます。ただこの考えだと「眠り」については説明つかないんですよね、人格交代と考えるのが一番自然なんですが、果たして誰もの中にあるはずの脳内マンションでそれぞれ一つの特性を司るものがバラバラに眠ったりしていいものか…。

これは僕の考えですが、他の方の意見も聞かせていただきたいです。
>陽緒さん
脳内マンションという言葉、とてもはまってしまって勝手ながら使わせていただきました。

[45] 投稿者:陽緒 - 2003/02/28(Fri) 20:16 No.1117  

脳内マンションの件について、ご意見ありがとうございました!
皆さんの考え聞けてよかったと思います。

P.30あたり。
暗闇の中、定期的に流し込まれる何か苦い流動食を・・・

初めに読んだ頃は、気にも留めていなかったのですが、この被害者は、筋弛緩剤(ステロイド?)のような物を与えられていたんじゃないかなーと思いました。
私は、ハンムラビ法典に興味があるんですが、
・手術をミスした医者はその腕を切り取るべし。
のように、自分の利益のために夫を殺した妻に適当な罰ってゆうのも法典の中にあるんでしょうね??

[46] 投稿者:nori - 2003/03/06(Thu) 11:30 No.1146  

>陽緒さま
岡村エリカの件についてはやはり流動食に細工がしてあったんでしょうね。
ハンムラビ法典の具体的な懲罰については図書館でよく調べてきます。

[47] 投稿者:陽緒 - 2003/03/06(Thu) 21:00 No.1147  

>noriさん
ありがとうございます!!
以前ネットで調べようとしたのですが、「目には目を・・・」くらいしか出てこなくて。
今、脚が悪くてあまり出掛けられないので、noriさんに調べて貰えるとすごく助かります!!

>傍観者さん
>>あの脳内マンションの部分は、ホントは言語も行動もないもので

なるほどー!
アンやドゥを人物として想像して、動かすのも楽しいですが、ひとりの人間の中の、秩序と欲望と自意識と愛と無垢の葛藤をオーバーに描いていると考えたら誰にでもありえることだし、逆に消去していくと登場人物が減って物語のテーマがシンプルに理解しやすくなりそうですね!

P.24「リーダーは僕だ」
アンがリーダーということは主人格ということですよね?
この時点では、主人公は普段、モラルの強いタイプの人間として他人と接していた、ということなんでしょうか?
でも、他人に見せない内側には他の4つのキャラもある。
バレエ団で踊っていたのは、きっとキャトルですよね。
ドゥやトロワは犯罪を犯すとき以外でも役割はあったのかなー??サンクみたいな部分は人間はみんな心の奥に持ってるってことでしょうか?

[48] 投稿者:陽緒 - 2003/03/06(Thu) 21:34 No.1154  

>>[11]P8薄紫のショールを無造作におくと・・・

他者への見せかけだけの愛(本当の愛ではなく、一般的な広義での愛)で飾ることをやめて・・・
と捉えていいものか。

私は「飾ることをやめて」というイメージがあります。
自慰をした後にシャワーを浴びていない・・・という部分と繋がるのですが、トロワは美しすぎるから、黙っていたら男(この場合はターゲットの古沢)は引いてしまう。
わざとはすっぱな、飾らない態度を取ることで相手が近づきやすくなるようにしたんだと思いました。

[49] 投稿者:陽緒 - 2003/03/06(Thu) 21:46 No.1155  

付け足しします・・・
薄紫に「永遠と情熱」の意味が込められているかはわかりませんが、薄紫や薄ピンクのストールは、顔映りがよく、肌色をキレイに見せてくれるんですよ。トロワの「美へのこだわり」なのかも。

[50] 投稿者:nori - 2003/03/07(Fri) 13:31 No.1171  

>陽緒さま
わたくしはP8の辺りを誤解して読んでいました。
定食屋に行くまでに省略法でいくらかの日数が経っていたように思っていたのです、時間的に繋がっていたとするとフェロモンを残したことなどが分かるのですね。

トロワの「美へのこだわり」とても勉強になりました。

[51] 投稿者:陽緒 - 2003/03/07(Fri) 21:49 No.1175  

>noriさん
レスありがとうございます。
私のカキコミはそれこそ脳内妄想なので、参考にしていただけたら幸いです!

>>わたくしはマサハルがイコールではないけれどアンに近かったように思えるのですが

元々のマサハルの人柄はわかりませんが、医療ミスを犯した後の彼は、一般的なモラルに庇護され、その中でのみ、「自分は許される」と思うことができたんでしょうね。
後半、カオルや柳井に「殺して欲しい」と思っているあたりでは、アンよりもキャトルに近い部分も感じます。
これで思ったんですが、アンとキャトルは行動や感情のベクトルは違っても、似ている部分もあるような気がします。
P.24あたりから度々出てくる「瞳の中の青い粒」という表現。
『そんな目の人がいるんだろうか??』と考えてしまったんですが、これこそ、シンボリックな表現で、「青い粒」というのは「情緒または思慮深いこと」を表しているような気がします。だから、物事を深く考えてしまう性格のアンや、情緒が深いキャトルにはあるのに、衝動的であまり深く考えないドゥやトロワには存在しないんだと思うんです。
そして、アンの「思慮深さ」はドゥの欲望を抑えつけ、トロワに欠けている内面的な美しさを持っているから、(トロワは表面的な物だと思っていて、内面的だと気づいていないみたいですが)トロワはあんなに憧憬を向けているんじゃないでしょうか??

[52] 投稿者:nori - 2003/03/15(Sat) 22:33 No.1229  

瞳の中の青い粒は全編に出てきますね、何のシンボルなのかは感じとしてはつかめていても言葉に出来なかったのですが、陽緒さまのおかげで分かってきました、P84過ぎたあたりから後でそれにも変化が出てきますがそこはまた次のおりに、ハンムラビ法典のこと近所の図書館が改装工事で大きなところへ調べに行きます、罪に対する罰のこと具体例で示されているといいのですが。

現在わたくしの鞄の中には93’高校教師文庫本 03’高校教師小説本 スワンレイクの3冊が入っています。
そのうち1冊はまだ読み終えていません、どれだか分かりますよね!

[53] 投稿者:めぐみ - 2003/03/17(Mon) 18:22 No.1239  

初めまして・・・noriさんの読み終えていないのは03’*******ですね(^q^)切ないですね。。私は今日スワンレイクを買って来ました!!!じっくり読まさせていただきます。。。

[54] 投稿者:nori - 2003/03/17(Mon) 23:00 No.1241  

>めぐみさま
あたりです。
ここまで盛り上がってきたのですから最後まで取っておかないと。

スワンレイクも高校教師同様一つ一つの言葉に深い意味が隠されているので、面白いので一読目はざっと一気に読み終えてしまいましたが、後は辞書の用に何回もポストイットを貼りながら読み込んで行っています、そういった意味ではとても減価償却率の高い読み物だと言えるでしょう(笑)

読後まためぐみさまの視線から観たスワンレイクをカキコよろしくお願いいたします。

[55] 投稿者:めぐみ - 2003/03/18(Tue) 21:41 No.1251  

NORI様様ありがとうございます。
まだ先は長いのですが・・・先走ってポストイットも買っちゃいそうな勢いです(笑)本の好き嫌いが強い私なのですが、スワンレイク・・・いけそうです!!!とても良い出会いになりそうな予感ですv(^^)v

[56] 投稿者:nori - 2003/03/19(Wed) 21:45 No.1270  

>陽緒さま
今日図書館にハンムラビ法典を調べに行ったのですが、さらに大きな図書館から取り寄せということで後2、3日かかりそうです法典のそのまま日本語訳も含めて研究書など三冊頼んできました。
資料をもとにしてより深い考察が今から楽しみです。

[57] 投稿者:陽緒 - 2003/03/19(Wed) 23:03 No.1271  

noriさん
お疲れさまでした!
取り寄せなんて、なんだか大変なことになってしまいましたね。
私も期待しています!!

[58] 投稿者:nori - 2003/04/03(Thu) 20:50 No.1342  

ハンムラビ法典が届きました。
シュメール文字の原典直訳など3冊です。
282の具体例がしるされています。

218医者が重傷のため人を青銅のメスで手術して殺したり、膿瘍を青銅のメスで手術して目を潰したなら彼の指を切る

とあります。他のケースも探してみます。

[59] 投稿者:KAI - 2003/04/16(Wed) 12:02 No.1383  

「スワンレイク」を読み終えてから、スレッドを見ようと思い、こんなに遅くなってしまいました。

>noriさん
サンクの言った「ダイズー」を気にかけているようですが、
他の方も仰っているとおり、「しゃっくりを止めるおまじない」ですが、
私が知っているのは…

しゃっくりをしているとき、ふと他のことに気を移すと止まる、ということがあります。
それを利用して、しゃっくりしている人に
「豆腐は何でできている?」と聞くと、
一瞬、何だっけ?と考えますよね。
それで、「大豆だ」と思ったときにはしゃっくりが止まっているということです。

だから、きっと、サンクのしゃっくりが出たときにアンが
「おまじないだよ」といって教えたのかも知れませんね。

それと、どこの地域で発祥したかということですが、
私は神奈川育ちですが、小さい頃に聞いた覚えはなく、
大人になってから知ったものだと思います。

何を隠そう(隠さなくていいけど(笑))私はしょっちゅうしゃっくりの出る人なので…。
普通の人はあまりしゃっくりって出ないらしいですね。
いつでもどこでも止まらなくなると困るので、
どうにか止める方法がないかと探したときに聞いたものだと思います。

あまり参考にならなかったと思いますが、私の知識の範疇でした。

[60] 投稿者:nori - 2003/04/21(Mon) 00:28 No.1397  

>KAIさま
レスどうもありがとうございます。
別にこだわっているのではないのですが、ためしにGoogleで しゃっくり ダイズ で検索すると結構おまじないとして広まっていることを知りました。
治る理由はおっしゃるとおりのようです。
 ただこのアンとサンクのやりとりがテーマに結びつく重要な言葉だったらと思ってみたのが最初です。
でもこれは野島伸司氏のちょっとした遊びだったのですね。
ありがとうございました。

[61] 投稿者:nori - 2003/04/25(Fri) 00:59 No.1409  

保険金殺人についての罰についてもハンムラビ法典でしらべたのですが、
当時は保険金についての概念が無くまた夫殺しについても書いていませんでした。

アンが司っていた秩序がハンムラビ法典に根ざしていたことがたくさんの悲劇を起こしたのですが情緒レベルでの住み分けからどう理屈だって法典にたどり着いたのか疑問です。
秩序というものはもっと内省的である意味ストイックなものであるように思えるのですが?

[62] 投稿者:ふみ - 2003/04/27(Sun) 23:27 No.1413  

>noriさん
報告ありがとうございます。
アンたちの罰の加え方は「同害報復」を元に野島さんが考えたものだと思っていたけど、ちゃんと手術の記述まであるんですね。
私も機会があったら読んでみたいです。

> アンが司っていた秩序がハンムラビ法典に根ざしていたことがたくさんの悲劇を起こしたのですが
> 情緒レベルでの住み分けからどう理屈だって法典にたどり着いたのか疑問です。

情緒レベルでの住み分けができれば一番いいのだけど、でもできっこないからこそ秩序が必要とありました。(P23)
それで確か、ハンムラビ法典って人類最古の法律なんですよね。
秩序=法律で、罪を犯した者を厳格に裁く同害報復を用いることでそれが抑止力となって、失われている秩序が回復するとアンは思ったんじゃないでしょうか。
違う意味の問いだったらごめんなさい。

> 秩序というものはもっと内省的である意味ストイックなものであるように思えるのですが?

そうですね、本人が秩序を守る態度はそうなるんでしょうけど、
結局アンたちが罰を加えた人々のように、その秩序を乱す人間というのが必ずいるから、
秩序を守る意味で、それを乱す人間に対しては外的圧力が必要ということでしょうか。

[63] 投稿者:nori - 2003/05/05(Mon) 03:36 No.1417  

>ふみさま
レスが遅れてしまい申し訳がありません。

>秩序を守る意味で、それを乱す人間に対しては外的圧力が必要ということでしょうか。<

スレッドの目的から離れて申し訳ないのですが。
秩序を守るためにはやはり乱すものを裁かねばならないのか?
力を持ってして押さえ込むことしか解決の道はないのか?
乱すもの自身が己の過ちを自証し悔い改めることはできないのか?
以前からのわたくしの命題です。


[64] 投稿者:nori - 2003/05/13(Tue) 10:19 No.1433  

自己レスいたします。
もし五人の行なったことが秩序を守る為の抑止力としてのことならば、彼らの正体を明かすことともし罪をおかせば同じ報復を受けますよという表明が無ければ意味を持たないのではないでしょうか?
彼らは正体がばれることをことさら拒んでいましたし犯罪が一つに繋がることも分からないようにしていました。


[65] 投稿者:ふみ - 2003/05/13(Tue) 23:54 No.1434  

うーん、どうなんでしょうね。
許せない気持ちでも、秩序を保ちたい気持ちでも、結局はそれは抑止力に繋がる気もします。
正体を明かしたら捕まってしまうわけで、どうしてもそれはできないんでしょう。
ただアンのような過剰な復讐が必要なのかどうかは…ララの慈悲の精神と対比されていたように、確かに大きな問題ですね。これは人間・失格のテーマでもありましたけど。
でも慈悲でもって個々人のモラルに訴えるというのは、全人類に適応するとは私は思えないです。

[66] 投稿者:nori - 2003/05/14(Wed) 04:20 No.1435  

わたくしの神の概念はあやふやなのですが。
>「神様は、きっと空の上にはいないと思う」
P54ララのことば
互いに神の存在を信じ。
ララは内にアンは外に。
話が続くのでP95まで跳ぶとキャトルは神を信じない。

多くの人々は今生しか無いと過ごしている、それをほんとうに救えるのはやはり慈愛なのでは?

[67] 投稿者:ふみ - 2003/05/21(Wed) 23:19 No.1441  

ああなるほど。
神に対して「内」と「外」という概念が1章で提示されていたんですね。気づかなかったです。
P327のサンク=内なる神は印象深かったんですが。
となるとララの「内なる神」の思想に影響されてアンは復讐をやめた。
内なる神=優しさ=慈愛。うーん・・・
まあ色々なものからの救いとして「愛」が提示されるのは野島作品のパターンですからね。

[68] 投稿者:nori - 2003/05/23(Fri) 19:34 No.1442  

力だけで優劣が決まるのならこの世はならず者の支配するものとなってしまうでしょう。

「まぁ、そう悲観するな。おれが思うにな、女の遺伝子の中には、おまえみたいな、なんのとりえもない男に吸引される例もある。まれにだがな」
「どんな遺伝子ですか?」
「サービスだぞ」
「慈しむ母性。つまり慈愛だ」

この世の一部(今の日本)が空から爆弾の落ちてこないピースな世界なのはそこに救いがあるのではないでしょうか。

[69] 投稿者:nori - 2003/06/01(Sun) 01:45 No.1446  

P23
「全てに置いて何よりも秩序が優先されるんだ。僕はキャトルがあげてくるターゲットを冷静に分析しておのおのの罰を計算している。ミスはもちろん、乱暴な行きすぎはモラルに反する。君は正義ではなく、自己の快楽のために遂行し、しかも、僕ら全員が見つかる危険を振り撒いている」

このセリフからアンにはこの時点でそれぞれのキャラクターが純粋に人間のパーソナリティが分割されたものであるという自覚は無かったのだろうか?

[70] 投稿者:ふみ - 2003/06/03(Tue) 00:46 No.1447  

んーそれはどの時点というのにかかわらず、あったといえばあったし、なかったといえばない、どっちとでも言えるんじゃないでしょうか?
それぞれの人格の覇権争いと考えれば、他の人格を押さえ込みたいわけだから、あったのかなぁ。

[71] 投稿者:nori - 2003/07/28(Mon) 00:06 No.1455  

P34
そうして秋の穏やかな日差しの中、膝元に三毛猫を起きたいくらいに、優しく優しく発狂した。

森田童子の逆光線の歌詞の中で やさしく発狂する というのがありますね。
観念的な表現過ぎて感じとしては分かるのだけれど言葉で表現しようとすると難しい。

どんな状態なのだろうか?



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